見出し画像

僕たちのスマイリー - 2024/01/11

おやつのカスタードまんじゅう。
インディーズのホラーゲームにいそうな顔だ。
心なしかイビツな笑顔に見えてきた。
しかしそう見えたのは、
私の心がイビツだからであろう。
カスタードまんじゅうは心の鏡なのだ。

「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」という言葉がある。
実際、よく笑うAタイプと、表情筋がかたいBタイプの2名がいたとして、社会にいかに馴染めるかを考えた時により幸福度が高いのは前者だろう。
Bタイプのような人は余程能力が高くないと許されないという風潮がある。

しかし考えてもみると、私はAタイプの人間を、まったくと言っていい程信用できた試しがない。
どこでも誰とでも愛想良く話せるような人間なんて、存在はしないだろう。
マザーテレサだって、誰にも見られないように気をつけながら、一発くらい壁を殴ったはずだ。

先のカスタードまんじゅうもそうだ。
誰にでも簡単に媚びへつらった笑顔を振り撒いているが、どうにも表情がかたく見えないだろうか。
トイストーリーやナイトミュージアムのように、夜な夜な人間どもがいないのを見計らって、唾をとばしながら悪態をついているに違いない。

Aタイプのような人間といると、どこかで必ず「偽りの笑顔」を作っていると感じさせられる。(勝手に感じているので勘違いである事がほとんどやもしれない。だが私がそう感じさせられたという事実には変わりない。)
私はその瞬間が嫌で嫌で仕方がない。

半年前ほどの飲み会のことだ。
こういう知り合い(まったく信用していないので、友達ではなく知り合いとする。)がいたので、私は本音をぶつけてみた。

「俺はお前と2年以上こうやって、遊んだり飲んだりしている訳だが、はっきり言って俺はお前のことを全く信用できていない。」
「お前の言葉はどこまでが本当なんだ?いつも疑わしく思ってしまう。俺はお前と今より仲良くなりたいと考えているのに、俺はお前の笑顔しか見たことがない。」
「やはりお前は、いい奴すぎて信用できない。俺はお前の二面性を知って初めて信用できると思っているが、お前にはまったく隙がない。」

こういう事を再三、真剣に話しかけた。
本当にいい奴で、できた人間であったがゆえに、私はソイツと本気の言葉を交わす必要があると考えたのだ。
全ては今より仲良くなりたいと思っての行動だった。

この飲み会以降、この知り合いとは一度も会っていない。
その時にソイツが口約束した「一緒にジムでトレーニングしような」という言葉はついぞ果たされていない。
それ以来、こういった隙のない人間に対して「やはりオモテだけを取り繕った嘘まみれの人間なのだろうか」という疑念がより一層生まれるようになった。

本当の笑顔はどこにあるのだろう。
私の笑顔はどう見えているのだろう。
よその笑顔がイビツに見えてしまっては、いちいち疑念を抱いて、すぐに言葉の鎧を取っ払おうとしてしまう。
こんな私に対して本当の笑顔で接する人間は、どれくらい居てくれるのだろう。
こんな気持ちでは笑うことなどかなわない。
幸福への道のりから、また一つ遠ざかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?