言【sideミィレン】

▼前半はこちら後半はこちらの流れをお借りしています。

■お借りしました:サーシャくん、ティアナさん、バロックさん
 
 
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 サーシャ・チゼル。少年が名乗ってくれた名を頭の中で反芻しながら、その背中が遠ざかっていくのを見つめる。私の記憶違いでなければその名前には聞き覚えがある。ああ、だからかと。あまりにも子供離れした態度に納得してしまった。
 最後にこちらに見せた微笑みは可愛らしくて、けれどもどこか影を感じたのは気のせいだろうか。私の気にしすぎなのだろうか。
 どちらでもいい。私はただ、彼にこう声をかけるだけだ。
 
「君もね、サーシャ。また会ったら、宝石のようなバトルでもしましょう」
 
 私が今回所属しているのはイエローだ。だからポケモンバトルをすることは叶わない。
 くるくると楽し気に宙を泳いでいたティアナだけではなく、呼びかけに彼が一瞬振り返った。宝石のような出来事がこれから訪れるべきなのは、もう壊されてしまった私ではなく彼の様な未来ある若者だ。
 またがあるなんて保証も出来ない人生を送っている。それでも、どうしてか私は彼にそう告げたくて仕方がなかった。だから、そう告げてしまったのだ。
 表情を作ることも、声を作ることも、仕草を作ることも。どれもこれもが女優だった時に得たものだからこそ何一つとして不得意なものはない。
 けれども、ちゃんとやさしい声を出せていたかが、少しだけ不安になってしまう。そんな声を、久しく出していなかったものだから。
 
 翡翠の瞳と目をあわせて、いつかを夢見て私は手を振った。
 
 
***
 
 
 どうせ適当に流されることはわかっていたが、まあバロックの答えは案の定だった。どうしてだろうか、サーシャと話していた時はあんなにも心が穏やかになったというのにこの男といると苛立ちしか生まれない。まあ、そりゃあそうだというかサーシャと比べるなというレベルなのだが。むしろ比べてしまったことにサーシャに対しての罪悪感が一気に押し寄せてきた。
 
「悪戯好きなのは妖精もでしょうよ」
 
 フェアリータイプを連れているバロックのことを指しながら一体何のことかと視線を後ろに向けようとした瞬間、鼓膜を擽る鳴き声に視界が揺らぐ。
 ポケモンの鳴き声であることだけは一瞬のことでも知覚出来た。けれども、その鳴き声のせいで引き起こされた頭痛と、___目の前に映し出されたあの男の姿。
 目の前にいたのはバロックだ。ここにあの男はいない。まだ見つけられてもいないし、捕まえられてもいない。確かにバロックとあの男は似てはいるが、違う人間だ。それなのにどうして、目の前のバロックがダヴィドに見えるのか。
 目の前の男の口が動く。狂気に満ちた瞳と愉悦に上がる口角。酷い眩暈と吐き気に耐えられなくなって私は目の前の男の胸倉を掴んだ。何を言っていたかなんて、どんな顔をしていたかなんて。幻覚に囚われた脳では正常に判断は出来ない。
 
 視界が回る。無理矢理にひっ掴んだ男の身体も、揺らぐ。気付けば自分の腕を紫の靄が引っ張っていて、井戸の方まで引き寄せられていた。それに今更気付いても、落ちる視界と混乱させられた脳では何の意味もない。
 
 ____狂言、甘言、罵詈雑言。いくつもいくつも、過去に告げられた言葉たちが脳を揺する。
 気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。
 ”愛しているよ”なんてやさしく甘い一切の真実なんてなかった言葉を、___そんなにもやさしく落としてくるなんてこの幻覚は本当に、残酷だ。
 
 衝撃と濡れる感覚。冷えたそれに、自分が水の中に落ちたのだということを理解させてくる。その冷たさのおかげで冷静になり、見上げれば悪戯が成功したことを嬉しそうに楽しむムウマージの姿が見えた。どう考えても犯人はあいつだろう、と思わず舌打ちが零れるのは仕方がない。
 それにしても我ながら井戸に落ちてよくもまあ無傷なものだ。水深が深くてよかったのかと考えたところで、……何かを下敷きにしていることにも気付く。
 
「……風邪をひくのでは?」
「うわ………」
 
 完全にやってしまった。巻き添えで井戸に共に落としたバロックを見下ろして、反射で出たのはただの素の声だ。そんな声が出たのは普通井戸に巻き添えで落とされたら、文句を第一に言うはずだろうにと思ったが故の気持ち悪さからだ。
 ふと、普段よりも顔に視線を感じた気がしてまさかと頬に手を当てた。
 
「いくつもの顔を持っているのですね」
 
 指に滲んだ肌の色。それは水に落ちた際に本当の顔を覆い隠していた化粧がはがれたことを意味している。
 虚ろな男の瞳に映る私の顔は、あの時置いてきたままの弱い自分の顔だった。

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