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プロフィール 英語は私の人生の糧

英語との出会いは小学校低学年、小さな英会話教室に親が入れてくれたとき。近隣の米軍基地で働いている日本人が開いたその教室では、週一回のレッスンだけでなく米軍基地内外でのホームスティやBBQ、交流会でいろんなアメリカ人ご家族との交流を楽しんだ。今とは情報量が全く違う〇十年以上も前のこと、生の(アメリカ)英語の発音を聞いた時の驚きや日本人とは違う所作や風習を体験した時の衝撃は幼心に大きなインパクトを与えた。大学で英文科に進みアメリカ文化研究を専攻した私の原点は間違いなくこの英語教室だ。ちなみにその英語教室で皆で楽しんでいたゲームが上の写真のScrabble。

結婚直後夫の仕事の関係で、憧れだった米国暮らしを体験。既に慣れ親しんでいたアメリカ英語の発音はばっちり。大学時代の教育やサークル活動のおかげで会話もばっちり。駐在妻達を助け、旅行や習い事、出産までも体験して帰国した自分は英語ができる人だと思っていた。

そんな私が帰国後に始めた英語を教える仕事をしながら次々と挫折を経験する。

挫折1:単語文法の知識不足
通信教育で有名な〇会で添削業務を始めた時、分かり易い言葉で正解不正解の理由を解説をする力が自分には欠けていることを思い知る。感覚で英語を使い、地道に単語文法を学習することを軽視していた結果だった。

挫折2:英語の記事を理解できない
英語力を上げる必要性を感じた私は、一石二鳥を狙い定期購読している雑誌を英語版でも取り始めた。しかし一発で理解できるのは30%くらい。語彙力文法力の不足は結構深刻だっだ。

挫折3:スピーキング力の衰退
アメリカから帰国して10数年後、交換ホームスティでオーストラリアの高校生が我が家に滞在。余裕だと思っていたのに全然英語が出てこない事実に愕然。

挫折4:荒れている小学校での絶望的な無力感
英語以前の問題だが人間力が試された。9年間続けた小学校での非常勤英語講師の仕事の中で一番辛い時期。

挫折5:資格の欠如
資格も軽視していた私はTOEICを受けたこともなく、かなり後まで英検の準一級すら持っていなかった。

挫折6:親の介護
父が進行性の難病になった。そんな折母も骨折した。父と母二人だけの生活は危険と判断。実家に移り父の介護を始めるため、仕事を全て辞めなければならなかった。小学校2校、個別指導塾や家庭教師で週に15人、文字通り朝から晩まで英語を教えていたのに、、、。

今書き出しただけでもこれだけの挫折、、、。本当はもっともっと挫折している。

私は普通、いやなことは避ける人、挫折したらすぐにくじける結構弱い人間なのに、英語に関してだけはどんなに挫折を経験しても止めなかった。挫折によって気づくことができた自分の弱点を強化できるのが、英語に関してはうれしいし楽しかったのだ。なによりモチベーションとなったのが、自分の英語力が上がることでより多くの生徒さんをサポートできるようになることだった。

語彙力と文法力を強化し、添削はむしろ得意になった。個別指導では超難関国私立大学の入試指導ができるようになり合格の報告に生徒とともに歓喜した。駅前留学の力も借りて小学校ではネイティブALTとの仕事に支障がないくらいまでスピーキング力を取り戻した。夜な夜な作った手作り教材でどんなレベルの児童でも楽しめる英語の授業を小学校で提供できるようになった。資格に対する見方を改め、介護をしながら英検1級とTOEIC970点を取得。それが介護しながらでもできるオンラインでの英語講師とTOEICコーチの仕事に繋がり、おかげで介護とその後の喪失感無力感も乗り越えることができた。

振り返ると8歳の時に出会った英語が常に自分の人生の中にあって私を支えず~っと成長させてくれている。まさに糧!

だからこそ、英語学習で挫折したと感じている人がいたら、立ち上がり、歩み始めるのを助けたい。歩み始めた一人一人に寄り添って共に歩みたい。英語を糧として一人でも多くの人に成長してもらいたい!

そんな想いを抱いて英語のパーソナルコーチを始めました!

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