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IからWeへのパラダイムシフトその1 私の世界からわたしたちの世界へ

先日、仕事で大失敗をしました(少なくともそう思いました。その時は・・・)。

いつもなら、落ち込むでしょう。ミスした自分を許せません。また、周りから失敗したと思われることを恥に感じます。なぜそうなったのか、なんで失敗を防げなかったのか、誰かを責めたり・・・失敗がいつまでも頭に残るのです。

その瞬間はものすごいショックでしたが、このときは、失敗した日の夜には消えていました。



今の私のテーマは「私」から「わたしたち」へのパラダイムシフトです。

先程の大失敗の話の続きです。実は、このとき新しいことにトライしました。スタッフの提案だったのですが、正直なところ、失敗することは予想できていました。以前でしたら、懸念されることを伝えて事前に改善するか、そもそもトライすることを避けていたかもしれません。

しかし、今回はあえて突っ込んでいこうと決めていたのです。そして、実際に予想していた通りになりました。数字の読み違い、オペレーションの失敗。お客様からのクレームもありました。もう来てくれないお客様もいるでしょう。以前の私でしたら、絶対に避けて通る道です。

これは、すべて「私」が考えた視点であり、結果への評価といえます。

しかし、今回は「わたしたち」の体験に飛び込んでみたのです。「わたしたち」という視点は、私を含めたスタッフ全員、お店、お客様、その日のお天気、そうしたものすべてを含めている視点です。

これは哲学的な話ではなく、実際にお店でも、スタッフ全体を眺めるのです。あなたも試してみたら分かるのですが、実際に全体をそのまま眺めるのは難しいです。

人間の本能で、気になることがあれば、そこに焦点を合わせるからです。放っておけば、ずっとそのまま見続けます。人は見たいモノだけを見ます。そのとき、他のものは見えていません。視線は、思考の働きとリンクしています。

また、何かを考えているとき、周りの音は入ってきません。

「私」が何かをしているとき、周りは消えるのです。これは頭で作り出している世界といえます。

「私」というあり方で世界と関わっているとき、頭の働きが強くなっています。思考で世界を見ているとき、本来のつながりから切り離されていきます。その結果、こだわりや執着、不安や怒りも増えていきます。孤独感を強く感じるのは、こういうときです。

逆にいえば、こうした苦しみは、あなたが今、「私」視点になっているということを教えてくれているサインといえます。



これに対して、「わたしたち」というあり方で、スタッフやお客様、お店全体を眺めていると、さまざまな動きがみえてきます。また、さまざまな音が重なって入ってきます。

これが今を体験しているということです。今といっても、自分の思考が作り出している今と、ありのまま動いている今は違います。

道を歩いているとき、あなたとすれ違う人は動いていますか?

考えながら歩いている時、相手は見えていなかったり、通行の邪魔に感じたりします。これは、見えているようで、ありのままは見えていない目です。



私の世界・・・部分に焦点がいって動きは止まっている 周りが邪魔に感じる

わたしたちの世界・・・全体が動いている 周りと溶け込み馴染んでいる



ここまで読んでみて、「全体が動くからどうした、当たり前のことじゃないか」という読者の方もいらっしゃるでしょう。10年前の私なら、間違いなくそう突っ込んだと思います(笑)

ここからは、体験からの気づきです。ご参考までにお伝えします。

冒頭に書いた、失敗だと思った体験をした日、ずっと「わたしたち」というあり方でいました。その結果、頭で予想していた通りになったのですが、「失敗」という体験の感じ方がこれまでとはまったく違いました。

これまでは、失敗は苦手でした。「私の世界」では、自分を責め、周りから責められているように感じます。周りから切り離されるほど、失敗を恐れるようになります。

頭は、失敗から私を守ろうとします。だから、安全な枠を作ります。思考は「失敗」という言葉を作り出し、枠から出ることを拒むのです。

ところが、「わたしたちの世界」では、失敗しても耐えられます。「わたしたち」がいっしょにした体験は、誰かの失敗ではありません。そもそも失敗などないのです。

これは頭で考えて「失敗も成功もない」と思い込むことではありません。上手く言えませんが、「わたしたち」にいると、体感的に失敗がスーッと流れていくというか、失敗という概念が消えていくのです。

「わたしたち体験」が出来てくると、不安があってもトライできます。その体験の向こうには、私では予想もつかない「なにか」があります。

実際、この日の失敗体験のあと、予想もつかなかったアイディアが生まれました。このアイディアは1人で考えても出なかったでしょう。まさに全体のつながりから生まれた「なにか」です。それはときに「祝福」に感じたりします。



「私」と「わたしたち」という視点は、禅の師匠と仰いでいる藤田老師から教えていただきました。藤田老師の言葉を紹介した書籍『青虫は一度溶けて蝶になる』によると、わたしたちがこれから取り組むべきなのは、「IのOS」から「WeのOS」へとOS自体を変えていくプロジェクトだそうです。

本の中で述べられていることを少し要約して紹介します。ご興味がある方は、ぜひ本を読んでみてください。

・人間には人生を駆動しているOS(オペレーションシステム)がある。OSのアップデートを試みることで、この世界を見ているパラダイム(認識の枠組み)そのものを変えていく。これが「IのOS」から「WeのOS」へのパラダイムシフト。

・IのOSでは、思考も言葉も動作も、自分を守るために「分離」の方向に使っている。それがWeのOSでは、すべて反対の方向へと切り替わる。思考や言葉や動作を「つながり」の方向で使っていく。

・無理に努力して「We」という状態になるのではなく、「そもそもWeとしてある」ということを見抜いていくということ。「I」という夢から覚めて、「We」という事実を現実として生きる。



誤解がないように申し上げると、「私」が悪いのではありません。大事なのは、「私」の視点になっているときに気づくこと。そして、いろいろな局面で少しずつ「わたしたち」という視点を入れていくのです。

藤田老師によると、体験する中で、「わたしたち」の可能性に気づいていくのが現実的なやり方ではないかと提案されていました。

まずは、普段どういうあなたで世界を見ているか観察してみましょう。
「私」なのか、「わたしたち」なのか?

楽しいとき、苦しいとき、世界はどう見えているでしょうか?
部分が気になる?止まっている?動いている?

「私」と「わたしたち」という視点の違いを体験することが最初のステップです。

心のあり方を「私」の力で変えようとするのは、難しいものです。心に心でアプローチすると、結局思考の枠組みの中で苦しむことになるからです。

考える代わりに、身体を変えることから始めてみましょう。
たとえば、今回お伝えしたように目のあり方が変わってくると、心のあり方も自然に変わってきます。



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