ビジネスの話【sideシャッル】
■お借りしました:ミランダさん
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仄かな橙のランプの灯りに照らされた空間には、けして不快ではない食事の香りが漂う。ゆったりと流れるジャズは店の中心奥にいる演者によるものであり、それも勿論耳障りではない。給仕の対応も、その場にやってきている客たちの佇まいも洗練された選ばれた人間達しかいないことを知らしめた。
その場にミランダを連れてたまにはディナーにと、と笑ったシャッルの表情も声音も相も変わらずいつも通りのものだ。婚約者という建前でビジネスパートナーという契約を結んでいるのだから、こんな風に恋人の素振りをすることなどどちらともが慣れたもの。容姿以外にも身に着けた作法。傍から見れば”まさにお似合いの二人”という絵画のような一枚だろう。
「もう随分と長い付き合いになったわよね」
「そうねぇ……けれども、まだまだつい昨日のことみたいだわ♪」
周囲の目があるところではただの恋人を演じる。表の顔で。どちらともが表と裏の顔を持つからこそ、徹底されたそれに違和感が生じることはない。それらが当然とまでなるのに互いに様々な経験をしてきたことは確かであり、やりやすいことこの上ない。
とはいっても、流石に急にオネエのキャラクターで通すとこの地方に来てから宣言したシャッルにはミランダも真顔になっていたが。ミランダの表情はわかりにくい。わかりにくいが、シャッルからすればわかりやすい。それはシャッルが彼女を観察し続けた結果か、付き合いの長さ故か。どちらにせよ誇れることに違いはない。
「素敵な場所」
ぽつりと呟かれた言葉は目の前にいるシャッルにすら聞こえないと思える程に小さいもので。ミランダも聞かせるとしたらシャッルだけにと留めた声量のものだったのだろう。視線を外に向けた彼女の目には色鮮やかな人口の光が広がっており、外の光と自分達を隔てる硝子には美しいミランダの表情が映り込んだ。
丁度給仕が皿を下げていったのを見送ってから、シャッルはミランダの左手の薬指に指を滑らせた。婚約者だと偽るためにとても手っ取り早い見せかけの指輪。美しい光沢を店内の照明を反射して光るそれが安価なものではないことなど誰にだってわかる。
自分が選んだ相手に選ぶものは、自分に相応しいものは。それ相応であるべきだと思っているから。
「ええ、それでいて今もなおアタシ達がいる場所よ」
ビジネスパートナーとしてミランダに契約を持ちかけた日。その日の祝いをシャッルが欠かすことはなかった。それについてはミランダも忘れていないようで、こうしてシャッルからの誘いの応じてくれている。
それはそうだ。だってこれは。
「これからもよろしくね、ミランダ」
詠うように言葉を紡ぐ。ゆったりと紡いだそれに、本当の彼女の名は音にせず口の動きだけで呼んで。
今日もまた、甘い愛を偽って契約を延長する。
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