MCバトルにもう一度出たい(1)

どうも。茜250cc善家です。noteの更新ご無沙汰しております。
少し前に「ピッチャーがやりたかった」という記事を17日連続で更新して以来、少し燃え尽きてしまっていました。

というよりも、僕は根本的に"書きたい"と衝動的に火がつかないと文章を書くのは億劫なタイプなのかもしれません。なので毎日の日記や、毎ライブの感想をnoteに投稿している芸人さん全員をリスペクトしています。

この「ピッチャーがやりたかった」の記事自体、ずっと心の隅にモヤモヤとしてあったものを"書いて成仏したい"と思って書いたものなのですが、最近心の中でずっと"モヤモヤしていて、尚且つ書きたい"こと。
というより今回は"書いて行動に移したい"ことがあったので、文章にしたいと思います。

タイトルは「MCバトルにもう一度出たい」です。
なぜこう思うようになったのか、自分のヒップホップとの出会いと昔話を交えながら書いてみようと思います。
長文かつ何回かに分けての投稿になりますが、お付き合いしていただければ幸いです。


書き初めにも関わらずニュアンスに頼った表現になるのだが、僕は「部活の試合の日の朝の空気」が好きだった。
朝ベッドから起きてからの景色、気温、天候、全てが毎日とほとんど変わらないはずなのに、試合がある日は起きてからの空気がどこか引き締まって張り詰めて冷たいような、でも期待に溢れて緩やかで暖かいような。起床してからルーティン化されたいつもの行動をしているつもりがその独特の空気感のせいでふわついているのか、はたまた固くなっているのかわからなくなる。今日自分は活躍してヒーローになるのか、または失敗して惨めな姿を晒すのか、様々な未来を想像させる独特の空気感だ。
そのいつもと違う緊張感と期待感が合わさった空気感が僕は好きだった。

その空気感は学生時代を終えてからも「はじめてのバイトの出勤」のときや「好きな女の子との初デート」のとき、なにより「漫才の舞台の日」などに感じることができた。でも大阪に出てきて11年。"初めてのこと"が少なくなり"慣れ"も生まれてきてからはその空気感を味わうことはなくなっていった。
ただMCバトルの現場は、その「僕の好きな空気」が常に流れている現場なのである。僕はMCバトルが好きだった。

本題に入る前に。僕は「日本で一番MCバトルに出場した芸人」であり、「日本で一番昔からMCバトルに出場している芸人」だと思っている。(異論は認めます)

具体的には2015年から。
今芸人がMCバトルに参加すると「あー、流行ってるもんね」の時代になったが、当時は「なんで芸人が出てきてんねん。◯すぞ。◯ね」とステージに上がればブーイングを浴びせられまくった時代だった。
そんな中僕は、クラブに人がMCバトルの出場者5人と客1人の6人しか居ない小箱のバトルから、キャパ1000人の日本一を決める大会まで様々なバトルに出場した。週4でバトルに出ていたときもあった。
僕はその度に「僕の好きな空気」を感じていたのだが、ある日からMCバトルに参加しなくなった。
しかし、いま再び僕は「MCバトルに出たい」と思っている。猛烈に。
今回はその話と経緯を、すこし書いてみようと思う。

(これからの一連の記事はあくまで"芸人"の僕が見て感じた話であり、"HIP HOP"について偉そうに語っているものではありません。)


1.人生初ラップ

2011年、僕は愛媛の県立高校に通う高校3年生だった。中学生のときヒップホップにハマった僕は、その流れで高3のときも変わらず毎日ラップを聴いていた。
ハマったきっかけは小学生のとき母のCDラックにあったRIP SLYME。そこから独学でヒップホップにハマった僕は高校生だった当時、PSGの1stアルバム「David」やDINARY DELTA FORCEの1st「Bed Town Anthem」を特に好んで聞きながら商店街を意味なく散歩し、"ヒップホップな空気"を感じているつもりだった。日本語ラップばかり聴いてたので、クラスの友達とカラオケに行くとなると歌える曲がなくて毎回困っていた。

僕が当時なぜPSGとDDFを好んで聴いていたいたのか。それには理由が二つある。
まずヒップホップにハマっていた僕は、YouTubeで様々な曲やライブをdigっていた。そのときにたまたま見たのがUMB(日本一のMCを決めるMCバトルの大会)の2006年全国大会本戦。
東京代表PUNPEE vs仙台代表UNCHAINの動画だった。
当時「ラッパーはダボダボの服を着たいかつい人」という固定概念があった僕はその動画を見て常識を覆された。というのもほとんどのラッパーがダボダボのジーンズにオーバーサイズの服を着ている中、PUNPEE氏はオカッパマッシュルームヘアーに、カーディガンで出場していたのである。そしてキャラに合った独特のライミングで敵を圧倒していく。
"ラッパーはいかつい人がやるもの"という固定概念を覆された。僕は当時から陰キャで芋っぽかったが、"こんな僕でもヒップホップに関わってもいいのかも"と希望が持てた。
その反対でDDFは僕がもともと持っていた"ラッパー感"を纏いながら、地元について歌っていてかっこよかったので憧れた。だからその2組のCDを好んで毎日聴いていた。
PUNPEE氏は今「水曜日のダウンタウン」のOPを歌うなど、大活躍しているのでヒップホップに興味のない方も是非見てほしい。

当時、愛媛のインディーズお笑いライブに出演し芸人を目指していた僕は、年齢が2個上の同じくインディーズライブで漫才をしている人と仲良くなった。その過程の会話の中で「ヒップホップが好き」というと、「地元の友達がラッパーだから紹介してしてあげる」と言って、その人を紹介してもらった。Disryさんというラッパーである。(彼は後にUMBで5年連続四国代表になるすごい人だ)

初めて彼に会った日、彼の家に招待してもらった。
その彼の部屋はヒップホップのCDやポスター、そしてレコーディング用のマイクや機材が置いてある傍ら、アニメのポスターやDVDも並んでいた。
「ヒップホップも好きやけど、アニメとかゲームもめちゃくちゃ好きやで」
ゴリゴリのラッパーを想像していた僕は、ああそこは僕と同じなんだと親近感を覚えた。
「ラップ好きなんやろ?やった方が楽しいで」そう言って彼はラップのinstを流してフリースタイルを始めた。トラックはpitch blackのrevengeだった。

僕は無我夢中で人生初ラップをしたのだが、Disryさんは「ほんとに初めて?めちゃくちゃ上手やん」と褒めてくれた。毎日シコシコ夜中にYouTubeでフリースタイルの動画を見ていたからだろう。心臓はずっとバクバクしていたがなんとかできた。

「今度行きたいイベントあるからさ、一緒にクラブ行こうや。クラブ初めてでしょ?」
その流れで人生で初めてクラブに行く約束をした。

初めてクラブに行く当日、僕はビクビクしていた。
「クラブってどんなところなんだろう。殴られたりするのかな」偏見だけで怯えていた僕はとりあえずお母さんに買ってもらった唯一の横つばのNewEraのキャップを被って出かけた。

Disryさんと合流し、はじめてのクラブに向かった。
「全然緊張せんでいいよ。今日行くのは楽しいところやから」
初クラブの僕は"楽しいところ"というワードにも勘繰って怖いところを想像しまくっていた。
「ほぼスッポンポンのギャル達が踊っているのだろうか、薬物の売買でもしているのだろうか」様々な想像を道中でした。
だが到着した先でしていたイベントは「アニソンナイト」というイベントだった。
「今日は、DJの人がひたすらアニソンとかゲームの音楽かけてくれるんよ。初めてでも楽しめるよ」
ほっとした。とにもかくにも、僕の人生初クラブはアニソンのイベントだった。

初クラブは衝撃的だった。両親の仕事柄、ライブハウスやライブバーに行くことは多々あったが、ターンテーブルを回してスピーカーからガンガン音楽が流れる場所は初めてだった。重低音が心臓も金玉も下から突き上げてくる。すごく新鮮で楽しかった。
普段は馴染みのないタバコとホコリの混ざったの匂いと初めて見る銘柄のお酒の瓶が、周りの同級生よりも先に大人の世界に入ったかのように錯覚させた。
ジンジャエールを片手にDJが流す音楽に耳を傾けていると、Disryさんが突然その音楽に合わせてフリースタイルを始めた。
「ラップって何か音があったらそれに合わせてできるんよ、楽しいやろ。一緒にやろう」
そう言われて僕も見様見真似でスピーカーから出る音楽に合わせてフリースタイルをした。
するとそんな僕たち2人を見ていたDJが突然、アニソンからヒップホップの音楽に切り替えた。そしてそのDJがこっちに近づいてきた。
「ラップ好きなんですね。僕も本職はヒップホップのDJなんですけど今日このイベントに出てるんです。嬉しいんで、めちゃくちゃにラップしてください」
そう言って彼はヒップホップのinstを流して、僕ら2人は夢中でフリースタイルをした。
これが僕の人生ではじめてクラブでしたフリースタイルだった。決して上手ではなかっただろうけど、「ヒップホップはいかつい人だけができる音楽」という固定概念が吹き飛んだ。音と勇気さえあれば、ラップはこんな自分でもできる。それが楽しくて、その日はただひたすらにラップをした。

それからもDisryさんにはよく遊んでもらって、家やカラオケ、そして夜中の商店街でスピーカーを繋いでフリースタイルをした。
だが僕は大阪でNSCに入学することが決まっていたので、別れの日が来た。
Disryさん絶賛のエロゲやゲーム、そしてヒップホップのCDをたくさんもらって最後の別れ際
「芸人なるために大阪いくのはわかってるけど、ヒップホップ好きなんやったらラップも出来たらやってな」
僕は「はい!やります!」と答えながらも、「ヒップホップ好きな人に出会えたことなんか今までにDisryさんが初めてやし、大阪にいってもそうなんやろうな」と思っていた。
そして僕は大阪に旅立った。

しかし6年後、僕とDisryさんはUMBの四国代表を決める大会のベスト8で戦うことになる。
僕は大阪に行ってから、ヒップホップに、そしてMCバトルに精を出すことになるのであった。

つづく。

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