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【紀行】今高野山龍華寺(甲山)

地元、太田庄。
元々は在地領主橘氏によって荘園開発が行われ、1146年(公安2年)平 重衡に寄進…後、1166年(永万2年)後白河法皇への寄進、さらに1186年(文治2年)紀州高野山根本大塔領として寄進。

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変転を経て紀州高野山の寺領となった太田庄。
以降、広大な荘園の維持管理及び荘園からの年貢の徴収、年貢を紀州へ送達のための政所、更に真言宗の教化拠点としての寺院経営が企図され。

現在地の甲山町甲山に紀州高野山を摸した新しい高野山としての「今高野山(龍華寺)」が建立された、と。

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龍華寺の規模と本所が高野山であることから、周囲真言宗寺院もまた同寺へ参集・教化道場の役目を担い、修養の会等を開くため。鎌倉時代後半(1200年代後半)境内には宿坊子院が沢山営まれることとなります。

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子院「一乗院」「大乗院」「普門院」「成道院」「西福院」「安楽院」「円満院」「福智院」「延寿院」「智泉院」より現在は「安楽院」「福智院」の二院のみが遺されてあり。

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こちらがおそらく…「安楽院」。

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そして、こちらが「福智院」。

時流とはいえ…地方都市、県央にある寺院としての存立維持はなかなかに難しいんでしょう。「福智院」は現在、湯葉懐石…ならぬ、湯葉スイーツを提供していただいたりする、古宿坊CAFEとなっております。

夏場は煎茶葉をシロップ代わりにかき氷にかけていただく、変わったスイーツも限定にて提供中。昨年の流行性肺炎喧伝以降、訪れてはおりませんが、機会があればまた訪れてみたいと思うところです。

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存立が平安以前ということなので、境内には丹生川上社御分霊をお鎮めする寺内社(寺の中の神社)もあり、戦国時代には背面の山上に山城(砦ですな、あれは)も建てられておりました。

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現代風に言えば…春・初夏の青紅葉。秋の紅葉時には、どっとヒトが押し寄せるトコロなのですが。それ以外の時期はホント、閑散として訪れる人も稀なお寺でございます。

【参考文献】備後国太田荘政所寺院の興亡 著:蔵橋 純海夫
<文中:芸藩通史・今高野山図>