男の世界

<前回の話>

配達の仕事になったところ、朝5時半起きになりました。

急激に昼夜が入れ替わり、日々の運動量も激増したため、体がビックリして扁桃腺を腫らし、数日間寝込んだことがあります。回復後は、すっかり環境に適応できて、思いのほか順調にやっていけました。

寒い間は、私服の上に制服の上着だけ羽織った状態で配達していましたが、暖かくなってくると、さすがに夏物の制服を着る必要があると思い、一式を着るようになります。初めて着た日は「え、お前も着るんだ!?絶対に着ないと思ってた!!」と、配達へ誘ってくれた上司からは驚かれました。上司は私のことを、よくわかっていますね。

もともと私は、制服の類が幼稚園の頃から全部イヤでした。青いスモックも、入園式や卒園式の日に渋々着る以外、もれなく拒絶していましたし、小学校の体育の授業も、体操着を着たくないという理由で、プール以外は基本サボっていました。

運動会の日は、仕方なく上は着て、ただし短い半ズボンだけは本当にどうしても履きたくなかったので、わざわざ白い長ズボンを母に用意してもらい、それを履いて乗り切っていました。いま考えると、白い長ズボンも相当イヤですけどね。当時はそれが苦渋の末の、妥協点だったのでしょう。

現在でも、内勤なのに特に理由もなくスーツ着用とか、最低でも襟付きシャツ着用とかいう会社のことが、本当に意味がわからなくて、できるだけそういう会社を避けて回っています。もしそれが「制服」なのだとしたら、会社で配布するなり、少なくとも買うための手当をもらわないと、到底納得できません。

しかし、配達という仕事においては、マンションのエントランスや、他人の家の敷地内にも、じゃんじゃん足を踏み入れます。手っ取り早く私が不審者ではないことを示すために、世間に認知された制服の着用には大きな必然性があります。制服は下着を除いて全身支給されていますし、私が納得して着る分には、何も問題がありませんでした。「納得は全てに優先する」のです。

べつに何が何でも着たくないわけではない、という点で、幼少の頃よりは、多少大人になれたのかもしれません。本当はポロシャツもかなり苦手なのですが、ここでは内的な「必然性」が上回っていました。

そして、配達の仕事ですが、私は運転するわけではなく、ドライバーの運転する車に同乗して、配達して回る方式でした。当時の私は免許をもっていません。この職業に就いている間、ずっとこの方式でしたが、今でも面接などで経歴を話す際「配送業務に就いていました」と述べるのみで、運転していないことには自ら言及しないようにしています。聞かれたら答えますが、多くは聞かれないので「運転していたんだな」と勝手に思ってくれます。

(ひょっとしたら一部の友人たちにも、「運転してました」みたいな説明をしたことがあるかもしれませんが、それについては、すいません。成り行きで盛ってしまっています。)

ということで、私は毎回ドライバーとコンビを組んで、配達を行います。コンビを組む主要メンバーは5人くらい居ましたが、その中でも特にコンビを組むことが多かったのが、通称「ジジイ」です。ジジイは、あと数年で定年を迎えるという、文字通りのジジイです。といっても、私の父よりは少しだけ年下です。

私の所属していたチーム自体、さまざまな社会不適合的人格を取り揃えたバリエーション豊かな顔ぶれで、だからこそ私は、非常に居心地が良かったのですが。そうした中でジジイは、とても「紳士」でした。いつでも清潔感と品があって、フレンドリー。社内外の女性たちから、人気のジジイでした。

私が社会で働く上での基本的なことは、このジジイから学び取っています。誰に対しても丁寧な応対や、仲良しのお客さんとの適切な距離感、さらには自身の内に秘めたる邪悪な感情の取り扱いに至るまで、近くで見ていて模範になった部分は数え切れません。知性があり、尊敬できる人です。

ジジイと働き始めるようになってから「とりあえずこの人が引退するまでは一緒に配達を続けていこう」と思ったのでした。この世にいるジジイの中で、私が最も好きなジジイの一人です。できれば葬式には駆けつけたいと思っています。

そうして、「この人が引退するまでは〜」ということで継続していた配達の仕事ですが。どういうわけか、ジジイがなかなか引退しません。定年が果たしていつだったのか、気付けば定年後も契約を切り替えて、なおも仕事を続けており、これを書いている今も、まだ配達を続けている可能性が濃厚です。(昨年、通りすがりに会ったときは、さすがに荷物量は減っていましたが、普通に配達していました。)

私と一緒にやっている時点で、かなり大きめのモスキート音がすでに聞こえなかったというのに、本当に元気なジジイです。

ジジイがいつまでも引退しなかったことだけが理由ではないのですが、「他の仕事もやってみたいな~」と頭では思いつつ、なんとなくタイミングを逸し続けた結果、なんと8年か9年ほど、ジジイたちと配達を続けていました。これは私の20代の、ほとんど全てにあたります。

<次の話>

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