哲学と大人になることの葛藤
大人になるとはなんだろうか。
新しい感動が、悩みが、嫉妬がなくなり、自分ではない他の何かを夢見ることを辞めた時だろう。
青春とは、本来、ただ享受するのではなく、ある種の越え難い関門として通暁することを要求する。自ずからすすんで、生きる意味に悩み、死の淵を歩き回りながら、生きるための意味を探す。各々がそれぞれの器に応じて、生の理由を探し、創作する。
だから、青春を通暁するとは、生の認識を獲得することなのだ。そして、朝を迎えたならば、愛着のある思索の住処を後にし、虚構や物語でない実体のなかを生きなければいけない。
人々の糧のために、我々の子供たちのために生きなければならない。
自分のことを小さくし、社会のため、人のために、広く深く手を差し伸べなければならない。
私は、ある日、死を迎え、自分である意識そのものが完全になくなることが怖い。だから、この世で授けられ、また掴み取った喜びや悲しみ、あらゆる恵みを宇宙の中に、もう二度と失われない形で記すことを決めた。
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