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碧梧桐ふたたび

先頃ふれた河東碧梧桐。
明治期に行われた三段峡開発(国定名勝地指定運動)の一環として、大正15年に開発運動の泰斗、熊 南方氏が巡見同道して峡内を案内したという。

当節、熊氏が同道の地元協賛者に譲渡した短冊がこちら。

じーっと見てみるにつけ思う事ではあるけど…「ホントに碧梧桐真筆か…?」という疑義。(笑)

熊 南峰氏。「コノヒトは有望な人なんだ」と、同じく案内をした協賛者に紹介した、という。

「中国の三渓流」とは、三段峡、長門峡、帝釈峡のこと。
俳人河東碧梧桐は大正15年(1926)にこの三渓流を踏査して、随筆一編を残した。

文中、三渓流それぞれの特色が俳人らしい鑑賞眼で的確にとらえられているが、三段峡については、わらじばきの軽装で、2日間にわたって「黒渕」「猿飛」「二段滝」「三段滝」「竜門」をめぐった見聞を記録し、「三段峡の美は先づ滝に蒐められている」とした。中でも三段滝は「岩角に奔激する水勢は、五段にも六段にも層々雪爪を磨いている」と詳しく、竜門についても「変化の妙ここに至って筆舌を継つ」と、感嘆の声をあげている。

碧梧桐を三段峡に案内したのは、三段峡の開発に生涯をささげた熊南峰(本名・熊勝一)。大正3年(1914)写真館の出張員として「山県郡写真帳」を撮影したのがきっかけで、三段峡の探検と撮影に熱中、大正14年(1925)国の「名勝」指定にこぎつけた。

from ひろしま文化大百科

熊氏から協賛者に贈呈された碧梧桐の真筆句作短冊。後に水害で流され行方知れずになっていたところ、川辺ふきのとうを摘んでいるときに短冊の頭が見え、無事に取り戻すことができたという…。

摩訶不思議な曰くつきの逸品ですな。

この俳句。句作は全集のみならず、手元にしたためる句作帳なるものから推敲して。可なるもの、秀なるもの、優なるもの…と、優劣をつけて表に出せないもの。いわゆるボツ稿に関しては句集には載せられなくなるわけで。そうしたものの内の一句なるものなのか。

はたまた、数多各地で詠める俳句の中で詠んだものなのか。いずれにしても「碧梧桐」の俳句検索ではヒットしませんでした。ちなみにキーワード「千鳥」でヒットしたのは以下六句。いずれも碧梧桐先生作でございます。

・灯あかあかと会すれば千鳥鳴くといふ
・千鳥啼て浦の名を問ふ船路かな
・燈台に双棲の君や鳴く千鳥
・楯に似し岩めぐり鳴くは千鳥かな
・千鳥来るや岬ともなき牛牧場
・離れ家離れ岩あり飛ぶ千鳥

先掲写真の短冊句作…『日頃寄せぬ 港がくりや 啼く千鳥』と、読めます。

歌意はなんでしょうねぇ…。

「日頃、船も寄せない港にたまに船が来ると(来れば)千鳥が啼く…」みたいなことでしょうか。三段峡に関わる句作であるとするなら、黒淵の渡し船(渓流からの淵めぐり船)係留の折から、山間になく山鳥の声を千鳥として詠んだのか。詳細不明。

いろいろと考えるに、これは三段峡のことをよんだ句作ではないのではないか、と思慮しております。先掲「千鳥」検索でヒットした6首中、第二句の連作として詠まれたものなら納得も行きます。

先達・諸賢のご判断ございましたらお寄せ下さいませ。本日ここまででございます。(合掌)