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短編小説:ベリルの双子

「枕元をバタバタと走る音がするんです」
 最近、夜眠りにつくとき枕元で足音がする。座敷童? 和室のないこの築浅アパートで? そもそも妖怪なんて本当にいるのだろうか。
 近くに子どもが住んでいるわけでもない。上の階の住人の足音でもなく、枕元で聞こえる。なんならほこりすら舞っている。
 わたしはホラーは苦手だ。だけど実際に体験すると、怖いというよりはこれが心霊体験かと不思議な心持ちになる。心臓が飛び跳ねることもないしいたって冷静だ。なによりもうすっかり慣れてしまった。うるさいというよりも音が聞こえると安心して寝落ちできるほどになってしまった。
「誰が走っているのか見ました?」
 目の前の魔女の顔がどこか楽し気だ。声もうきうきしている。やっぱりこういうお仕事されている人ってスピリチュアルなことが好きなのかしら。
 信じていない。と言えばウソになる。そういう世界があったらいいな、もしあるのだとしたら少し位すがってもいいよね……そう思って神社に行くし、こうして天然石を持つようになった。スピリチュアルに生きるのは生活に支障が出るが、日常のスパイス程度なら潤してくれる。
「何も見てないです。というかそこまで興味がないというか」
「えー。見てくださいよ。面白いじゃないですか」
 やっぱり魔女は楽しんでいた。わたしとの思考の方向性の違いに少しだけ笑えてくる。魔女がそう言うなら見てみようか。それで呪われるなんてこともなさそうだし(そもそも呪いもあまり信じていないし)。見て損することはないだろう。
 わかりましたよ、そう笑みを残して店を後にした。

 さて寝ますか。
 布団を整え深呼吸をする。ただちらと見るだけなのに緊張してきた。
 布団に潜り込み電気を消す。暗闇をぼんやりと見つめていると、次第に物の輪郭がはっきりしてきた。今夜は満月。カーテン越しに月明りが見える。月明りのまぶしさに気付いたのは天然石を手に入れてからだ。満月の夜に月光を浴びせることで、溜まった汚れを浄化することができる。半信半疑だったけど、月光浴をした翌朝はいつもよりもピカピカしてキレイだったのだ。それからは満月の夜は窓際に天然石を置くようになったし、今夜もそうした。
ーードタドタドタ。
 今夜も無遠慮に走ってくる音がした。ふと、これは子どもの足音なんじゃないかと思った。正月。実家のこたつで昼寝をしていたら、甥っ子たちが気を遣うこともなく走り回っていたのを思い出す。だとすると座敷童説が濃厚となるが……?
 目を開き、おもむろに頭だけ左に向ける。さすがに胸がバクバクしている。わたしの視界にはいつも通りのリビングが広がっていた。が、目の端にゆらゆらとモヤのようなものがある。そこに焦点を当てると、モヤは人の形を成した。
 小さな男の子と女の子だ。こちらを不思議そうな顔でじっと見ている。わたしの想像通りだが、まさか二人いるとは。いくつぐらいだろう、6,7歳頃か?
「あ……こんにちは」
 思わず挨拶をしてしまった。
「こんばんはー」「こんばんはー」
 二人は声をそろえて挨拶を返してくれた。さりげなく正しい挨拶に修正されてる。
 そうじゃなくて!
「あなたたちは誰なの?」
 二人は宝石のような目をくりくりさせる。
「ぼくは波のように穏やかだよ」
「あたしは勇敢で前向きなのよ」
 とても自己紹介されているようには思えなかった。なぞなぞなのだろうか。一応こちらも自己紹介をしておくことにした。
「わたしはこの家の家主です……」
「知ってるよ」「知ってるわ」
 知ってて人が寝るところを騒いでたんだ。
「どうしてわたしの家に?」
 男の子の頬が緩んだ。
「あなたを守っているからね」
 やっぱり! この子たちは座敷童なんだ。しかも二人。これは幸運の二乗ではなかろうか。
「座敷童なの? どうしてわたしの元に?」
 睡魔も飛ぶほどの興奮に思わず早口になってしまった。
 二人は顔を見合わせ、少し困ったように小首をかしげた。
「そういうのじゃないんだよなあ」
「あたしたちは妖怪でも神様でもないのよ。ごめんなさいね」
 じゃあ一体何者?
「しいていうなら、導く者かなあ」
 突然、女の子がわたしの右手を引いて布団から引っ張り出した。バランスを失った上半身を支えようと下半身がついてくる。男の子はそっとわたしの左手を握った。手が冷たいのはこの世の者ではないからだろうか。
「ぼくたちの夢を見せてあげるよ」
 男の子はにっこり笑って窓際へとわたしを導く。どういうことかと窓を見ると、そこにはカーテンも窓ガラスもなく、どこか南国の海の色を湛えていた。ゆらゆらと揺れて、時々白いうさぎが跳ねるように波打っている。これは海だ。そう判断するより早く、両手が引っ張られ、ぐんぐん眼前に近づく。ぎゅっと目を閉じると全身が濡れる感覚を覚えた。

 おそるおそる目を開く。わたしは海の中にいた。目の裏にまで青い水が満たされていく。なのに目に違和感がなく、体は大きな手で支えられているようだ。あたたかい。こんな広い海に突然放り込まれたというのに安心感がある。
「力を抜いてごらん」
 男の子の言う通りに関節を緩ませた。すると体は押し上げられるように上昇し、ついに水面に顔を出した。海と同じ色の空が広がる。
 ゆっくりと深呼吸をする。体が波に揺られて心地よい。遠くのほうで波打つ音が聴こえる。他はなにも音はなくわたしの呼吸だけが鼓膜に響いた。
「これが安定した心。心というのは、常に小さく揺れているのが正常なんだ。この波のように」
 ここはどこなのだろう。どこの海なのだろう。わたしはこの海を知っている。暖かくて、力強くて、優しい。すべてを受け入れてくれる海。そしてどこまでも続く青い空。あの空も、本当は海の一部なのかもしれない。
 このまま眠りにつこうかな……そう思って瞳を閉じたが、右手が思いっきり下のほうへ引っ張られた。
「次はあたしの夢よ! まだ眠っちゃだめ」
 わたしの体はどんどん沈む。暗闇に落ちていく。恐怖に目を閉じると、やがて何かの声が聴こえてきた。甲高い鳥の声だ。

 目を開くと、眼前には緑の葉を蓄えた大きな樹があった。わたしの体がふわりと宙を浮いていて、樹に導かれるように枝に腰かけた。両隣には男の子と女の子がいる。見上げると枝はたくましく、遠くへ伸びていて、木の葉の一枚一枚がわたしに影を落とす。木の葉の間から差し込む光がキラキラと輝いていた。
「これが前に進みたいという気持ち。静かな心があるから、ぐんぐん前進していくことができる。この大樹のように」
 どっしりとした幹に触れてみた。掌から生きる力が伝わってくる。どくんどくんと、鼓動に呼応するように。胸が熱くなるのがわかる。わくわくとしていて、目の前の景色すべてが明るく見える。こんな気持ちはいつぶりだろうか。ずっと忘れていたのかもしれない。
 なんだか体がむずむずする。動き出したい。大きな声を出したい。我慢できない!
「よっしゃー!」
 心のままに立ち上がり、両腕を上に揚げた。が、足の下には空だけがあって、わたしの体はそのまま下に落ちて……真っ暗になった。

 ピピピピ。ピピピピ。
 規則的な電子音。聞き慣れた朝のアラームだ。
 ばっと身を起こす。視線をあちこちにやり、いつもの自分の部屋であることを確認した。ということはわたしは夢を見ていたのか。
 アラームを止め、窓際に歩み寄る。小皿に乗せたブレスレットが、やはりいつもよりも輝いて見える。
 アクアマリン。波のように穏やかですべてを受け入れてくれる。癒しの石。
 エメラルド。勇敢で前に進む力を後押ししてくれる。活力に満ちた石。
 今日もわたしはこの石たちを身に付けて、外に出かける。安心感と自信をもたらしてくれる、わたしのお守り。それはかわいい双子の姿をしていたのだった。

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