VHS

<前回の話>

さまざまな人たちに盛大に迷惑をかけながら、私自身も含めた登場人物全員の「諦め」とともに不登校が安定期に入っていくと、有難いことに両親は私に対して、干渉や介入をしてくることがあまりなくなっていきました。

両親はもともと全然うるさくないタイプの人たちでしたが、突然このような事態に陥ってしまい、本当に大変だったと思います。20年前は今のように不登校がそこまで当たり前ではなく、インターネットなどでの親同士・子同士のような横のつながりはおろか、情報を得る手段そのものが乏しかったので、両親ともに「もうお手上げ」というのが正直なところだったとは思います。

非常に苦労をかけてしまいましたが、しかし、衣食住など生活の基本的な部分を除けば、わりと「放っておいて」くれました。

結果的に、両親のこういった姿勢にはものすごく助けられました。このあとも両親が私を「矯正」しようとしてバトルになっていたら、家族は激しく損耗するし、私は私で引き続き「かたくなる」を繰り返すしかないため、もれなく全員厳しい状態になっていたと思います。

そうなっていたら、少なくとも現在の私はいないでしょう。

ただまあ、父に限った話で言えば、このあとの何年間か、私立中学の決して安くはない入学金や制服代などがあっという間にパァになったことを嘆いてくることが時々ありましたが、父も私も目先のお金で頭がいっぱいになってしまう性格なので、そうやって言いたくなる気持ちはわかります。

そうして、不登校生活は段々と落ち着いてきていたものの、私は勉学も含めた将来のすべてを全力でかなぐり捨てて崖下に横たわる身には依然変わりがなく、絶望と不安、不安と絶望のループが常に渦巻いています。特に積極的には試みないものの「どこかで死ぬチャンスがやってこないかな」とは四六時中思っていました。ひとたび現実を直視してしまえば、真っ暗でゾッとする深い深い森の中で、一人でした。

当時の家には、幼少期から録り溜めていたドラえもんを中心としたアニメのビデオテープ(VHS)が無数にありました。勉学はすっかり放棄していて、かといって不登校を続けながらゲームで遊ぶのはさすがに気が引けるため、家ではもう何十回も見てきたようなアニメをなんとなく流して時間を潰すくらいしかやることがありません。私にとっては「不登校=引きこもり」でしたので、外に出ることも一切ありません。

ただ、アニメを見ているその間だけは少なくとも、現実のことをいくらか忘れることができました。

特にこの時期よく見ていた、劇場版のドラえもんで言ったら「パラレル西遊記」とか「日本誕生」あたりの作品や絵柄、のぶ代ドラの声などは、いま観てもどこか癒やされる感覚があります。

ちなみに、時期的にはそろそろ新世紀エヴァンゲリオンが初めてテレビ放送される頃だと思うのですが、学校へ行っていないため同世代にとっての旬な情報は一切得ておらず、エヴァはリアルタイムでは通りませんでした。当時あれを見ていたら、その後の人生がまたいくらか変わっていたかもしれないと、大人になってエヴァを見てから考えたことがあります。ほぼ同世代のシンジ君たちが、不登校を続ける当時の私の目にはどう映ったのでしょうか。

<次の話>

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