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女性の「政治と暴力の奪還」とは何か―70年闘争から現在—

※2024年全学連大会議案より抜粋し、掲載します。


「女性活躍」押し出す自民党総裁選・米大統領選

 11月の米大統領選で女性初の大統領を目指すカマラ・ハリス。民主党の全国大会(8月19日)では、ハリスの支持を訴えて2016年大統領選候補ヒラリー・クリントンが演説した。「私たちは最も高く、最も困難なガラスの天井に多くの亀裂を入れた。突破できる所まで来ている」

 他方、過去最多の3名の女性候補が出馬に意欲を見せた9月自民党総裁選を巡っても「女性活躍」が押し出された(出馬表明:高市早苗・上川陽子、断念:野田聖子)。8月28日、稲田幹事長代理ら女性議員が会合を開き、「女性活躍を総裁選での大きなテーマにしてほしい」として、「女性閣僚30%以上を目標とする」ことなどを盛り込んだ提言を取りまとめた。

 米大統領選、自民党総裁選や先の東京都知事選で女性が主要な候補となり、女性初の連合会長や日本共産党委員長、検事総長も登場している。果たして「ガラスの天井」を打ち破ることによって、女性差別は撤廃されつつあるのか? リベラル・フェミニズム潮流は「Yes」と言うだろうが、我々の認識は断じて「No」である。より批判的なフェミニストたちは「ガラスの天井」になぞらえて「ガラスの崖(断崖)」という言葉で現実を批判している。組織が危機的状況の時ほど、女性が責任あるポストに就かされる傾向にあるという現象を指摘した言葉だ。支配階級は女性差別などなくなりつつある/なくそうとしていることを演出することができ、女性たちは指導的地位に就くチャンスが極めて限られていることからリスクの高さをわかっていたとしても引き受けざるを得ないという「進むも地獄、退くも地獄」の選択を強いられ、実際に失敗すれば「やはり女性はトップに向いていない」という評価を再生産できるというものだ。
 こうして一握りの女性を支配階級の一員とする一方で、低賃金のケア労働を経済的に弱い立場に置かれた移民などの女性に押し付け、大多数の女性を「安い労働力」として利用し、極限的に格差を拡大している。
 「ガラスの天井」を打ち破り体制の一員になる「リーン・イン」というリベラル・フェミニズムの教義は、支配階級によって容易に利用できる。

 それだけではなく、G7帝国主義支配階級はリベラル・フェミニズムを積極的に推進することを通して、女性を戦争動員し、「敵国」に対する進歩性・先進性を強調し侵略戦争を正当化している。イスラエルは「これが真のフェミニズム」だと言って銃を持つ女性兵士の姿を示し、「女性が一人で出歩くことも許されない中東でこのように女性が活躍できるのは中東唯一の民主主義国家イスラエルだけである」と宣伝し、 「対テロ行動」と称して今もパレスチナの女性や子供を無差別に虐殺し続けているのだ。

 帝国主義は、新自由主義と戦争情勢のもとで女性やセクシャル・マイノリティの取り込みを積極的に行い、進歩的・革新的なヴェールをまとって階級闘争解体の尖兵に仕立てあげている。

 戦前の女性運動は「国防婦人会」として侵略戦争に加担していった。市川房枝は、国防婦人会に参加する女性を見て「かつて自分の時間を持ったことのない農村の大衆婦人が、半日家から解放されて講演をきくことだけでも、これは婦人解放である」(自伝より)という感想を抱いた。無権利状態の中、社会から蔑ろにされてきた女性が国家に必要とされること、それが女性の政治参加であり、女性解放だと考えたのである。そのうえで市川は大政翼賛会に婦人部の設置を要求し、政府に対しては女性を積極的に戦時徴用するように提言している。

 戦争情勢下、労働者の動員のために支配階級の側から「多様性」や「ジェンダー平等」が叫ばれている今日、体制内化攻撃との闘いなくして女性解放闘争は成り立たない。このペテンに飲み込まれれば戦前の婦人運動が戦争協力の道を歩んだのと同じ轍を踏むことになる。改めて、私たち労働者階級の立場をはっきりさせて闘うことが必要だ。今まさに中国侵略戦争情勢下で帝国主義の側に女性が動員されるのか、革命の側が女性を獲得するのかという、最大の党派闘争が展開されている。革命の側、全学連運動への女性の結集、獲得こそが今最も求められていることだ。それが革命の勝利にとって必要だというだけではなく、女性にとっても帝国主義を打倒し私有財産制を廃止することなしには女性差別からの解放はないのである。

「『先進』諸国の資本家たちは彼らを実際にも買収している…ブルジョア化した労働者あるいは『労働貴族』のこの層は、…今日ではブルジョアジーの主要な社会的支柱(軍事的支柱ではないが)である。なぜなら、彼らは、労働運動の内部におけるブルジョアジーの真の手先であり、資本家階級の労働者手代であり、改良主義と排外主義との真の伝達者だからである」
「日和見主義は、幾多の国で、終局的に成熟し、爛熟し、ついに腐敗してしまって、社会排外主義として、ブルジョア政治とすっかり融合しあっている」

レーニン『帝国主義論』


普遍的な女性解放の課題

1)女性解放のためになにが必要か?—70年闘争以来の取り組み―

 我々は、このような女性差別の現実、帝国主義の攻撃に対して、いかなる路線をもって女性解放闘争を闘うべきか。それは、戦争の内乱への転化、すなわち戦争と差別・抑圧の元凶である帝国主義の打倒に向かって、労働者階級人民の内乱的決起をつくりだすことである。そしてその闘いの中で女性が自らの手に政治と暴力を奪還し、反戦政治闘争の主体的担い手として社会の根底的変革に向けたあらゆる課題を自らの課題として闘うということである。女性が先頭に立って闘える組織・運動の建設をますます進めていこう。

 この「女性の政治と暴力の奪還」というスローガンは、全学連運動の女性解放闘争の路線として、70年闘争の過程における女性解放闘争の取り組みを通して確立された。

 当時、社会党・共産党指導部や労働組合幹部は女性を「階級意識の低い、遅れた存在」と見なして組織や運動内で補助的な役割を押し付けていた。しかし、日本共産党スターリン主義を批判し 「のりこえて」 登場したはずの新左翼諸党派においても、この点に関しては既成左翼とほとんど変わるところがなかった。このことへの不信と絶望、怒りが、1960年代にアメリカから始まったウーマン・リブ運動(今日では第二次フェミニズム運動と呼ばれている)の爆発として左翼全体に突き付けられた。

 全学連はウーマン・リブ派からの糾弾と向き合い、学ぶところから出発し、女性解放闘争の理論と実践の両面での取り組みが開始された。その後の71年秋の渋谷暴動闘争は、「糾弾と批判を身をもって貫徹する決意を込めて、自らの自己変革をかけて、自ら暴力を奪還し、闘いの最先頭、最も困難な闘いを担い切った」(田島論文)女子学生の決起によっても勝ち取られた。

 しかしその後、結果として全学連はウーマン・リブ運動と袂を分かち、党派闘争を展開してきた。それはウーマン・リブ運動が左翼運動・労働運動への不信と絶望を、「マルクス主義の限界」として理解し、マルクス主義そのものの否定にのめり込んでいったためだ。女性労働者が男性とともに労働者階級として一つになる団結を形成しようとすることに反対して、労働者階級への不信をあおり、女性が被抑圧者であることを一面的に強調し、 女性の独自利害を掲げてブルジョア女性を含めた 「全女性の団結」 を組織することを主張した。
 ウーマンリブ運動は70年決戦の内乱的爆発の渦中で、帝国主義足下の労働者・学生としての自国政府打倒の闘いを放棄し、排外主義に転落していくこととなる。彼女たちは、かつて日帝によるアジア侵略の尖兵を女性運動がになった歴史をかえりみることなく、帝国主義との闘いを脇においたところでの「意識の変革」 と、それを促進するために女性の権利を拡張する制度・政策を国家に求めることが女性解放運動であるとしていったのだ。
 これは女性解放闘争も含めた労働者階級全体の闘いの中にこそ、この社会を根底から変革する力があることを否定するものであり、マルクス主義が明らかにしたプロレタリア革命と女性解放闘争との根源的な一体性を否定し、破壊するものであった。
(※既成左翼指導部の反動的対応がその状況を促進した。日本共産党スターリン主義などはリブの運動を頭から蔑視し否定して「マルクス主義が分かっていない」とせせら笑ったのである。)

 ウーマンリブ運動の登場当初はまだ〈スターリン主義=マルクス主義〉とみなされていた時代であり、起きている事態を「スターリン主義によるマルクス主義の歪曲」の問題として捉えたのはわれわれだけであった。そうした立場のないところには、マルクス主義を否定しない場合でも「女性の解放はマルクス主義だけでは語れない」という思想が跋扈するのは不可避であった(水田珠枝、上野千鶴子など)。
 ウーマンリブ派からの糾弾においてわれわれ新左翼が問われた核心問題は、女性を革命の主体ではなく「階級意識の低い、遅れた存在」「補助的な存在」として見なしてきたスターリン主義との対決=決別であった。

 スターリン主義とウーマン・リブ運動のどちらもが女性を反戦・政治闘争の主体とは見なしていなかった。この両者に対する路線的批判として、またわれわれ自身のスターリン主義からの決別をかけて、全学連は「政治と暴力の奪還」を掲げて女性解放闘争を闘ってきたのである。女性は歴史的に社会においても家庭においても暴力で支配され、政治から切り離されてきた。彼女らが反戦闘争をはじめとする政治闘争・大衆的実力行動を先頭で闘い、運動の指導的部分を担う中で、政治と暴力を奪還していくことが女性解放の土台をなす。女性たちを女性だからという理由で「女性的な課題」ばかりを担う主体として位置付け、切り縮めるようであっては絶対にならないのだ。

2)女性差別の根源は私有財産制

 女性が階級社会のもとで政治と暴力を奪われている根拠は、何よりも私有財産制における家父長的家族制度のもとで女性が「家内奴隷」「子産み道具」とされてきたことにある。人類の生産力が限られていた原始社会は、一部の人間が富を占有することで他人を支配することができない(その条件のない)無階級社会だった。しかし農耕や牧畜の発展によって生産力が増大し、社会的分業が進むにつれ、全く新しい社会関係がつくり出された。肉体労働に従事してもっぱら生産を担う階級と、家畜や奴隷などの生産手段を所有し管理業務や宗教的儀礼などの肉体を用いない精神労働を行う階級へと社会が分裂していったのだ。ところで、「当時の家族内での分業によれば、食料の調達とそれに必要な労働手段の調達は夫の仕事であり、したがって後者の所有もまた夫に属していた」(エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』)。すなわち夫は「家畜の所有者であり、また……奴隷の所有者でもあった」(同)。
 こうして生産手段(家畜や奴隷)を所有する夫が、自分の子であることが確かな男子にその財産を相続させるために、(父親が確実にはわからない)古代の比較的自由な性関係から妻の「貞操」を管理する必要が生じ、一夫一妻制家族が確立していったのである。この家族制度は、実際には女性にのみ強制された「一夫一妻制」である。夫の買春や不倫は禁じられない一方で、妻の「姦通(かんつう)」は厳しく禁じられ、「子産み道具」「家内奴隷」にされてきた。ここに有史以来の女性差別の物質的・イデオロギー的基礎がある。
 私たちは家族関係や性のあり方を支配階級によって押し付けられ、人間らしい関係から疎外されている。男性も階級社会の中で絶え間ない抑圧を受け、「差別者・抑圧者」への転落を強制されている。この家族制度・イデオロギーの中で、それに「そぐわない人々」である「独り身」や「後継ぎの男児を産めない・産まない」女性、さらにはセクシュアル・マイノリティに対する激しい差別・抑圧も生み出されてきた。
 私有財産の発生と社会的分業の発展は、支配階級にとって「価値のある」生産労働を第一に優先し、そこに生殖や育児といった領域を従属させた。こうして、古来の男女の体力・体格差や生殖機能に基づく生理的・自然発生的分業は、社会的分業に従属させられることで、女性差別・抑圧として拡大・固定化されるようになった。

 そして、この家父長制家族が何によって貫徹されるかといえば、何よりも暴力によってであった。その暴力は社会関係やイデオロギー、法体系にまで高められながら、日々の直接の暴力によって補完され貫徹されるものとしてあった。かつては家長が妻を殺しても罪をとがめられることがなかった歴史すらある。今でも多くの人々が、父親による自身や母親に対する暴力・抑圧の経験を語っている通り、この本質は現在に至るも続いているのである。

 有史以来、数千年の重みを持つ女性差別・抑圧の廃絶は、一人ひとりの女性がこれまでの自分のあり方をも乗り越えて自分自身の力(=政治と暴力)をその手に取り戻し、家族制度の廃止=私有財産制の廃止を闘いとることよってのみ最終的に実現することができる。

3)女性の闘いが社会を変える

 実際に70年安保・沖縄決戦で数多の女性が「女性だから」という差別・抑圧を吹き飛ばして政治的に決起して実力闘争を闘ったことは、全社会に価値観の転換を強制するものであった。

 60年代半ばは、「女性=弱い性、劣った性」との見方が社会全体を支配している中で、女の仕事は家事・育児」が当たり前のこととされ、女の子が将来何になりたいかと聞かれれば「お嫁さん」 であり、専業主婦が圧倒的な時代であった。それだけでなく「女に学問はいらない」とされ、大学の文学部に女子学生が増加し始めたことに新聞紙上などでは「女子学生亡国論」(男は卒業すれば働いて家族を養わなければならないのに、女が男を押しのけて高等教育の場に進出するのは、長い目でみれば国が滅ぶことにつながる、という暴論)が危機感をもって公然と語られていた。「女はスカートをはくべき」とされ、ジーンズ姿でホテルのロビーに入ろうとすると「ご遠慮ください」と拒否された。さらに若い女性が夜遅くに街を出歩くのは「売春婦」のやることであって「良家の子女」のやることではないとされ、 結婚に際しては 「処女か否か」 が問題にされ、婚前交渉は一切認められず、離婚歴のある女性はまるで罪を犯した者であるかのように排斥された。女性が集会でマイクを握って演説すれば奇異の目で見られ、女性の側も自信を持てずに発言を遠慮し萎縮している状況があった。戦後憲法に「両性の平等」が明記され、旧民法の家制度 (戸主制度) に関する規定が廃止され、女性に参政権が与えられても、実際の社会生活においては戦前とほとんど変わらない女性差別・抑圧が日常的に強制されていたのである。

 全学連は「女性の政治と暴力の奪還」のスローガンのもと、こうした状況を意識的に打ち破り、女性が集会の基調報告者となる、デモ指揮を執るなど、闘争の現場において女性に重要な役割を任せその力を引き出す取り組みを開始した。このような女性の政治闘争への大量決起は、一種の「文化革命」をも伴った。 デモに参加した女性がジーパンをはいたままホテルの中を闊歩しても、深夜に街をふらついていても、もはや誰もとがめる者はいなくなり、逆に「パンツスタイル」が女性の流行のファッションに浮上するまでになった。

 帝国主義やリベラル勢力は議会での法整備やリーン・インによって「進歩」や「男女平等」が実現してきたかのように描いているが、実際には労働者階級の女性による実力の闘いに規定されているのだ。

 これにたいして帝国主義支配階級は、70年闘争で全世界的に爆発した女性の決起を体制の内側に思い切ってとりこむことで、革命への発展を予防し圧殺することに全力を挙げた。 プロレタリア革命への不信を表明していたウーマン・リブ運動(第二波フェミニズム運動)は、その絶好のターゲットとなった。75年の国連の「国際婦人年」 に始まるこの体制内化攻撃は、新自由主義攻撃の本格的開始と結びつき、フェミニズム運動を労働組合と労働運動破壊の先兵に仕立て上げて動員していくものとなった。

 それを最も典型的に示したのが、日本において国鉄分割・民営化(1987年)、労働者派遣法(1985年)とセットで仕掛けられた「男女雇用機会均等法」制定(1985年)の攻撃だ。この法律は中高の教科書などでは「男女共同参画社会基本法」(1999年)と並んで男女平等を実現させた法律であるかのように語られている。しかし現実には、均等法は膨大な女性を「子どもを持つ女性が働きやすい」といううたい文句で不安定・低賃金のパート労働や派遣労働に追い込み、変形労働時間制の導入=8時間労働制の解体を強行し、女子保護規定(時間外・休日労働の制限、深夜労働や危険有害業務の禁止)を次々と撤廃した。その結果、女性労働者が得た「自由と権利」とは、超長時間労働や深夜労働で体がボロボロになるまでこき使われる「自由」であり、正社員の半分以下の低賃金で正社員と同じように多重業務や重労働、残業までも課せられるという「権利」である。

 均等法攻撃は労働者全体が必死の闘いを通してもぎ取ってきた諸権利をすべて剥奪し、今日に至る総非正規職化と極度の低賃金・過労死・貧困化、労組破壊と無権利化の突破口を開くものだった。しかし当時の日本共産党や日本社会党、女性団体・フェミニズム活動家は全て均等法を男女賃金差別の解消と女性の地位向上にとっての「一歩前進」として制定を推進した。均等法の反動的狙いを見抜いて当時から断固反対の立場を貫いたのは、全学連や婦人民主クラブをはじめとするわれわれの潮流だけであった。

ふくれあがっていく不平等とすっかり親和しながら、リベラル・フェミニズムは抑圧をアウトソースする。…リベラル・フェミニズムは階級や人種に対して無関係を貫き、我々の信念をエリート主義や個人主義につなげてしまう。またフェミニズムを「孤立無援」の運動に仕立て上げることで、私たちを切り離してしまう。端的に言って、リベラル・フェミニズムはフェミニズムの名をおとしめたのだ

『99%のためのフェミニズム宣言』

4)政治と暴力を奪還し真の解放を手繰り寄せよう

 日本共産党スターリン主義は、<家族制度の廃止・止揚>という問題への取り組みを完全に放棄し、70年代当時女性党員はなんと「家事雑用の負担を考慮」されて、男性とは違って「月一回の会議」でよいとするという凄まじい女性差別を行っていた。これに対して、私たちは活発に活動していた女性が出産を契機に活動の第一線から身を引かざるを得ない現実を、「しかたがない」と容認してきた左翼運動の在り方を転換し、これを個人の問題とするのではなく組織と運動全体の団結で突破する闘いへと踏み出した。女性の集会参加を保障するために会場内に託児所を設けることに始まり、ローテーションを組んでの共同保育の場が作り出された。

 女性差別が全社会に依然として溢れかえっている現実がある以上、女性が全学連運動に合流すればするほど、女性差別と闘い抜ける組織・運動であるのかということが不断にかつ激しく問われる。女性差別との闘いということでは、こうした闘い・対応に男子学生が先んじて取り組むことが重要である。かつ、それは代行主義であってはならず、きちんと当該の女性たちの意思を尊重しながら進めることが実践的には問われることである。
 女性の防衛ということも、こうした観点で検討され実践される必要がある。女性を女性差別的事象から防衛することは運動の課題である。しかし、女性は単に防衛されなければ自立できない存在なのではなくて、自らを防衛する能力をも持つことのできる存在なのであり(※歴史的に言えば最初期のフェミニストたちは格闘技を積極的に学んだ!)それが実現する方向に組織することが男女を問わない全学連学生の任務である。これまでの差別と抑圧の経験から、現時点では「男に歯向かうことなど絶対にできない!」と主体的には思い込んでいる女性たちに対しても、思想と実践の両面で女性差別と闘う方向へ踏み出す団結を作り出していかなければならない。
 「政治と暴力の奪還」とは「女子学生も男子学生と同じようにスクラムを組んで戦闘的に闘おう/差別に反撃できるようになろう」などと女性に対してのみ呼びかけるものではない。女性が人類史上奪われてきた力を、闘いの中で運動全体の強烈な意識性のもとで取り戻し、人間の普遍的解放へ向かっていく路線である。現実の困難の中で女性の決起を支えるために性や世代をも超えて組織-運動-階級全体に変革と飛躍を迫るものとしてある。

 実際に、4・28沖縄デー渋谷デモ、5月沖縄辺野古座り込み闘争、6・9芝公園デモ、そして8・6広島闘争など、この間の実力闘争で生まれて初めてスクラムを組んだ女性たちが、機動隊と体を張って対峙し、大声を上げて横暴を非難し、闘争を貫徹した経験をもって「機動隊は今まで思っていたより弱い!団結すれば勝てる!」という解放感を語っている。闘いの中で、女性が自己変革をかけて、自ら政治と暴力を奪還し、闘いの最先頭を担っている。女子学生が解放的に実力闘争を闘う姿が、また新たな女子学生の決起を生み出し団結が拡大する過程に突入している。この地平をさらに押し広げよう。

女性の戦争動員と現代の「産めよ殖やせよ」

 外務省は今年1月、「女性・平和・安全保障」(WPS)を進める横断組織を発足させた。上川陽子外相は立ち上げの会合で、「オールジャパンでWPSの視点をいかしていく」と述べた。4月には、防衛省WPS推進本部が開催され、「防衛省女性・平和・安全保障(WPS)推進計画」が策定された。

 WPSー「女性・平和・安全保障」とは、「女性が指導的及び主体的に、紛争の予防、復興、平和構築等並びに防災、災害対応及び復興のあらゆる段階に参加することで、より持続的な平和に資することができるという考え方をいう」(「推進計画」より)。ガザでの虐殺を「自衛権」などと容認している日帝支配階級の一員として、上川陽子のように女性は参画しろと言っているのだ。同推進計画では、「WPS推進体制の整備」として第一に「女性自衛隊員の採用・登用の拡大」を掲げている。まさに女性の戦争動員そのものだ。

 自衛隊幹部が「今後は人手不足が最大の敵」と語るように、2023年度の自衛官の採用想定人数の充足率は過去最低の51%と支配階級にとって危機的な状況にある。いくら「防衛費」を増額し、日米同盟を強化しようと、兵士を担う青年層がいなければ中国侵略戦争を遂行することはできない。このような中で防衛省は必死になって隊員の一時金を引き上げたり、現在9%弱の女性自衛官の割合を2030年度までに12%に引き上げることを目標に掲げるなど、隊員獲得に躍起になっている。その一方で元自衛官・五ノ井里奈さんが告発した自衛隊内での性被害をはじめ、自衛隊内・自衛隊員による女性への暴力は深刻だ。「平時」にさえ腐敗している帝国主義軍隊は、戦時にはより非人間的な性暴力を引き起こす。これに対する労働者階級の広範な怒りを受け、岸田は「ハラスメント対策」を安保3文書に初めて明記した。しかし防衛省幹部が「防衛力強化の議論に悪影響が出ないよう厳しい姿勢を示した」とあけすけに語っているように、その目的が女性の戦争動員にあることは明白だ。

 「静かなる有事」(小倉将信 少子化担当相・当時)と支配階級自身が言っているように、帝国主義支配階級にとって、人口問題は労働力と兵力の動員・確保に直結し「国力」そのものに関わる死活的な大問題だ。
 2023年の年間出生数の概数は1899年に統計を取り始めて以来最少の72万人だった。岸田は「少子化は予想を上回るペースで進む極めて危機的な状況にあり、待ったなしの課題である」と露骨に危機感を表し、22年1月の施政方針演説で「異次元の少子化対策」を打ち出し、6月の国会で児童手当の大幅な拡充を軸とする少子化対策の強化を盛り込んだ「子ども・子育て支援法」などを成立させた。3.6兆円の少子化対策予算は「子ども・子育て支援金」と称する一人当たりの医療保険料の増額で1兆円、社会保障費の歳出削減で1.1兆円、「既定予算の活用」と称する雇用保険料の引き上げなどで1.5兆円を捻出するという。8兆円の大軍拡予算と一体で、これまで以上に社会保障を徹底的に破壊し、全世代に高負担を強いるものだ。さらに8月に政府は、東京から地方へ「移住婚」する女性に60万円を支給する新制度を導入すると発表したが、多くの女性の怒りで3日で撤回に追い込まれた。

 岸田政権の「異次元の少子化対策」は現代の「産めよ殖やせよ」政策だ。かつての日帝の「産めよ殖やせよ」政策は戦時下の1941年、近衛文麿内閣で閣議決定された「人口政策確立要綱」によって国策となった。当時の日本の人口7350万人を1億人にまで増加させることを目標に、一家庭が5人の「健康な子」を産み育てることを求め、そのために必要な諸政策を取ることが「国防国家体制の確立」にとって不可欠だとした。諸政策の中心は若い男女の早期結婚と多産の奨励のため行政による婚姻の斡旋や結婚費用の援助で、6人以上の子を生んだ母親を国家が表彰するなどの一方、避妊や中絶など産児制限を一切禁止した。また、母親と乳児の死亡率を引き下げるため、保健・衛生・栄養などの面で国家が直接子育てを管理し支援する体制をつくった。今日の「こども家庭庁」創設、「異次元の少子化対策」はこれを丸写しにするような攻撃として開始されている。5月に可決・成立した「共同親権」法は、子どもの住居や進学先、医療行為などに両親の同意が必要と規定した。戸主によって認められなければ妻子は結婚も居住地の変更も認められなかった明治民法を復活させていくような超反動法だ。

 この間、性と生殖をめぐる領域で戦後的諸制度を根本から見直すような攻撃が相次いでいる。戦争情勢下、女性への戦争動員攻撃は今後さらに激化していく。このことを真正面から捉えて闘わなくてはならない。11・3全国労働者総決起集会にすべての女子学生・女性労働者は集まろう!


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