逆上がりなんかできなくてもいいー「あなたに不安になってほしくない」という気持ちは、鉄棒が教えてくれたー

小さい頃から運動が苦手だった。

鉄棒、跳び箱、マット運動、短距離走etc…
日本の小学校に通った経験のある人なら誰しもが通るであろうそれらの事象、体育という名の通過儀礼。おそらく誰もがそこで「できた…!!」という成功体験を味わい、自己肯定感が生まれるのだ。

鉄棒に関しては、前回りはできたけど逆上がりはどうしてもできなかった。鉄棒にタオルを巻いて棒から身体が離れないようにしたり、足元に蹴り上げるための台を置いてそこをつたっていけば自然と回れるようになっている器具を使ったり、小学校教師の誰もが用いるであろうありとあらゆる手段を屈しても、わたしを回らせることはできなかった。

母親譲りの反り腰、故に極端に弱い中枢部(腹筋)、小さい頃から肥満か肥満の一歩手前だったし昔からお尻が大きかった。どんなに地面を蹴り上げても、重力には抗えない。また肩甲骨の可動性も低く、内転させ身体を鉄棒に密着させるのも難儀であった。

いや、自分で書いててびっくりする。なんで逆上がりができなかったか、20年以上経って理学療法士になったわたしがそれっぽい考察をしているのだ。あの頃、体育が鉄棒シーズンに入ると学校に行くのが嫌で嫌で嫌で嫌で、でも仮病を使うほどの演技力もないし、親に心配もかけたくないし、なんとか平然を装って学校に通っていたわたしが知ったらなんと言うのだろう。ちなみにマット運動は後転、跳び箱は5段以上が飛べなかった。小学6年生の体育の授業で、クラスの全員が8段を飛ばないといけない状況になり(いま思い返してもなぜそんなことになったのか解せない)、クラスの女子に見守られ泣きながら1回だけ8段を飛んだ記憶がある。

結論から言うと、鉄棒も跳び箱もマット運動も、あんなものできなくてもそれなりに大人にはなれるし、激しい運動は極力避けても生きていける。大きな怪我もしないし、なんなら子供を産んで、今は一日5kmくらい電動自転車を漕いで駆け回っている。

そう、できなくてもなんら生活に支障はないのだ。

あの頃のわたしも、半分はそう思っていて、でも半分はそうじゃないと思っていた。

自分以外のクラス全員が逆上がりができて、後転ができて、跳び箱が飛べるその事実を、苦汁を飲む思いで受け入れていた。ご飯は美味しかったし、食べるくらいでしかこの鬱憤は晴らせないから食事もきちんと取った。夜はなかなか寝れなかったけど、小学生だから時間が解決してくれた。側から見たらなんの問題もない、ちょっと運動音痴の子だったのかもしれないけど、その心の中にはずっとどす黒いものが渦巻いていた。

本当は、体育が嫌で嫌で嫌で学校に行きたくなかった。別に体育の授業を受けてまで会いたい友達はいなかったし、叶うなら部屋に閉じこもって休みたかった。でも、お母さんとお父さんが心配するから、という理由だけで行っていた。家族に問題があったわけではないけど、まるで全てのことが上手くいっているかのように見えても、実際は家族しか知らないこともあるのだ、たぶん。

でも、中学に上がると、それらの鬱陶しい項目は自然とカリキュラムから外れた。校庭に鉄棒はあるが、それは陸上部とか体操部が使うものだし、マット運動も跳び箱もなくなった。思春期なりに悩むことはたくさんあったけど、そこに体育絡みのどす黒い悩みがないというだけで、とても健やかなものとなった。

あれから何年も経って、紆余曲折を経てわたしは『理学療法士』という仕事についた。信じられないことに、運動療法によって病気や障害にアプローチをする仕事だ。逆上がりも後転も跳び箱もできないけど、この職には就けるのだ、ざまぁ見ろ!!笑

この仕事をしていると、いろいろな人に出会う。歩けなくなった人、起き上がることさえできないけど幸せそうな人、歩くのはもちろん走ることさえできるのに、でも心に引っかかるものがあってご飯も食べられないくらい辛い人…。

「ああ、生きづらいんだろうな」という人は、世の中にたくさんいる。それは時にクライエントでありその家族でありはたまた全く関係のない人であったりする。

そういう人に出会ったとき、「助けてあげたい」というよりは、「不安でいてほしくない」という気持ちが強くなる。心の中に引っかかるどす黒いものが透けて見えるような感覚に陥り、居ても立ってもいられない。でも場合によっては、距離を置いたり見ないふりをしたりする。手の届く範囲は出会った瞬間からある程度決まっているのだ。

ただ、それがわたしの手の届くかもしれない範囲にあったとき、わたしはなんだかあの逆上がりができない気持ちと似たような、どす黒いものを思い出してしまって、「あなたに不安になってほしくない」と心から願ってしまう。「わたしの視界に入るうちは、どうか不安にならないでください」、と文字に起こすととんでもなく自己中心的な気持ちを抱いている。だから職域を出ないように、踏み込み過ぎないように、受け止め過ぎないように注意しながら、自分にできることを探す。そしてこれがいちばん難しいし、いつもここで失敗する。

たぶんこの性分は、鉄棒が育ててくれたように思う。別に育ててほしくなかったし、もし逆上がりや後転や跳び箱で躓かない人生だったら、わたしはもっと飛躍していたかもしれない(逆にもっと悲惨だったかもしれない)とも思う。

万物はすべからく流転するし、そこで起きた出来事は遠い目で見たら偶然の連続みたいなものだ。だから特別に感謝もしないし、感慨深くもならないけど、「そんなものできなくても大丈夫」という事実だけはこれからも声高に伝えていきたと思っている。

逆上がりなんかできなくてもいい。後転なんかできなくてもいい。跳び箱なんか飛べなくていい。

「気にしない」という武器はたぶん、この生きづらい世の中を渡り歩いていく中で、この上なく強いものなのかもしれない。かく言うわたしも、未だにたくさんのことを気にして生きているけれど、それらを手放す術もまた鉄棒が教えてくれた。

あなたが手放す方法も、きっと何かが教えてくれるだろう。そうして手放すことができたとき、何か新しいものが手の中に残るだろう。そうやって誰かの生きづらさが少しずつ消えていったら、世界はもっと綺麗な色になるのかもしれないな、とそんな風に思うのである。




読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。