醜悪たるヒューマノイド「作品マーキングきもちぃ〜ん。」 - 2024/01/15

◯読まなくてもよい部分。
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これは、醜く浅ましいnoteです。
アナタが知らないであろう音楽を紹介する事で、
「これマジ”イイ”っスよねぇ〜、僕これ”先に”見つけちゃったんスよぉ〜。」
という何の意味もなさないマウントを取る為に書きました。

これは、アーティストが必死に生み出した素晴らしい作品達に対して小便をひっかけるような行為であり、本当に褒められたものではないと考えています。
子犬のナワバリ争いのようなマーキングであれば、少しは可愛らしいのやもしれませんが、残念ながら人のマーキングです。
非常に申し訳ありません。

「あぁ〜ん、この曲流行ってほしいけどぉん、流行らないでほしぃ〜ん。」
とかYoutubeのコメントで宣う奴らを最近見ました。
「皆が知らないモノをイイって思っちゃうんですよねぇ〜ん。」
用済みだ。今すぐ閉口して失せろ。
「はい。」

こういった文章、もといそれを書く人間を、私は軽蔑していたのですが、私の心の根っこは彼奴等と同じ場所にあるようですね。
とどのつまりは同族嫌悪…。
まっこと、悔しゅうございます。
まっこと、憎うございます。
怒りが、こみあげてまいりました。

いつか、そんな奴らにマーキングされるくらいなら、私が先にしたいのです。
敬愛してやまない楽曲達が、醜悪なヒューマノイド共のステータスやアクセサリーとして、餌食にされるのを見たくはない。

愛ゆえのマーキング、やらせてください。
愛ゆえのnote、書かせてください。
愛ある人間のわたくしめに、させてください。
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◯ここからは、ちゃんと読んでください。


◯KILLER PULSE - COPTER4016882

おそらく宇宙人が作ったアルバム。
終始「これイイかも…」と「奇抜だなあ」の間を丁度よいテンポで揺らしてくる。
特に好きなのは“この気持ち”。
つらつらと繰り出された言葉すべてが、内向的で魅力あるオーラを纏っている。

近年、サブスクリプションの普及などにより、アルバムを通しで聞く事は少なくなってきたと聞きます。
こうやって宣う私もその1人です。
しかし、このアルバムだけは通しで聞いて頂けませんか。
後生です。

◯J Madd 9
「ワタクシ達、日本人は」
「おっとっと!」
幾つものクセになるフレーズが散りばめられ、リピートされる。
曲全体を通して人懐っこい趣があり、つい聞いてしまう魔力がある。
途中の女性ボーカルを聞き取れた試しがない。
今はそこも含めて好きです。

◯この気持ち
「降り出した雪は…天使を気取っている」
雪が降った深夜に、これを100均のイヤホンで聞くとよいでしょう。
ポケットに手を突っ込んで、通りを行くとよいでしょう。
猫背で、孤独を演出しましょう。
次の瞬間、アナタは「過大で神聖なるナルシシズム」によって心を支配されます。

◯サイケデリックパスワード
さざなみと、摩訶般若波羅蜜多心経だけで構築されたイントロ。
何故?
お洒落でしなやかなリズムになったと思えば、まさかの摩訶般若波羅蜜多心経2度漬け。
何故?
お経の裏では、UFOの操縦桿みたいな効果音がずっと流れている。
何故?
最後は、波の音だけになってフェードアウトしていく。
この楽曲をどんな気持ちで聞けばよいのか、一向にわからない。
この気持ちはどうすればよいのでしょうか。



◯Plum Song - Omodaka

密かに以前の日記でも”マーキング”していました。スミマセン。
初めて聞いた時は、テクノによる未知の親和性に動揺を隠せませんでした。
感動を共有したい一心で、誰彼構わず「これは本当に凄い曲だ!聞いてみてほしい!」と、首を360度に回しながら懇願したのですが、誰1人とてハマりませんでした。
知り合いの耳は全て飾りだったようです。

◯Plum Song
「梅は咲いたか」というお座敷唄に、テクノを掛け合わせた楽曲。
DeBergeの「I Like It」という曲のイントロを取り込むことによって、テクノ民謡という尖ったジャンルにも関わらず、えも言われぬノスタルジーを感じ取らせる。
そこに対して、民謡歌手 金沢明子さんの洗練されたボーカルが、テクノの風変わりなステージで浮きも埋もれもしないまま、鼓膜に鋭く切り込んでくる。
Omodakaとしての活動で、民謡とコード進行による音のパズルをいくつも完成に導いた寺田創一さんに、敬愛の念を抱かずにはいられません。


YoutubeにMVが出ています。
一度だけでもよいので、見てほしい。

Omodakaには、これも含めて幾つもの素晴らしい楽曲があります。
こんなマーキングnoteは閉じて、はやくOmodakaの作品を聞いてください。




◯蛇足
「はあ。まわりの皆が知らないモノを知っているボク/ワタシの感受性はどうしてこんなにも優れているのだろう。ふう。自分のセンスが怖くて溜息がとまらない。はふう。」
この鉤括弧は、私による嘘偽りのないセリフであります。
冒頭でキッパリ貶した方達は、私でもあるのです。

「オマエって、本当にセンスがいいよなあ。」
「よかったら、他にも色々教えてよお。」
幼い頃から、こんな言葉をかけられ続けた為に助長してしまった、”かるちゃ〜”に対する歪なナルシシズム。(…醜く肥大しており、下水道を詰まらせる程のソレ)
こいつが放つ悪臭には鼻をひん曲げずにはいられません。
自戒の為にも、ああやってボコボコに叩いた訳です。

しかし私のこれときたら特別に気持ちが悪い。
書き終えた文章を読み返すと、たまに驚愕する。
え?この「自分をよく見せたいよぉ〜っ」と叫んでいる言葉が私のものですと?ひえーっ。

自己愛のその全てがマイナスだとは言いません。
日記なんてそれがなければ続きはしませんからね。
こうして好きな楽曲について語るのも、自分という存在を認めていなければ出来ない行為です。
そういう意味では、少しだけ感謝しなければならないような、そんな気がしている…。

改めて、作品の力で私のような醜悪極まる怪物(マーキングモンスター)を生み出してしまうのだから、アーティストというのは本当に凄いですね。
どうしてくれるのでしょうか。
本当にどうしてくれましょうか。
助けてください。

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