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菖翁遺花

花菖蒲中興の祖、松平左金吾定朝。通称、菖翁の作出した品種を江戸系花菖蒲の中、「菖翁花」(しょうおうか)と呼称。

江戸時代後期、旗本の松平左金吾定朝は、京都西町奉行などの要職についたエリートでありながら花菖蒲の改良に取り組み約300品種を作出し、現在私達が見ることが出来る花菖蒲の基礎を築きました。

のちに「花菖培養録」などを著し花菖蒲の文化的価値や芸術性を高めました。菖翁の作品は門前市をなすと言われるほどの評判となりましたが、基本的に門外不出とされていました。

晩年自分のことを菖翁(しょうおう)と称したため彼の作品は、敬意をこめて「菖翁花」と呼ばれています。

《 『広島市植物公園のおすすめ花菖蒲』より 》

『菖翁花・霓の巴(にじのともえ)』
図録・図版に描かれることはあっても…いわば「疑惑の菖翁花」とよばれるもののうちに挙げられる「霓の巴」。

赤紫地に底白、白筋が入る三英の垂れ咲き中輪花。白色の髄(ずい)と、筋の模様が霓(にじ)色をした葵巴(あおいともえ)の紋を思わせる、との由。

『菖翁花・霓の巴』

『菖翁花・昇竜』
薄紫地に濃紫の脈と、絣(かすり)が入る八重咲きの中輪花。花の終わりに昇天する竜のように、花が三度首を振ると伝えられる。

『花菖蒲花銘』には「六英裏紫同薄色網狂い」とありますが、『花菖培養録』にはちょうど縄をなったような姿の花が描かれているので、現存する花とは違うと考えられるのも無理のないことです。ところが希にこの花形に咲くのです。

十分な八重咲となる花弁の多い花が、咲き始めのごく僅かな時間、時としてこの花形になるのです。菖翁はそれを描いたわけで、図譜の花は満開の姿ではなく、咲きはじめの姿だったのです。

《 日本花菖蒲協会会報24号『現代に残る菖翁花』記:永田敏弘 より 》
『菖翁花・昇竜』(のぼりりゅう)
花が…三度な、首を縦に振るのぢゃ…(こら)

『菖翁花・和田津海』
青紫地に白筋、花柱枝が白の三英の小輪花。和田津海は「海神」。古語で
ワタは「海」を、「ミ」は神を意味する。日本神話「海幸彦・山幸彦」にて現れる「綿津見」が花名呼称。

『花菖蒲花銘』には「三英藤紺青白網」とあります。今日のものもまさにその通りで、その花容は品種名ともよく似合っています。

草丈高い平咲きの中小輪で、弁は小粋に波打ち、丁度「煙夕空」のような群生美の美しい品種です。草勢繁殖共普通ですが、比較的小輪で、悪く言えば存在感が薄いためか、保存する園は少ないようです。

《 仝上 》
『菖翁花・和田津海』
稀少種…イメージは「エアリス」(古代種)

花菖蒲に協会があったとは驚きでしたけど…。

まぁ、あるよね。
会員の皆さん、現在も鋭意活動中。

今回撮れた花は園内栽培中の内の幾つか…ということになります。全部を全部載せることができれば良かったのですけど、未開花のものもあって斯様な有様にてオソマツ様。

菖翁の残した花共々、大切に継承されることを切に望みます。(合掌)