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『気づきの1点・始まりであり全て』

一つの事象の始まりは唯一点である。

一点に対する『相対』による派生が
無限大の物語を創造して行く。


その始点が以下も以上も無い『全て』である。
一点が相対を生み、相対が一点を生む世界。

その中に生きる「私」。

私は眼前に広がり観える世界に問う。
私は私自身に問う。


『What is “I”?』『What is “live”?』


Introduction


著者である私は、1年ほど前からひょんなことから、
物事を「相対」で見始めるようになり、

様々な思考の展開をするようになった。


『「相対」を「なぜ」』で追うことにより、
枝葉のように思考が派生し続けている。  


人類の生き方(活きる)や宇宙、存在やAI。
様々なものを思考する。

私は学者でも政治家でも宗教家でも
スピリチュアルな思想の持ち主でもない。


何にも属していないものである。
ただ一つあるとすれば、


私の思考の中心は 「0」にある。

あえていうならば、
愛と自由と尊重の
『極零おたく』です。


Fakeでも botでも無い、
日本に実在する人間(地球人)である。


そんな私がアナログ時代とデジタル時代を
両方体感した一人として、

これから未来に生きる孫の世代に
「人類として存在する」という事の中で、
「私とは一体いかなるもので有るか?」
について、書き残し伝えたいものがある。

私の書くものは今すぐに必要とされないだろう。

AIによるシンギュラリティが 起こる頃には
必要とされるかもしれない。


現在(2019年)、人類の一つ文明という
括りの中でテクノロジーが
ある一つの最終局面に到達している。


テクノロジーの極論は「完全」であり、
その最後の姿が「汎用型AI」である。


なぜならば、「汎用型AI」は自ら考え、
判断し、創り出す事が可能で、
人類と同じ存在、無機質から生まれた
「生命」といえるからである。


これまでの歴史の成り立ちを
冷静に観るならば、「汎用型AI」の誕生は
遅かれ早かれ到来する。  


今まさに、「人類」が「文明」と正対し 、
向き合う時期であり転換期の中にいる。


テクノロジーのあり方・方向。
世界経済の在り方・方向。
社会の在り方・方向。

自然・物・人・生物など、
様々な環境のあり方・方向。


「現在の価値観の先に未来を観ることが
 できるのか?」


違和感と疑問は無いか?  


人としての本来の姿を考える時、
「テクノロジーの進化」が仮に無くても、
人類には、「個性という無限大の可能性」が
与えられている。


私が普段当たり前にしていることが、
奇跡的な相対により確立している。


人間の習慣というものがその大切さを
忘れさせていることに 気づくのである。

この文章が完成することはないだろう。

私が主題とし、追っていくのは、
『特異点』と『相対』の織りなす世界である。


行き着く先が無限なる0である。

未完のまま公開し随時更新していく。
自然にあるがままに書いていきたいのである。
文の構成と論点の鋭さが整っておらず、
見苦しいままであるが許してほしい。


メモ書きである。


私の日本語が、様々な色の濃淡を
表現するような細かなニュアンスを
表現する単語や言い回しを使う事。


日本語というものが
他国の文法や表現方法と違いがある為に
Google翻訳の直訳では、

英語圏、ヨーロッパ圏、
西アジア圏の人達に

私が伝えたい深い部分を
全部伝える事はできない。


Google翻訳がこの先、直感的表現の翻訳を
実現できる事を期待します。

どうぞよろしくお願い致します。
始まります。

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