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チョットコイ、山道のすゝめ | ZenSounds 撮影日誌 #07

Zen Sounds、7本目です。ようやく稜線を越えた冬の朝陽が、田んぼに張った霜を溶かしていく。結晶化して地に降りた水蒸気が空へと還る、その儚い白の揺らぎに心が落ち着く朝の風景です。

重なる鳥のさえずりは、「ホーホケキョ」と鳴くウグイスや「カーカー」カラスも聞こえてきますが、24:45頃に不快なほど大きな音で叫びだす鳥が印象に残りました。

この特徴的な鳴き声の主を知りたくて、「ピーポポイ 鳥の鳴き声」とググってみたら、Yahoo!知恵袋でサクッと見つかりました。コジュケイ。この鳴き声、「チョットコイ」という擬音で聞きなされているそうです。本当にそんなふうに聞こえますか?


先日、「オーガニック料理の母」といわれるアリス・ウォータースさんの来日を記録したドキュメンタリー映画の上映イベントへ行ってきました。

映画として批評はしませんが、アリスさんの言葉はいくつか心に刻まれて、とくに印象的だったのは「電気自動車に乗るようになって初めて運転を楽しんでいる」という話でした。

即時的に給油できるガソリン車と比べて、充電に時間を要する電気自動車は利便性に劣る。だけど、「不便」であるからこそ、自分が移動できる距離はどれくらいか、その場所へ行くことが本当に必要か、考えて運転するようになった。つまり、移動の必然性に対して能動的に思考するようになった。

そんな内容だったと記憶しています。

ガソリン車を乗り回している自分なので「同感」「共鳴」なんて恐れ多くて言えませんが、車の運転から「足るを知る」を学ぶことは日々あります。

例えば、自分が営んでいる小さな畑に向かう山道。普通車1台通るのがやっとの幅員で、場所によってはガードレールもありません。道を外せば谷底へ落下、即死です。

そんな山道を5分ほど走るのですが、上の集落に暮らす人たちの通勤時間と重なると4台、5台の車とすれ違うことになります。ゴミ集積や配達のトラックも走る。場所が場所なら待避所まで100メートル以上をバックで戻る。畑を始めたばかりの頃はこの山道の登り下りに気を揉んでいました。

それが、通うこと1年以上を経た今では、地元の人に負けず劣らずのスピードで駆け抜けています。

決して暴走しているわけではなく、どこでスピードを出すと危ないか、対向車の確認はどこを見ればいいのか、どこですれ違うのが大変か、大袈裟に言えばこの山道の攻略法を作り上げたのです。もちろん今でも少しの緊張感はありますが、それは運転の「楽しさ」そのものです。

そして、スムーズに進めないこの道の、譲り譲られることを必要とする非効率性が他者とのコミュニケーションを生みます。プップッ、譲られた側が譲った側にクラクションを鳴らす。中央分離帯で隔たれた快適な道では聞こえない優しい音が山に響く。

車を運転する目的は「移動」なので、リスクや障害はできるだけ取り除きたい。舗装された道、有り難い。文明の発展、大賛成です。だけど、利便性や安全性を求めていくプロセスで、失いたくない景色や音が存在するようにも感じます。自然を録音するようになって、空飛ぶ飛行機の轟音が地上に鳴り響いていることを知りました。

取るに足らない、だけど実はかけがえのない。失くして気づく大切さ。そんな日常の豊かさを、Zen Soundsでは静かに記録して発信していきたいと思っています。

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