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病みかけてた僕が「わくわくだ!」って言う理由


突然の取材依頼


昨年度、ありがたいことに金融教育の実践に興味を持ってくださり、
タウンニュースの方から取材依頼がありました。

出るべきなのか悩みました。

その理由の一つが、実践についての取材ではなく
僕自身についての取材だったからです。


これまで、周りの様子ばかり気にして、そこらによくいる教員をやってきた僕。

もちろん、実践についてはいろいろな思いがあり、実際にインタビューの時にはすらすらと話していったのですが・・・

案の定聞かれて困った質問がありました。

「あなたの仕事をするうえでのモットーは?」

一言で表せない。

20代のころなら間違いなくあの言葉を言っているという言葉がうかんでいるのに、口から出てこない。出してはいけない。

そんな思いにかられてしまう。

その時、働いている状況も生き生きしながら働いているのかというと・・・

とてもいい状態とは言えませんでした。


思い返すと病みかけていた。


寝られない日はなかったけれど、
よし、よく寝たと思って起きたら3時。
ええ、目覚まし6時ですが・・・

そして、原因不明の下痢。(これは多分ストレスで帰りの車あほほどガムを噛んでいたこともあるかも)

そして、経験したことがない朝の倦怠感

休み時間クラスでトラブルがあるなんてことはほとんどなかったし、
嫌な教員仲間がいるわけでもない。
なんなら例年よりも早く帰ることができている。

目の前に広がる環境に不満は何一つない・・・

ように思っていたわけです。

でも、何か苦しい。
働く意義がわからない。
このままじゃ病んでしまいそう。

そんな中、去年の11月。
いろんな本を読んだりYouTubeを観たりしたときに
心に刺さった言葉がありました。

「苦しい時に相談できていますか?」

これ。ほんとこれだったんだ。

何がつらいのかわからない。

ということ。

今ではこんな風に言語化できるし、この記事を見られたって何にも思いません。でも、あの時のぼくはそれができなくて辛かったんだなって思います。

とは言っても、これ最初に書いたのが6月で公開まで5カ月経っていましたが^^;

言葉に出すことで、自分を自分で理解できるし、相談することで気づかないことに気づける。そして、悩んでいることを自分以外の人に知ってもらうことで、ちょっと人の目を気にしなくてよくなります。

困ったら叫ぶ。

実はこの年、といいつつ去年。
異動した年でした。

奥さんにはなんか病みそうと言って、毎日話を聞いてもらっていました。

いつも温かい言葉をかけてくれて、結婚してなかったら多分仕事休んでいただろうなって思います。

その他に職場に相談できる人っているかな?と自分に問うと、

1人だけ。前の職場に共通の知り合いがいる先輩の先生が。

そして、次の日その先輩に話しかけました。
「なんか最近いろいろうまくいかない感じがして」と。

そしたらその先輩が
「クラスはどう?ちょっと最近の思っていることみんなで話を聞いてみたら。」

と言ってくれました。

それがこのもやもやの解決になるかわからないけれどやってみようと思ってすぐに教室で

「最近のクラスのこと、先生のこと思っていることを聞かせて」

と言ったら子どもたちから二つのことが

「先生はもっと一緒に遊んでほしい。遊ぶ時間を取ってほしい。」

「先生が言っていること、正しいとは思うけど、細かすぎる。この学校にきたばっかりで慣れてない感じがする。」

そうなんだ。そんなこと思っていたんだって。
落ち込んで・・・

でも、そもそもこの学校がいろいろおかしいとか、
いやこれまでの担任が~ってやってきたからじゃんとか。

自分に対する言い訳ばかり頭の中にうかんで。

でも、落ち着いて考えたら

ごめんねって。


自分の過信で
自分の余裕のなさで
これまでやってきたことをそのままやればいいと思っていて
郷に行ったら郷に従えなんて気持ち全くなくて
ちゃんとやんなきゃって人の目ばかり気にして

シンプルに
自分の力不足で。

思い返したら

異動。
学校の文化のちがい。
通勤時間の増加。
周りの教員とのコミュニケーション。
学校にいる子どもたちの様子の違い。
結婚したこともあり、早く帰ることも意識した働き。

そんな変化に対応できていなかったんだなって。

10年以上やってきたし、いろんなクラスをもってきたからなんとかなるやって、効率だけを求めて子どもたちの声に耳を傾けず、周りの先生とも最小限のコミュニケーションでいいやってなってたんだなって。

それがわからなかったから苦しかったのか、と。

これまで教員をしてきて、どんな言葉を使っても相手に届かなかったら意味がない。だから、関係性が大事。

いろんな人から聞いたし、実際自分もそう思っていた。

いや、思っていたつもりだった。

でも、実際には関係性なんてあるものだと過信して、できる限り効率的になんでもやろうとしていたんだなってことに気づきました。

思い返すと子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱい。

でも、ここでもやっぱり子どもたちと話してよかったなって。
自分の思いも伝えられたし、子どもたちの意見も聞けました。

話し合いのあと、ふりかえりを書いてもらいましたが、「先生のこと勘違いしてました。」とか「思ってることが言えてよかった」なんて書いてある子もいました。

それで劇的にクラスが変わったとかではないですが、ぼくもみんなとちょっと話して心が軽くなった気がします。

困ったことを相談して、困ったことを子どもたちと話したからこそ
わかったことがあるなって。

困ったら叫ぶ

こんな話を書いていますが、なんなら、まだその子たちは学校にいるわけで。

昔の話って気軽に笑っていいのかもわからない。

賞なんかいただいてしまったけれど、
とてもとても自分が良い教員です!なんて胸を張って言える状況じゃない。学級経営や授業が上手い教員じゃないっていやでもわからされた。

クラスは、荒れていたのかというとそうでもないけれど、担任がいるときだけちゃんとやるという雰囲気。

元気な子が多いけれど、みんなで大笑いするようなあったかい雰囲気もない。みんな何かしらの不満をもって過ごしていたんだと思う。

もっと自分にできることがあるのではなんて、
転職する気もないけれどキャリアの健康診断だと転職活動もスタート

でも、プログラミングも英語もできない30を過ぎた男にそれなりの給料を払ってくれるところなんてないという現実を知り、さらに落胆。

そんな時にいただいた、取材の話。


この取材をされてできた記事は誰が見るかわからない。

もしかしたらクラスの子ども、
もしかしたら保護者、
もしかしたら教員仲間、
もしかしたら髪を切ってくれる美容師さん、
もしかしたら歯医者さん、
もしかしたらとなりに住む夫婦、
もしかしたら・・・

そんな人たち全員に胸を張って僕はこんなことをモットーにしている教員です!って言えることがあるのだろうか?

そんなことが頭をめぐる中、
沈黙に耐えられなかったかのように取材してくれた方は

「どうして先生になったのですか」
と質問を変えてくれた。

「小学校4年生の時の担任の先生が好きで…」

「どうして好きだったんですか?」

「小4の時のことであんまり覚えていないんです。」

「そうですか・・・」

なんの取材をしにきたのだろうと思ったことだろう。

なんでこんな男の取材に来たのだろうと思ったことだろう。

でも、それがその時のすべてで嘘をついていたわけではない。

小学校の先生になりたいと思ったあの時の気持ちは一切なく、

生活のための仕事。

もちろんそれがすべてではないにしても
いつからこの割合がこんなに高くなってしまったのだろう。

気づけなかった。
何かやりきれない思いのまま取材は終了。

学校を出て車に乗って、ふつふつと湧き出る自分が小学校の時の記憶。

あの担任の先生と話したこと、放課後キャッチボールをしたこと、けんかしても怒らずに最後まで話を聞いてくれたこと、3月春休みにお家に招待してくれたこと、


わくわく
しながら明日学校に早く行きたいと思っていた日々のあの記憶。


わくわく・・・

自分の中で出てきた記憶の中にある言葉。

気づいたら車をコンビニに停めて、名刺をたよりに取材してくれた方に電話をしていました。

「どうしました?」

「さっき、取材していただいたんですが、うまく言葉にできなくてもう少し話を聞いてもらっていいですか?小学校の時、担任の先生は~してくれたんです。~してくれたこともあって・・・なんか毎日わくわくしていて。」


思い返したら、金融教育の実践だって、

小学生がお金を稼いだらおもしろい!
お金について教えない学校が70時間お金の授業やったらおもしろい!

ってそんなわくわくする気持ちから始めたものでした。

やっぱりクラスの雰囲気がよかったとは言えなかったけれど、

総合の時間だけは、本気になって取り組む子がたくさんいたし、

一丸となって協力する場面もたくさんあった。

なんか、教室にいるとモヤモヤとした気持ちをもっていたけれど、

総合の時間はわくわくしながら教室にいる自分がいた。

さらに先生になってから今までの約10年を思い返したらわくわくしながら子どもと一緒にあんなことしたなとか、こんなこともしたなとか、たくさん自分の中に浮かんできます。

もちろん、他の人から見たらたいしたことないこともたくさんあると思う。

でも、関係ない。

自分がわくわくしたり、子どもがわくわくしたりしていたらそれでいいじゃないって。

ぼくはわくわくする体験を創る教員になりたい。


そう思って、記者の方に伝えました。

もちろん、自分が小学生だったあの頃と時代は大きく変わっています。場所も違います。僕の担任の先生がしてくれたように、子どもたちを家に招いてわくわくしたいとは思っていません。家庭を顧みず仕事だけに全力でわくわくのある学校にしたいとも思いません。できることは限られているでしょう。自分のキャパの問題もあります。

でも、いい。

自分がわくわくするならば。

だって、きっと子どもたちがわくわくしていなければ、自分がわくわくすることはないだろうし。

わくわくの量を他のクラスと比べるのもやめよ。

それでも、わくわくすることしたいって言い続けよって。言い続けることで、わくわくをより創っていきたいって。

それがこの取材で感じたことでした。
取材していただいて、記事にしていただいてありがとうございます。

取材者からしたら人選ミスかもしれませんが、
僕にとっては教員生活を見直すきっかけになりました。

そして、そんな僕が今年教員同士の関わりで教育界にわくわくを増やしたいと仲間と一緒に

教育界のM-1グランプリを創りたいと

教育E-1グランプリを企画しています。

現在、審査員にぬまっち先生、
発表者として全国の先生8名に発表していただくことが決まっています。

12月から参加者募集のクラウドファンディングを始めます。

ご興味もっていただけましたらぜひご参加ください。

11月さようなら。


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