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【紀行】大崎上島(豊田郡)

小実昌先生の著作にふれる以前。

廃墟・廃村を主体に渉猟するサイトをいくつか覗く機会があり。大崎上島木江遊郭と称して取り上げられる写真のインプレには…「驚くべき保管状態」という共通した意見。

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遊郭跡はあまり外聞の良い建物ではないだけに、都市計画・風紀浄化のやり玉に挙げられ。さっさと更地になって集合住宅とか町営住宅とかが建てられてしまうのが常。

しかしながら島嶼部というのは、そこまで手が回らないのか。かつての色町。民宿へと転業し…やがて廃業後もそのまま打ち捨てられるものが多く。

大崎上島ではそういう廃墟跡?を撮りたかったんだけど。今回はもののはじめ…サラッと見て回るだけにとどまりました。木江港も素通りでした。

あ、こちらの口絵は木江港を見下ろす高台にある観光ホテル(昼食いただきました)からです。>遊郭跡じゃないよ

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「はるみ食堂」探訪もございません。
いや…探してまで行かないだろ「はるみ食堂」。(笑)

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《中ノ鼻灯台》
明治27年(西暦1894年)から瀬戸の9灯台の一つとして、瀬戸内海の航海の安全を見守り続けている現役の灯台。日本でイチバン背の低い灯台…とか書いてあった気がします。

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《神峰山:第二展望台》
大崎上島の最高峰、神峰山(453m)からの眺望は、芸備予讃州の島しょ部が一望できます。その多島美は瀬戸内随一との定評があり、紺碧の海に島々の線が映え、四季それぞれ絶景が楽しめます。

首切り峠という物騒な名前からスタートして島内麓までご案内いただくガイド散歩も例の病気のせいで今年は催行が途絶えがちとか…。

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《海と島の歴史資料館》
昭和初期の内務大臣、望月圭介の生家。明治8年(西暦1875年)から6年の歳月をかけて建てられた。家は船大工が建てたと言われており、建築の随所に目を見張る造りがみられる。

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神峰山からの眺めでいけば、右手側麓に木江港があるカンジ。
島内には商船高専やら、地場産業の柑橘類。その他漁業が主体の島なんですけど、当地から船に乗って三原・東広島・尾道あたりにご通勤の方もおられるみたいです。

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島嶼部の多島美。東海辺りの方や日本海側・太平洋側お住まいのみなさんがお越しになるとかならず仰います。夕日がねぇ…フォトジェニックではありますが。またの機会に譲りたいと思う所存。

遊郭跡も撮りに来なきゃね。(^^)

御披見ありがとうございました。(合掌)