碧梧桐ふたたび
先頃ふれた河東碧梧桐。
明治期に行われた三段峡開発(国定名勝地指定運動)の一環として、大正15年に開発運動の泰斗、熊 南方氏が巡見同道して峡内を案内したという。
当節、熊氏が同道の地元協賛者に譲渡した短冊がこちら。
じーっと見てみるにつけ思う事ではあるけど…「ホントに碧梧桐真筆か…?」という疑義。(笑)
熊 南峰氏。「コノヒトは有望な人なんだ」と、同じく案内をした協賛者に紹介した、という。
熊氏から協賛者に贈呈された碧梧桐の真筆句作短冊。後に水害で流され行方知れずになっていたところ、川辺ふきのとうを摘んでいるときに短冊の頭が見え、無事に取り戻すことができたという…。
摩訶不思議な曰くつきの逸品ですな。
この俳句。句作は全集のみならず、手元にしたためる句作帳なるものから推敲して。可なるもの、秀なるもの、優なるもの…と、優劣をつけて表に出せないもの。いわゆるボツ稿に関しては句集には載せられなくなるわけで。そうしたものの内の一句なるものなのか。
はたまた、数多各地で詠める俳句の中で詠んだものなのか。いずれにしても「碧梧桐」の俳句検索ではヒットしませんでした。ちなみにキーワード「千鳥」でヒットしたのは以下六句。いずれも碧梧桐先生作でございます。
・灯あかあかと会すれば千鳥鳴くといふ
・千鳥啼て浦の名を問ふ船路かな
・燈台に双棲の君や鳴く千鳥
・楯に似し岩めぐり鳴くは千鳥かな
・千鳥来るや岬ともなき牛牧場
・離れ家離れ岩あり飛ぶ千鳥
先掲写真の短冊句作…『日頃寄せぬ 港がくりや 啼く千鳥』と、読めます。
歌意はなんでしょうねぇ…。
「日頃、船も寄せない港にたまに船が来ると(来れば)千鳥が啼く…」みたいなことでしょうか。三段峡に関わる句作であるとするなら、黒淵の渡し船(渓流からの淵めぐり船)係留の折から、山間になく山鳥の声を千鳥として詠んだのか。詳細不明。
いろいろと考えるに、これは三段峡のことをよんだ句作ではないのではないか、と思慮しております。先掲「千鳥」検索でヒットした6首中、第二句の連作として詠まれたものなら納得も行きます。
先達・諸賢のご判断ございましたらお寄せ下さいませ。本日ここまででございます。(合掌)