エチオピアのアムハラ族とゲエズ語とソロモン朝とエチオピア帝国
このメイン記事はマリファナ解禁騒ぎで危険性を調べるためラスタファリズムも調べていた。その時に翻訳してあった情報があるのだ。7584文字
天皇調べでエチオピアまで調べる羽目に。後で天皇と話が繋がりますんで、先に出しとく。
メイン記事の前に説明しておく
ソロモン作戦(ソロモンさくせん、英語: Operation Solomon、ヘブライ語: מִבְצָע שלמה, Mivtza Shlomo)は、1991年5月にイスラエル空軍などの協力によって行われた、ベタ・イスラエル(エチオピアのユダヤ教徒たち)をイスラエルへ短時間で大量輸送して脱出させる作戦。
電話でイスラエル政府を動かすオバディア・ヨセフ(Rabbi Ovadia Yosef)
1973年、Rabbi Ovadia Yosefから電話があり、彼はエチオピアのユダヤ人はダンの部族の子孫であると宣言し、彼らのイスラエルの償還を要求した。2つの秘密作戦で、エチオピアのユダヤ人がイスラエルに連れてこられた。
1983年から1985年にかけた最初の「モーゼス作戦」では、2万人近くのユダヤ人がイスラエルに移住した。第二の、1991年5月末に、「ソロモン作戦」でさらにエチオピアから14,087人のユダヤ人がイスラエルに移住した。エチオピアの首都のアディスアババの待機キャンプに到着出来なかった追加の4,000人が次の月に移住した。
この辺は大量に翻訳したので資料はある。誰も読まない気がしたので出さなかったが、出しとこう。
ソロモン朝
ソロモン朝
ベテ・アムハラ(アムハラの家)出身の王子イェクノ・アムラクはソロモンの子孫であると主張し、西暦1270年にソロモン朝を建てた。イェクノはアンサタの戦いでザグウェ朝の最後の支配者を破り、エチオピア教会によって統治が正統化された。
ソロモン朝は西暦1270年以降、1974年にハイレ・セラシエが退位するまで何世紀にもわたってエチオピア帝国を統治してきた。
アムハラ族は継続してエチオピア帝国を統治し、テグレット、デブレ・ベルハン、バララ(現代のアディスアベバのエントト山にある)、ゴンダー、マグダラなどいくつかの中世の王宮跡や首都を設立し、政治的中核を形成していた。
アブラムの宗教のいずれかに固執するアムハラ人は、宗教上の理由から、いかなる種類の豚肉や貝類も食べません。
(ユダヤ教とイスラム教は食べてはいけない。)
15世紀のエチオピア・コプト教の祈祷書から引用されたゲエズ語の一例
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』ともいうべき『ケブラ・ナガスト』を作らせた。上記はそのケプラ・ナガストの記述に基づく。もちろん伝説であり、史実として確定している訳ではないようだが。しかし日本のマスメディアでは日本版古事記は史実として語られる。_| ̄|○
リンク
エチオピア版『古事記』の『ケブラ・ナガスト』の記述がどの程度真実かは置いといて、エチオピアの地に1200年代にユダヤ人が来て、国を奪い王になったのは、こりゃ〜確実だなと。だから700年代に国が乗っ取られた日本と似ている。間にまともなエチオピア人の王の統治の時期もあるようで、取り調べ中。
でもついに、悪の独裁者、ユダヤ人の王ハイレ・セラシエ1世は倒された。日本人も頑張ってユダヤ人の王、天皇を倒さなければいけない。(;´Д`)
しかし・・エチオピアの飢餓までいく貧困は、ユダヤ人に国を奪われたところから来ていた。
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