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自分たちの価値とは?京都進出また下請けをやる


ーー27歳ーー

********京都進出の章*********

1997年

シガディスプレイも軌道にのり、2001年 6月 有限会社ゼンシン設立

私も29歳になってました。その頃も、多くの経験を積ませてもらいました。

泣いて、叫んで、悩んでいるうちに、笑わなくなった時期がありました。

「何の為に仕事をしているの?」とさえも思わなくなるくらい、忙殺される日々


理不尽なこと

積み上げてきた事がひとつの失敗で全て無くなる恐怖感。


そんな中だけど、

それなりに売上、利益をだしていきました。

下請けながら、京都、滋賀のスーパーやデパートどこへいってもZENSINのシールをはったレンタル什器がありました。

それを彼女なんかに「ほらっ ZENSINの什器」なんて自慢してました。


京都本社の大手マネキン会社Yさんに営業に行った時のこと、

「今度 滋賀県の草津に近鉄百貨店ができるし、その什器レンタルの仕事をあげるわ」

中身は↓

毎週催事で使うシングルハンガー 400本 ・姿見100枚 ・卓上ミラー100枚 用意してください。とのこと


しかし

レンタル什器が必要、

そして

OPEN日まで1カ月 仕入金額に500万円足りない・・・

その場で返事をし

すぐ(滋賀ディスプレイをはじめるときに相談したSマネキンの)寺島さんに相談しました。


事情をひと通り説明し

寺島常務の「自信はあるのか?」の質問

に対して「はいっ あります」

そのやりとりだけで

そしてお金を貸して頂きました。







京都赤池に12坪の倉庫にて京都ゼンシンスタート


その当時を知っている方は「シングルハンガーの上で寝てたなー(暮らしてたなー)と言います」

しかし

実際は中に小屋を作って寝泊まりしてました(笑) 

引っ越しの際

壁をめくった時、マジックで柱に夢を綴った落書きが出てきて、感動。

その柱をしばらくとっていたのですが、いつの間にか紛失・・・


*******************マイカルサティ破たんの章**********に戻ります。

Yマネキンさんから頂いた草津近鉄百貨店のお仕事

 毎週お仕事を頂いておりました。


しかし、憧れもあった百貨店のお仕事、思っていたのとは全然違ってました。


百貨店さんからマネキン屋(ディスプレイ)はお仕事を頂くのですが、これまた理不尽、業者としての仕事。

憧れていた大手マネキン会社の担当者さんは、百貨店の社員さんの名前でさえ読んでもらえず、言いたい放題いわれ、いいなりになり頭をさげる。

そのしわ寄せがうちに来ていたと後に理解


家に帰ったころに、確かに納めたはずの什器がなくなり、

お客様:「すぐ持ってこい!」

私:「納めましたよね。どこかにありませんか?」

お客様:「お前が見に来い」

私:「・・・・・・はいっ」

ことあるごとに業者はいくらでもある。切ってもいいんだよ。と

今に思えば仕事がなくなる恐怖感からの被害妄想が多々あるんかなっと。人として扱われてないとの思い込みから自らその関係性を築かなかったのかも・・

しかしキツかった。


毎週什器を入れたり、引いたりお仕事を頂いておりました。

草津近鉄百貨店さんに什器納入 4-5カ月した頃から毎週撤去・撤去・撤去 その替わりにYマネキンさんのシールがはった什器が変わりに入っていきました。

私「最近撤去で納品がないんですが・・」 

お客さま「什器が余ったから今後はうちの什器を入れるわ」

「もうお前は必要ない」

とあっさり切られました。

毎週撤去・・・撤去・・・(撤去はもちろん請求はできません)


もの凄く悔しい思いをしました。



しかし捨てる神あれば拾う神があるとはよくいったもんで

T工芸さんが、「什器かりてあげるよ」と

頂いたお仕事はサティさんへのレンタル什器のお仕事


順調に伸び、儲かりましたね。。

儲かったといっても入ってきたお金は全て次の什器仕入(投資)に全てつかってました。


持っている什器の数=売り上げだったんです。

しかし、それも長くは続きませんでした。

急に切られるをまた。

今に思えばそれがレンタルの特性、自社でもってしまえばレンタルする必要がない。

しかし、当時は急にたくさんの什器が帰ってきて、什器を保管する場所がない。 そして何より売り上げが急になくなることがつらかったです。

そこである時

「マネキン屋さんの下請けはやめよう」

そして、マイカルさんに直接営業にいきました。➡これがマイカル破綻の章につづく


———

下請けで売上比率50%を超すお客さまからの理不尽な声(後に自分が悪かったんだと気付きました)、NOと言えない自分 理不尽でも笑顔でこたえないとダメな環境・積み上げてきたものが一瞬でなくなる恐怖

くやしくて、幾度となくお風呂にもぐって泣きながら叫んでいた日々


友達から「ゆう、笑わなくなったな」と、、、

———

番外編


Sマネキン当時T常務からもらったお下がりの2tトラック ぼろ過ぎて業界名物だったのを思い出しました。

ちょっと特徴を書きます***

○ゼンシン号が走った後ろの車は真っ黒の有毒ガス地獄 前も見えません。

忍者かっと突っ込みがはいるほどの黒煙と 謎のススが舞う

○憧れのパワーゲート ここうまく書きたいんですが 分かる人だけ想像してください

開け閉めが手動なのですが、ボルトナットでキコキコ(当時を知っている人は笑います)

○ゲートを開けると本来 水平のはずのゲートが 20度傾いている。

 什器にはキャスター(車輪)がついているのですが、ゲートに載せた時点で転げ落ちないように必死

○上下するパワーゲートのスピードが日によって違う

 めっちゃ遅くて正直 パワーゲートを使わずに手おろしの方が早い。

○アルミの箱がボコボコ そしてぼろ隠しの銀色のシートが浮いてポコポコ

○車サイドの車幅灯から謎のひげのような配線・・・・ ウィンカーの点滅スピードが車の機嫌によって変化

基本点滅せずに ウィンカーをつけると点灯しぱなしで、車内ではピピピプーと謎のウィンカーチェック音

○エンジンをかける前にKEYのONのところで5秒待ってからエンジンキーを回すというルール

○夏でもスタットレスタイヤ しかもつるつる

と突っ込みどころ満載のゼンシン1号車

当時のシガディスプレイの看板がそのまま残っていたのをパチり、それがヘッダーに使ってる写真です。

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