2021/10/4

もう秋ですか…

体質的なものだろうが、秋は調子を崩す傾向がある。夏はけっこう頑張っていたので、休養優先で臨みたい。みなさんにもそれをオススメします…… 生きているだけで身体は勝手にがんばっている。

ところで、先日鬼滅の刃無限列車編を地上波で見た。たぶん都合12回目なのだが途中から。

無限列車編に関しては、というか無限列車編に限らずそうなのかもしれないが、偏った見方をしていると思う。

後半の戦闘を、父性に挫折した者同士の闘いというふうに私は見てしまい、猗窩座に感情移入することで私は泣いている。父性の象徴のような鬼殺隊への殺意。

というのも私は先輩後輩のような関係がことごとくできないまま大人になり、煉獄杏寿郎や竈門炭治郎には救われないような気がしていて、それゆえに作品が楽しいと思っている側面もある。メッセージや正しさに救われないというのは、ある意味では傲慢で恵まれていることなのだとも思う。メッセージや正しさでしか救われないこともあるだろうから。

中学生になり部活(バレーボール部でした)が始まったときに、私は人生の挫折を味わった気がした。そうした気分がいまもつづいている。

ああした先輩後輩関係は外から眺めている分には憧れもあるから楽しいのだが、中にいるのは無理だった。

「俺に集中しろ」

という猗窩座の台詞は、相手に集中しろというのと同時に、自分に集中しろというようなことだ。この同時にというのが個人的にはミソで、相手と自分に同時に集中する、相手に集中するイコール自分に集中することであるというようなことが格闘技などにおけるおもしろさであるとも思う。

しかし鬼殺隊にはそれが無理なのだ(みんなを守ることが大義だから)。

ところで、鬼滅の刃の原作は言葉と表情がとくにすぐれた作品だと思う。アニメーションとして声が乗ると異様な威力を発揮するのはそのせいのような気がしている。

最後に猗窩座が煉獄杏寿郎に言った台詞により杏寿郎は子どものころの記憶を思いだして力を振り絞り猗窩座は死にかける。ほんらい武道家にあるまじき饒舌が仇なす猗窩座のいう「武の道」とは家父長制臭さと縁を切った格闘技のオルタナティブになる(と勝手に期待している)。


町屋良平

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