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「気が小さい」ということ 自我のコーヒーカップが溢れるとき

「気が小さい」という悩みを聞くことがあります。

普段は、バリバリ仕事をされている経営者も、トップアスリートも、外には出さないだけで、人知れず心が震えていることがあるのです。

私もよく気が小さくなります。

「気が小さい人」というのはいません。気が小さくなることは誰しもあります。

気が小さくなっているのは、自分に起こっている状態です。

気が小さいという状況は問題ではありません。端から見れば大きな問題に見えても、本人は案外その状況を楽しんでいたりします。逆に、すごくいい流れにのっているように見えても、本人はアップアップだったりします。

自分の心がその状況に耐えられるかどうか?なのだと思います。

さまざまな状況に柔軟に対応できているときは、気は小さくなっていないでしょう。

一方で、取り乱したり、不安が頭から離れなかったり、頑なになったり、他者を批判したり、悪口を言いまくったり・・・こういうときは、気が小さくなっている状態といえます。



先日、食堂にいたとき、あることをきっかけにキューッと内臓が縮むのを感じました。店長が急にやりたいことを言い出したことに対して、不安が襲ってきたのです。

身体が収縮し、気が小さくなっているのを身体で感じました。心は固く閉じていて、視野も狭くなっています。

こういうとき、まず優しい言葉や温かい言葉は浮かんで来ません。恐れだったり、反発だったり、怒りの言葉が頭の中で渦巻きます。必死でこうした言葉を発しないように我慢していますが、孤独と寂しさでいっぱいです。少しのきっかけで、感情があふれ出しそうです。



なぜ、気が小さいという状態に陥るのでしょうか。

一言で申し上げると、「自分の頭で考えるから」です。

物事に頭で反応し、頭で考え、頭で対応しているのです。

頭で反応するというのは、自我が発動している状態。自我は、周りに壁を作ります。内側と外側の境界がクッキリしてくるので、自我のコーヒーカップのような状態が起こります。

この自我のカップは小さいので、すぐにあふれ出すのです。

気が小さくなっているときは、自分の内側に閉じこもっているのも特徴です。周りが異物に感じるので、ささいなことにひっかかりやすいです。また、物事をネガティブに捉えやすくなっています。

これが悪いのではなく、人であれば、誰しも自然に起こる現象といえます。



気が小さいのは、自我の器で物事を捉えている状態です。

私の場合は、気の小ささを見抜かれるのが怖くて、虚勢を張って大きく見せようとしていました。人によっては、気の小さい自分を隠そうとします。

禅の修行をはじめたのも、少しでも人間としての器を大きくしたかったからです。努力をしましたが、残念ながら大きくはなりませんでした。



気が小さいというのは、どれだけ頭で考えても大きくはなりません。いかに自我から離れるかがポイントです。オススメは、まず身体で感じてみることです。私は気が小さくなってくると、坐禅をします。

気が小さくなっているのは、どんな状態になっているのか。頭で考えるのではなく、呼吸しながら身体の状態で感じてみるのです。

頭の力みは?肩の力は?内蔵あたりはどうなっている?



あるとき坐禅をしていて、それまであれこれと考えていた悩みが消えていくのを感じました。そのとき、自分が開いていたのです。そのとき、気が小さい自分はいなくなっていました。

坐禅をしながら空気を感じていると、自然にエネルギーは外側に向くようになります。すると次第に、自分が周りに溶け込んでいきます。

頭が頑張っている状態から身体のはたらきへとシフトしていくと、自我で引いていた線が薄くなっていきます。自我の線が薄くなるほど、器の形はなくなっていきます。

結果的に、自分と外側の区別がなくなっていくのです。そのとき、気が小さいという「自分へのこだわり」は消えています。

気が小さくなっているときに、物事を解決しようとすると、上手くいきません。



心の働きが以下のようになっている状態では、自我のコーヒーカップが溢れそう(もしくはすでに溢れている)になっているので、解決へと進まないほうが無難です。

・自分だけが辛い
・損得に敏感(他の人が得しているのが気になる)
・敵か味方か
・切り離された孤独感
・安心感がない(裏切られる不安)
・他人からの評価がもっと欲しい(評価が足りない)



こういうときは多くの場合、自我のコーヒーカップが現れて、「気が小さい」という状態になっています。

まずは、キューッと固くなって、内側に閉じこもっている自我のコーヒーカップを感じることから始めましょう。呼吸をしながら温かい目を向けてあげるのです。

気の小ささを心の働きだけでどうにかするのは難しいです。身体からのアプローチを取り入れるのが大切です。

坐禅以外に、ヨガや、自然の中でのウォーキングもいいと思います。自分が自然に開いていく場所を探してみましょう。

面白いもので、自我の器が消えたころには、問題だと思っていたことが気にならなくなっていることが、よくあるのです。あるいは、まったく別のテーマに変わっていることもあります。

気の小ささは、挑戦することを邪魔するかもしれません。おもしろいもので、邪魔しているのも自我であり、邪魔を取り除こうとするのも自我なのです。

自我のコーヒーカップの中で、さまざまな戦いが起こっているのです。自我の問題を自我で解決しようとすると、小さく頑なになっていく理由がここにあります。自分が嫌になっていくのです。



自我のコーヒーカップのもう一つの特徴は、必ずどこかで消えるということです。なんとかしようとしなくても、時間がたつなかで、形あるものは必ず消えるのです。

少し待ってみる。ときを置いてみる。まさに「なにもしない」ということですね。

自我を使わない。

これも自我との付き合い方のひとつの方法です。



今回も読んでくださり、ありがとうございました。いかがだったでしょうか?

今回、書きながら、コーチングのセッションは、まさに自我が消えていく方向なのだと思いました。

クライアントさんは、コーチに心を開いて話をすることで、自分の内側に向いていた矢印が外側に向いていくからです。

また、コーチも同じです。クライアントさんの話を聴く中で、自然に心が開いていきます。

セッションは心を開いて、いっしょに何かを探していく時間です。

お互いの矢印が外側に向く中で、それぞれの自我のコーヒーカップが消えていきます。そして、今まで見えていなかった視点に気づいたりします。

自我を使わないというあり方は、まだまだ工夫の余地がありそうです。

まだ書きたいことはあるのですが、そろそろ頭の働きが強くなってきました。

今回はこのあたりにしたいと思います。



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