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ソクラテスの裁判の真相

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ピタゴラスについてのリンク足し:2024年5月9日

ソクラテスの裁判(前399年)は、アテネのパンテオンに対する不敬罪と、都市国家の若者の堕落という二つの罪状について、哲学者の有罪を決定するために行われ、告発者はソクラテスの二つの不敬行為を挙げた。それは、「都市が認める神々を認めないこと」と「新しい神々を導入すること」であった。

パンテオン諸神(すべての神々)を祀る神殿のこと、多神教。

ソクラテスの死刑は、弟子たちに政治哲学的な質問をした結果、道徳的な堕落と不敬罪という二つの告発を受けたことによる法的帰結であった。裁判では、ディカスト(くじ引きで選ばれた男性陪審員)の多数決で、2つの容疑についてソクラテスに有罪判決が下された。その後、一般的な法律慣行に従って、ソクラテスの刑罰を決める投票が行われ、ヘムロックという毒物を飲んで死刑を執行するという判決に同意したのであった。

ソクラテスの裁判と処刑については、プラトンの『ソクラテスの弁明』と、彼の弟子でもあったアテネのクセノフォンの『ソクラテスの陪審員への弁明』が一次資料となっている。現代の解釈としては、ジャーナリストのI・F・ストーンによる『ソクラテスの裁判』(1988年)や古典学者のロビン・ウォーターフィールドによる『なぜソクラテスは死んだ:神話を打ち破る』(2009年)などが挙げられる。


背景

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哲学者ソクラテスが道徳的堕落と不敬の罪で裁かれる前、アテネ市民は彼を自分たちの社会の知的・道徳的アブ虻・gadfly)として知っていた。アリストファネスは『雲』の中で、ソクラテスを詭弁を弄する哲学者として登場させ、青年フェイディピデスに父親を殴ることを正当化する議論の立て方を教えている。

ソクラテスはソフィストとの関係を否定しているが、劇作家はアテネ人がソクラテスの哲学的教えをソフィストと結びつけていたことを示している。哲学者としてのソフィストたちは、「紀元前5世紀のギリシャに現れた一群の詐欺師であり、大衆の信心に訴えて十分な生計を立てていた。徳を教えると公言して、実際には誤った言説の術を教え、一方で不道徳な実践教義を広めていた」。

gadfly=1.家畜にたかるハエ・アブ類の総称。2.口うるさく批判する人。DeepLでは英語の「ガッデム」(goddamn)に翻訳される。「くそっ!」や「ちくしょう!」などの意味。
違う文章では、便所コウロギカマドウマと出たり。

日本語翻訳は畜生が良いかなと思いつつ、すぐ下の文でもう一度、出てくるが、gadflyは刺すものなんだ・・・。ハエにも刺すものが一種類いるが、アブの方が刺すんだ、特にうしあぶ」。(正確には噛むんだけど)

うしあぶ」牧場などで牛や馬などを襲って吸血する大型のアブ。このnoteの翻訳は短く「アブ」にしときます。Googleでもアブ。Microsoftでは妖怪

◉例文などを見ると臨機応変に変える単語ようだ・・
例文1:
The ancient Greek philosopher Socrates engaged people in serious philosophical dialogues, but many thought he was just a gadfly.
「古代ギリシャ哲学者ソクラテスは人々と深い哲学的対話をしたが、彼は難癖をつけているだけだと思った人も多かった。」

例文までソクラテス!( ;´Д`) 翻訳は難癖者でも良かったかな?
単語の意味を直訳すると道徳的虻(アブ)蠅(ハエ)なんだ・・。

>ソクラテスはソフィストとの関係を否定している。ソクラテス的に尊敬できる本来の意味の教師であるソフィストもいた。ソフィストという言葉は、紀元前7世紀は優れた知識のある教師、哲学者的な意味で、ソクラテス・プラトンの5世紀にソフィストが詭弁をばら撒き大衆は怒り、詭弁家と意味が変わり現代に続き・・
今のTwitterの知識があるフリの工作員まで続く。(;´Д`)
それに騙された一般アカウント(大衆)もデマゴーグになりデマをばら撒く〜〜_| ̄|○iii

星の数のソクラテスを哲学者として紹介するやたら読みやすい、すぐわかると歌う豆知識blogとAmazonの本の著者もソフィスト(詭弁家)。
これ、紀元前5世紀のギリシャで起きた国家を転覆させる手法。

学識経験者、著名人は意味不明の雲に巻くだけの結局、謎は解けなくする無駄な暗記知識をばら撒く俺様知識人ぶりっ子の芝居をする詐欺師。この手口の源流は詭弁家(ソフィスト)のソクラテス。

『雲』のほかにも、喜劇『スズメバチ(The Wasps)』(前422年)でも、年配の男性と若者の間の世代間対立が描かれている。このようなアテネの男たちの世代間の社会的対立の表現は、特に前425年から前415年の10年間において、アテネのシチリア侵攻への反対や支持に関する対照的な立場を反映していると思われる。多くのアテネ人はソフィストやソクラテスの教えが若い世代に道徳的に虚無的で自分たちの社会を見下す態度を植え付けたと非難していた。

ソクラテスは著作を残さなかったが、弟子で友人のプラトンはソクラテスを主人公としたソクラテス対話を著した。ソクラテスのイレンクティクな知的探求の方法は、知恵と徳のある人間としての信用を脅かすものであり、ライバルである知識人たちは教師として憤慨した。

イレンクティク(elenctic)=反対論証的な:詭弁の、反駁の。(;´Д`)

ソクラテスは自分自身をアテネの「アブ」と表現したと言われることがある、アテネは鈍重な馬のように彼の「刺す」ことによって興奮する必要があった。プラトンによる彼の弁明のギリシャ語テキストでは、ソクラテスは実際に自分自身を表現するためにその言葉(「アブ」「興奮」)という言葉を使ったことはない。

むしろ彼の言葉は、「刺すために都市に取り付いた(proskeimenon tē polei)(文字通り)と言うだけで、単にほのめかしているにすぎない。それにもかかわらず、彼は自分がアテネ人への神の贈り物であるという大胆な主張をしています。そして、ソクラテスのイレンクティク(詭弁)な方法は、アテネの若者たちに多く模倣された。


アルキビアデスや三十人の暴君たちとの交際

アルキビアデスはアテネの将軍で、ペロポネソス戦争中の悲惨なシチリア遠征の主唱者であった。 そこでは、5万人以上の兵士と非戦闘員(トリレメス号の漕ぎ手など)からなるアテネの侵攻軍のほとんど全員が殺されるか、捕らえられ奴隷にされた。

彼は、ソクラテスの教え子であり親友であり、ポティダイア(Potidaea)包囲戦(前433-429年)ではソクラテスの仲間であった。ソクラテスはアルキビアデスの親友、崇拝者、そして指導者として約5、6年在籍した。

彼の経歴の中で、アルキビアデスは裁判に呼び出された後、アテネの最大の敵であるスパルタに亡命したことで有名です。その後、彼の恩人(スパルタの王)の妻との不倫は発覚し、ペルシャに亡命した。

彼はその後、ペルシャがスパルタに対抗して自分たちを助けに来るとアテネ人を説得することに成功した後、彼はアテネに亡命しました (ペルシャにはそのような意図は無かったが) 。アルキビアデスは、スパルタとのノティウムの戦いの敗北後、ついにアテネから追い出され、紀元前400年にフリジアでスパルタの敵によって暗殺された。

アルキビアデス(古代ギリシア語: Αλκιβιάδης / Alkibiádēs、紀元前450年頃 - 紀元前404年)は、アテナイの政治家、軍人。ソクラテスの弟子であり、アテナイ衆愚政治を代表するデマゴーグ。アテナイの政敵により一時追放されたため敵国スパルタに味方し、結果的にペロポネソス戦争でアテナイを敗戦に導いた。
幼い頃から傲慢・横暴で、自らの優れた才能を愛し、凡人である他者を見下していた。それに反し、師匠であるソクラテスにおいては、ソクラテスが他者を見ただけで嫉妬心を覚えるほど心酔しており、その美貌で何度も彼を誘惑していた。
アルキビアデスの政敵でもあるニキアスが停戦を提唱し、紀元前421年のニキアスの和約によってアテナイ率いるデロス同盟とスパルタ率いるペロポネソス同盟は講和することになった。しかし、主戦論を唱えるアルキビアデスはそれを破って再び戦争を再開させ・・・・。

アルキビアデスは女も好きだがホモ?
世界大百科事典内のアルキビアデスの言及
【男色】見るべし

3.
ソクラテス&アルキビアデス❤️(古代ギリシア

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アルキビアデスはソクラテスの愛を欲しがり、その美貌をもって何度もアピールしたようです・・。
アルキビアデス「私に本当の愛を与える資格があるのはあなただけです」
ソクラテス「私は私が無知であることを知っているのだ」


そう言って(たぶん裸の)アルキビアデスを抱きしめて眠ってしまった。

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ソクラテスとアルキビアデス❤️

ソクラテスがアルキビアデスなどの若者と恋愛関係にあったことを示唆する文章がある。『ゴルギアス』においてソクラテスはアルキビアデスと哲学の二重の恋人であったと主張している。

でっ、大人になり将軍になり国をメチャクチャすると。(;´Д`A

名称定 1

検索したらコイツラ、ホモダチで有名なんだ・・・(;´Д`)

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