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合草万目

年末感は今年もない 何かしたいことが立て込
めば何となく忙しく感じ といっても傍から見れば
それで忙しいの と呆れられるような様子で と
くに今やらなくてはいけない事でもないのにな
んと泣く急かされて ついに合切箱を作ってしま
った もう売る百均がほとんどなくなってしまった
白木の蓋のついた小箱の 蓋の留め金を他の
木箱へ流用して 部品の欠けた箱を何とか他に
転用できないかと思っていたら寝しなに一部を
切断して箱を二つつなげばいいのではないか
と思いついた そのプランを頭でこねくり回して
眠ったら翌朝早くに目が覚めてしまい そこから
二日ほど根を詰めた 箱を切る というアイディア
から厚みを薄くした木箱とともに今ほとんど仕上
がって 青貝を散らせて乾かしているところ

ところだ とか ところである と書くと落ち着き
が出るかもしれないがべつに落ち着いてもなく
何となく分別臭くてそのように書くことはしない
およそ文学はである と文末が締められた文章が
おおくて 今はそれほどでもないか 今 昔の
私小説ばかり読んでいるから昔の書き様という
のに気が行っているというのもあって である
であるのである という書き様は冗談めいてつ
かわれる言葉になってきているのかもしれない
といった少し羞恥を含んだ偏見がぼやけて見え
ている気がする

藤枝静男の初期小説を読んでいる 硬質な
私小説 と奇想天外なアナーキーな小説と ま
ったく別の世界を作った明晰な文章の小説家
というイメージを持っていたが初期作品といえば
性欲を持て余してうじうじしているが医者という
ステータス 自意識があって遊郭へ行こうか
行くまいかぐずぐす悩み それを医師特有の科
学者的精密さでねちねちと書きこんでゆく ある
種の青春小説を書いている 性体験があるか
ないかが人生の大問題であり 私が若い頃も
確かにそういう感覚はすくなからず男同士の
中では残っていたと記憶している 今もそういう
テーマで小説は書かれているのか 今の世代
では性についてどのように考えられているのか
まあ 根底はさほど変わりないだろう 性に多大
な幻想と意味を見て現実であっけなく失望と
日常に変化していく そこで殊更にそれについて
今は特別な感慨も薄れた むしろ行動より観念
のほうでそれをこねくり回す方が脳の活性が
促される気がする

吉村昭と藤枝静男は客観性というか観察眼と
いうのか 冷たく対象を見つめる目において
似ているように私には思える この 冷静な観察
というのが書き物で私も実現したいところだと
思うから彼らの作品が好きなのだろう それに
文章の構造がきっちりしていて簡潔だ 書き込
んでいても変に淀まない 詩の方の意識で淀ま
せる方向へむかって書こうとしてきた目には古い
ように見えてかえって新鮮に映る 若いころ読
み残していてよかった 何しろ せっかちで長く
かかるものが嫌だったから長い文は書けないし
長篇の小説も読み残している 日に少しずつ何
を完成に向けて継続させるというのが絶望的に
できない 合切箱にしても一度塗りをきちんと
固めてから再度上塗りすることで複雑な模様が
浮かぶのだけれど 手短に済ませるので深みが
ない ところで 合切箱というのは釣り道具の
一切合切を持ち運ぶ箱の事で 本来椅子とい
うか腰掛を兼ねる物だが対象魚がタナゴと言っ
た小物なので合わせて合切も小さく仕上げた
小さなところに細々とすべて詰め込むというの
がお気に入りのイメージである

合切箱というのは水箱と違うのだろうか 水箱
というのは水を入れて釣った魚を生かしておき
ながら運べるようになっている小物入れを兼ね
た木箱の事で 今回作成した箱は合切でもあり
水でもある箱だがまだ実際には水を張って漏れ
がないか試してはいない しかし竿すらも入る
入るように竿も細かい継で作ってある片手に
持ち運びできる木箱で もう当分塗りも切りも
組み立てもいい これだけで一切合切というの
は憧れではあるけれど街だけは一切合切が
揃っているとつまらない 何かが大きく欠けて
いるようなところがいい 案外東京都区内は
そういう所かもしれない


題は藤枝静男の小説 田紳有楽 にちなんで四文字漢字
にしたものの意味は特にない

そういえば現代の生活の合切箱はスマホだな などと思いついた
しかし私はもう半年もスマホを開いていない

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