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【選手ブログ】 平井悠太郎 / 2年目

California State University Los Angelesに所属しています、GK平井悠太郎です。

まず、この場をお借りして私の留学に関わってくださってる全ての皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。

私にとって2022年は波瀾万丈でとても記憶に残る1年間でした。2022年の最初は今所属している大学ではなく、University of Central Arkansas(以下UCA)に所属していました。そこで過ごした1月から5月は精神的に苦痛でした。私は特に良いスタッツも動画もなかったため、トランスファー(転学)するのに苦労しました。毎日、いいオファーが来ていないか気になっていました。さらに、練習の参加の許可をUCAの監督にもらえず自主練をする日々が続き自分のサッカーのコンディションも不安でした。そんな時に助けてくれたのがUCAのチームメイトでした。私の自主練に付き合ってくれたり、パーティに誘ってくれたり、一緒に課題をやったりと私にとってその時間が不安なことを感じずに心から楽しめる時間でした。そんな日々を過ごして、やっと2月の終わりに今の大学からオファーをいただきました。現在所属している大学が2021年 NCAA D2の全米大会で優勝をしていた大学だったので即決でした。やっと、トランスファーというストレスから解放され、サッカーのコンディションをあげなきゃいけないというワクワクする悩みに変わりました。そこでUCAの地元のアマチュアリーグのチームに練習を参加させてもらいました。

忘れもしない、4月6日。参加させていただいていたチームでの練習の時でした、走っている時に急に後ろから思いっきり蹴られたような感覚と共に立てなくなりました。もちろん、後ろに人はいないし、蹴られていません。アキレス腱を断裂しました。頭が真っ白で何を考えていたのか、全く覚えていません。今後の不安を帰りの車でずっと考えていたことはかすかに覚えています。次の日に病院に行き、手術が必要なこと、復帰できるまでに最低6ヶ月かかることを知りました。手術は三菱養和に所属していた時にお世話になった素晴らしいドクターの元で怪我をしてから1週間後に日本で受けることができました。リハビリもできない、歩けない、立てない日々が1ヶ月続きました。やっと松葉杖になった2ヶ月目、絶望しました。自分の足が思うように動かない感覚を体感しました。不安で不安で仕方なかったのを覚えています。そこから自分なりに最大限リハビリをして7月の終わりに新しいトランスファー先の学校に行く頃にはジョギングができるくらいにはなりました。しかし、新しい大学、新しいチームメイトで不安で仕方ありませんでした。

8月からチームの練習は始まり、2部練、練習試合をチームはしている中でずっとリハビリをしていました。正直、しんどかったです。その後公式戦がはじまりチームは勝ち続けていました。そんな中でも、まだもちろん復帰はできず練習参加もドクターの許可が下りず9月になってしまいました。9月に入りやっと、ゴールキーパー練習に参加することができるようになり、改めてサッカーの楽しさ、自分がサッカー選手であると自覚できました。練習できない間にも食事などを今までとは変え、サッカー選手であり続けるために努力はしていました。しかし、サッカーができずに、ボールが蹴れずにいるとストレスも溜まりますし、サッカー以外のことにベクトルが向きそうになります。そんな時に助けてくれたのはチームメイト、家族、日本にいる友達、お世話になったコーチ達でした。そんな人達のおかげで10月中旬には練習に全て参加できるようになりました。正直、遅すぎました。リーグの公式戦はほぼ終わり、ここからスタメンを取れるほど簡単ではありませんでした。そして、公式戦が全て終わり、全米大会がありそれもあっさりと負けて2022-23シーズンは終わりました。私に残ったのは公式戦出場0という数字でした。怪我を言い訳に本当はしたいです、しかし本当にスーパーな選手だったら復帰してすぐに公式戦に出ていたと思います。ガンバ大阪の宇佐美選手も私とほぼ同時期にアキレス腱を断裂し手術しましたが、復帰すると同時に公式戦に出場していました。ポジションは言い訳になりません。

2023年は怪我なく自分の精一杯を出し、今まで支えてきてくれた人に良いニュースを聞かせることができるように頑張ります。

最後になりましたが、私にとっての2022年は多くの人に支えられているんだということを強く実感する年になりました。感謝という気持ちがこれほどまで強く感じるのは初めてです。みなさん、本当にありがとうございます。

恐らくブログを書いている他の選手の中で1番長く拙い文章になってたと思いますが、ここまで読んでくださった方々ありがとうございます。私の母は恐らく読んでくれるでしょう。そして、「文章書くの下手だね」と私は言われるでしょう。

平井悠太郎

三菱養和SC U-18

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