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【読録】Psychic Directory

稲川淳二の怪談ライブには4回ぐらい行ったことがある。

何度目かのライブに行き損ねた時。その年は稲川センセイ十八番のお話し「生き人形」のその後のその後、的な話をネタにかけてツアーをしておられたと云う。(惜しいことをした、と思ったものでした)

「生き人形」は稲川怪談でも大ネタ。

最初から話されると悠に90分以上の話になる。稲川センセイの話術巧みさもさる事ながら…。時々、話に怖さの山場があり。「ふむふむ、それで?」的な好奇心をくすぐる話回しで。あっという間に時が過ぎて行く。

Youtubeや旧くはニコニコ動画など、動画公開のサイトでも「生き人形」をタイトルとしてエントリーしているところもあり。動画視聴されたか…ネタのタイトル(生き人形)を耳にした方もあると思う。

今回とりあげた本にたどり着くには、この稲川怪談が起点にあるのよ。

「生き人形」の中で、人形が造られる起因は舞台演劇で人形を使ったお芝居を作りたい…という発案から。その芝居とは如何なる内容だったかが、かねてより気にはなっていて。ネットで検索したら、稲川さんが関わる人形が出てくるお芝居の台本、PDFでUPしているサイトがあった。

『呪女十夜』とよばれるその芝居。(内容はおいといて)出演する人形に関わる人々に起こる不可思議な現象の顛末を稲川氏は「生き人形」として怪談ネタに大成したわけだ。

お芝居が終わって。この人形にまつわる怪異の現象を、人形と共に大阪ABC放送のワイドショーで取り上げさせて欲しい、という出演依頼を稲川氏が受け、大阪に向かう。(取材受けちゃうのよねぇ…この辺りがエンターテイメントなところでございます)

それ以前に、お芝居の関係者と一緒に別の霊能者のところに人形を携えて除霊に赴いたこともある。霊能者には「除霊なんて到底できない」と断わられ。その代わり、この人形に憑いている霊の諸相について教えてくれた。

一連の話をお伺いして後、あらためてお礼にお伺いした時。その霊能者「久慈霊運」さんはげっそりと痩せ、人相も変わっており。他日、いつのまにか連絡が取れなくなったというハナシ。

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で。
霊能者「久慈霊運」という名前を検索すると…。行き当たったのが本書「全国霊能・心霊家名鑑(大石隆一 編著)」というわけです。(長い!前置き)

大石氏、オカルト雑誌では、大御所・学研出版の「ムー」編集に携わっており。(どちらかというとライターだったのかしら)面妖事案専門のライターとして現役時代を過ごしておられたんだろう。と、序文を読んで思った。

本書の特筆すべき点。

それは、全国に点在する霊能者の皆さんに心霊に関してのアンケートを行い。返信してきたアンケートを元に本書を作成している点。返信アンケートは「ムー」でも特集として記載をしたが、分量内容とも紹介しきれなかったものを、本書では全掲載している。

…というよりね。

ご丁寧にアンケートに協力して戴いた霊能者の中で、今回の名鑑作成主旨にご賛同戴いた方が顔写真・住所・連絡先を掲示して。

「いかにワタクシが霊能者となったのか」あるいは「ワタクシを導く守護霊・指導の諸神はどなたであるか」等々よりも。ご相談にお越し戴くための連絡先つきPR名鑑になってるところがね。

企業案件…的な取扱で、大人の事情がプンプン見え隠れ致します。

「あぁ、心霊もまた商売のタネになる」という時代だったのかなぁ、と思わせてくれるところがイイ。

ただ。ご本人に掲載の許可は戴いておられるにせよ、住所・連絡先まる載せっていうのはどーいうもんでしょう。事件・事案っていうのは起きなかったのかね。

本書発行は1985年12月01日。昭和60年代は個人情報とかに関しての感覚は、令和の今と較べると恐ろしくユルかったということも云えるし。全般、こういう事に関してはのどかな時代だったのかしらん。

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さて。
稲川怪談でも触れられる、問題の久慈霊運センセイの項に目を移してみる。

現住所・電話番号はヨシとして(COMPLIANCEは大事)。大正06年生まれ、岩手県出身、守護霊は「大蛇大明神」(!)。祭壇奉斎神は「ルハン(アルゼンチンの女神)」(!!)。

モロモロ書いてある中、「今は身体の調子を崩しており何も望むことはないが、体調を崩すまえに水子の供養をしたかったのですが、今は水子の供養をしています」とある。

(文法的におかしいのは、さておき)昭和60年代にはまだお元気だったのよね。「げっそり痩せて、ある日行方が分からなくなった…」と稲川氏が怪談で触れる状態になるのは、すくなくとも昭和60年以降という事になるんだな、と。

そして、幽冥観(死後の魂の行く末)について尋ねたところ、「死んだら、本人そのものはなにも分からなくなってしまう」と、応えておいででした。

全般にアンケート・取材の事柄に関して的確にお答えになったご様子がないところをみると…(一時期の派手派手しいテレビ出演から)手柄話としての心霊話はされても、個別都合の悪いところに関しては。

久慈センセイ。「ワカラナイ」「応えられない」「応えてはいけないことになっている」的な応対もあったのかな…と思ってみたりする。

本書は、久慈霊運さんのみならず。日本全国で昭和50年代後半「霊能者」として生活しておられた方々の偽らざる…とまではいかなくとも、「霊能をタテに、このような活動を行っております」という事を住所・連絡先つきで載せちゃったオカルト本、という位置づけになる。

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縦軸・横軸で並べたときに、いわゆる「霊能者」としての位置づけや寄る辺となる各種宗教団体との結びつきに於いて網羅的ではあるのよね。信憑性はさておき、大石隆一氏の偉業だと思います。(さておき、今日は多いな)

巻末、大石氏の略歴のところを読んでいて驚いたのは。此の方は放送作家協会に籍を置くヒトであり。『ケンちゃん・チャコちゃん』シリーズの脚本を書いておられた方でもありました。「アナタの知らない世界」で著名な、新倉イワヲ氏は「笑点」の放送作家でもありましたっけ。

平成時期以降、インターネットの流通とSNSの浸透からテレビ・マスコミで心霊関係を取り扱う番組というものは激減していきます。稲川センセイもその怪談ツアーで仰っておられます。「『怪談』『怖い話』を語り聞かせるという機会や時間というものこそが大事だ」と。

そっちがわにシフトすることが、この業界においては長い時間をかけた落ち着き処だったという事です。

作り手と受け手。妙なことを言ったり、行ったりするといろんな形で取り上げられ揚げ足を取られたり。ネットでの炎上なんてこともある。いろんな意味で、やりにくい世の中になっちゃったんでしょうね。

今ならおそらくこういう書籍、出版もできないでしょうし。賢いヒト(霊能者さん)は、こうした横並びの手法に首肯賛同することもないでしょ。ゆえに本書、心霊出版界におけるちょっとしたネタ本ではあります。

で。ネットで検索すると古本として販売されております。お好きな向きは(いねーだろ、そんなヒト)どうぞ。本日はここまで。最後まで御披見戴き、ありがとうございました。(合掌)

あ。レッサーパンダとペンギンはあんまり意味はございません。(笑)