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【鑑録】おわらぬ春

映画『佐々木、イン、マイマイン』を観る。

「高校時代が何時も…生活のベースにある」と感じる瞬間は。いい加減、50代も後半になれば少しは薄くなるものだと思っていたものの。いや、消えることなく生き続けるものなのよね。

本作に出てくる、素っ裸で教室教卓の上にのって踊る同級生。小生の学校にはいなかったものの…。云えることや云えないことを共有しながら過ごした三年間。一緒に過ごした連中とのアレコレ。誰しもの中にはあることだけに。

その後のその後…さらにその後。
と云えるぐらい時間が経って、何かの拍子にフと思い出される数々が、絶望の淵に立たされたときの、それからを生きてゆく元気の素になったり…。

何度か重ねてきた苦労の末。「もう、こいつとは終わりだな」と判断する時。相手と過ごした時間とかかったお金の多寡で「アタシの(オレの)時間を返せ!」とか思う反面。どーしようもない空しさの果て。

「イヤイヤイヤ、あん時は時間だけ有り余ってて、ホント金も何もなかったっけな」と、背中を押して。それからの、ヒトリの明日を歩かせてくれるチカラの源になってくれる価値基準。

もう、各々の頭の中にしかない、そうした素材の数々。。

「のーみそ」には記憶と経験による知識。それらを、手を替え品を替え組み合わせたり、引き離したりしては考え方を取りまとめるココロというか、精神の部分も詰まってるんだとしたら。

「『イン、マイマイン』な部分でヒトは成長できるのかねぇ…」と。本作鑑賞後に思っておりました。

ノスタルジックものの中でも、みた後で爪痕のように考えさせられる。そんな逸品でございました。内山拓哉監督と主演の藤原季節氏・佐々木役の細川岳さん。素案を映像具現化する上でのセンス。なかなかのものと思われます。

劇団で取り上げて舞台化…ってのも面白そうですが、それはまた別の話。

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「ちょっと、学校ぽいかな」と思って載せてみる…。
「市植」エントランスでございます。(オソマツ様)