意味を求めて、無意味なものがない


「なぜか 町には大事なものがない
それはムード 甘いムード

意味を求めて 無意味なものがない
それはムード とろけそうな」




これは、ゆらゆら帝国という伝説のバンドの完成形と言われる楽曲「空洞です」の一部である。
超大作映画「愛のむきだし」のテーマソングであり、彼らはこの曲を収録したアルバム「空洞です」を発売した後に解散した。


ゆらゆら帝国、なつかしい…
高校生の時に好きでよく聴いていた。
私はラジオが好きなんだが、人生初のリクエストナンバーは「ズックにロック」だったし、ガラケー使ってた時の着メロは「つぎの夜へ」だった。

しかし「空洞です」は、当時でいうとそこまで私の中でのヒット曲ではなかった気がする。


それが今日突然、この歌詞のフレーズとメロディーを思い出し、聴きたくなった。







私は意味を求めてしまう生き物だ。

何か自分の想像外の現象が起こった際に、どうしてそうなる?と、考えを張り巡らせる。

乗っている電車が徐行していき、停車したとする。その時に理由を説明してもらえずに停まったままだと不安になる。
まあ、電車が停車する場合は何か理由があるとは思うのだが、世の中の事象全てに理由があるわけではない。

しかし人間なので、意味を見つけて頭の中でストーリーを仕立て上げる。







抽象的な書き方になるが、
私は今、自分がなりたい職業に向けて、何も努力をしていない。

一度は努力し仕上げてプロの審査に挑戦したのだが、結果に恵まれなかった。
そのため、軌道修正し、別の方法でまたその職に就こうとしている。
が、その別の方法へ進む足がなかなか動かないのだ。



今日はせっかく休みだったのに、ひたすらYouTubeを見るだけで1日を終えてしまったと自己嫌悪に陥る。

同世代でストイックに努力し続けて結果を出している人を見て、自分は何をやっているんだと虚しくなる。



もし別の方法がうまくいったとしたら、この足を止めている時間にも意味があったと言えるだろう。
「あの期間があったから今があるんです」
みたいなストーリー仕立てにして、かっこつけられる。
でも、うまくいかないかもしれない。
そうしたら、この時間全てが無意味になってしまうんじゃないか。



とか何とか考えていた時に、「空洞です」の一部を思い出した。




「意味を求めて 無意味なものがない
それはムード とろけそうな」




私は意味ばかり求めている。

意味ばかり求めるのってどうなんだろうか。
ひたすら何かに打ち込み、すべての時間を充実させなければならないのか?

その時にふと思った。



「無意味を味わう」



ってなんか、かっこよくない?
風流じゃない?


無意味こそ、とろけそうな旨みを秘めているのかもしれない。
この時間に意味はないけど、それでいい。
それがまた、美味しいかもしれない。



そんなことを思って、
「空洞です」のMVを久しぶりに見てみた。

何かが始まりそうでドキドキしちゃうキャッチーなギターフレーズ。
これだよこれ!千代の長髪。
柴田さんはほとんど存在見えない。
バックボーカルの
トゥットゥル、トゥットゥットゥル♪
良い。

そして、波のように広がっていくサックス。


久しぶりに心が凪いだ。
心地よい。


「俺は空洞 面白い」


という歌詞にも、あ!となった。
空洞って、結構ネガティブなワードなイメージだった。
産業の空洞化とか、心に空洞ができるとか、
しかし自分が空洞であることが面白い、そんな感性があるんだなあと、感嘆のため息が出た。




今すぐに意味のある行動ができない自分はダメな奴だと思っていたが、
動き出せないのには、理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
わからないが、とりあえず、自分が納得して動き出したいと思えるまで、待ってみようと思う。

とはいえ、実は期限があるのだ。
それまでには流石に動き出したくなるだろう。
今は一旦、無意味な時間を過ごしてみようかな。







「今、何してるん?」
と友人から近況を聞かれると、私はいつもドキッとする。そこで私が、

「無意味な時間を堪能してるねん」

とドヤ顔で言ってみたら、たぶん

「何言ってるねん」

と、笑われる気がする。
それはそれで、面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?