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知っている声がして目が覚める
鼓動がはやくなっていくことだけがわかった
聴き慣れた言葉たちが私の身体をすり抜けていっても、不思議と嫌なことはなかった
それがとてもうれしかった

コンビニで買い物をしようと立ち寄る
店内を一周して、欲しいものがないことに気づいて外に出た
手に入れたいものなんか、実はなんにもないんだと思う
それもうれしかった
いつだってしあわせは自家発電
わかっていても、中々できることじゃない

昼頃、仕事に向かう
知らない道を自転車で走るのが大好きだ

夜、帰宅する時はまた別の道を通って帰った
緑道を沿う桜並木が街灯に照らされてキラキラしている
道路に落ちた花弁は乾いて一枚の絵みたいだった
自転車を走りながらiPhoneをかまえたはいいが、ストレージがいっぱいで撮れない
ときめきは自分の中にだけとっておけばいいんだよ!と、言われているのかもしれない
もっと近くに行きたくて、久しぶりに立ち漕ぎをした

イヤフォンからは偶然にも宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」が流れていて、ああ今この瞬間、この曲の主人公は私なんだなと思った

スーパーで魚肉ソーセージとパンとお酒を買うのに、20分悩んでしまった
やれやれと思ったが、何かを選ぶのにどれだけの時間かけたって納得してればいいもんな、ともう1人の私が言った

毎日が自分のものになる感覚がだんだん強くなっていく

大切な人がみんな、ほんもののやさしさに包まれ、悩んだり苦しんだりしながら、なるべく笑いながら、自分のためだけに生きていけますようにと祈る

愛は祈りとはよく言ったもんだ

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