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失敗だらけで人生を生ききる アドバイスより大事なものとは

コーチって、何かアドバイスする人だと思われている方もおられます。ですが、私はセッションでも、そして日常生活でもアドバイスをすることは、ほとんどありません。もちろん、「こうした方がいいかな」と思うことはありますが、それを言葉にすることはありません。

私が話すのは、「自分の経験からの気づき」でしょうか。経験には、正しい、間違っているということはないからです。



最近、本を読むことが少なくなりました。今は理屈はいらないかなという感じです。

理屈ではなく、体験から学んでいます。自分でいることで十分楽しめるのです。



禅では、自分が教科書といえます。

コーチとしても、基本的に同じスタンスです。

何を経験しているのか、何に気づいたのかを大事にしています。



コーチになりたての頃も、正しい間違いはないという理論は分かっていました。ただ、クライアントさんが大きな失敗をしそうなときは、逆の方向から事実を見つめる質問をしたり、少し落ち着いて考えてもらう時間を取ってみたり・・・と、思いとどまるような方向へと誘導していたかもしれません。

しかし、禅の修行を通して、すべては経験なのだと自分の中で腑に落ちたとき、コーチとしてのスタンスも変わりました。

いい人になることが大事なのではなく、その人の人生を「生ききる」ことが大事なのだと。



「生ききる」ということには、上手くいくことや挑戦だけではなく、問題も含まれます。経営者でいえば、経営が傾いて社員を大勢解雇したり。逆に、「あなた(経営者)についていけない」と社員が大勢退職したり・・・。また、中には、不倫や浮気をしたりして、離婚問題に発展するケースもあります。

これは倫理上はよくないことでしょう。できれば、避けたい出来事ですし、そうならないように努力されている方も多いと思います。

不倫や浮気はまったくオススメできませんが、でも経験しないと、人生が進まない人もおられるのです。

問題もふくめて、生ききること。



浄土真宗の開祖、親鸞は「人間は本来罪深い凡夫である。悪人を救うのが阿弥陀如来の本願であり、悪人こそが阿弥陀仏に救われる対象である。それを信じてひたすら念仏を唱えること」を説きました。

人間は「宿業」を生きています。仏教において「宿業」とは、生まれながらにして宿している業(カルマ)であり、過去生からの因縁ともいえます(ちなみに私は、輪廻について特定の意見は持っていません)。

もちろん、人には理性があり、自分の人生をより良く意味のあるものにするために、努力されているでしょう。もちろん、努力は大切であり、それを否定するわけではありません。



しかし人間には、自分でできる努力を超えた「はからい」が働いています。

自分の意志や理性ではどうにもならない、心の奥底から湧き上がってくる衝動。突如襲ってくる、あるいは、ずっとうごめいている恐るべき力に翻弄されることがあるのではないでしょうか。

特に経営者や、独立して事業をしているフリーランス、プロのアスリートは、こういうエネルギーが強い方と言えます。なにか自分を突き動かしているものがあるのです。こうしたエネルギーは、社会と調和がとれているときは、正の方向に向かって上手く回っていくでしょう。

このエネルギーはコントロールできるものではないので、負の方向にも働きます。「なぜこんなに危険で無謀なことをしてしまうのだろう」、「なぜ子供じみたことにこだわってしまうのだろう」、「なぜあんなことを言ってしまったのだろう」、「なぜこんなことに巻き込まれてしまうのだろう」など・・・。自分でもよく分からないことになってしまうのです。

結果として事業が傾くかもしれませんし、さらに事態が悪化すれば、事業をやめなければならなかったり、追い出されたり。パートナーから愛想を尽かされて離婚を切り出されるかもしれません。これは悲劇です。

しかし、人には避けては通れない道があります。経験しなくては、人生が成就しないのです。

端から見ると、「なんであんなことをするのだろう」と思います。あまりにも未熟で不合理で、「人としてどうなのだろう」と思ってしまうような行為です。しかし、自分から望んで不幸に突き進む人はいません。



やむにやまれぬ何かがあるのです。それが「宿業」です。



河の流れは、どこに向かっているか分かりません。一つ言えるのは、大きな「はからい」の中で、どこかに流されているのです。それが悲劇であっても、世の中からみれば問題であっても(コーチとしての倫理上、残念ながらその行為が犯罪につながりそうな場合は、コーチング契約を解除します)。

そこから学べばいいのです。その体験をどう糧にしていくのかが大切なのです。



アメリカに行き続けて感じたことがあります。アメリカ社会のいいところは、失敗した人にも再びチャンスが与えられることです。失敗に寛容だからこそ、イノベーションが生まれます。アメリカはいろいろな社会問題を抱えてはいますが、その葛藤というエネルギーを糧にして成長しています。

この点でいえば、日本は失敗に不寛容な国といえます。だから、失敗しないように過敏に反応しますし、失敗を隠そうとします。

ただ、どの家庭にもどの会社にも、表に出ていないだけで、実際は多くの失敗があります。人生は失敗だらけなのです。理想の人生などありません。

コーチとして、多くの場面に遭遇してきました。クライアントさんのおかげで、私も自分が失敗することに寛容になれてきたと思います。



食堂でも同じですね。「こうした方がいい」と思うことはたくさんあります。でも、それを先に言ってしまっては、スタッフ達が経験する機会を奪ってしまいます。

上手くいっていないことも沢山あります。しかし、そこで何を考え、どうするか。ただそれを見ています。

もちろん見守ることは、簡単ではありません。さまざまな葛藤が湧き起こります。つい先走って言ってしまい、後悔することもあります。そんな自分を、今私は体験しています。



禅のいいところは、正しい、間違いはない点です。すべては体験だと捉えます。それが土台として、私を支えてくれています。

おかげさまで、食堂のスタッフたちは、上手くいかなかったとき、それを次に活かしてくれています。もちろん活かせないときもありますが。それでいいのです。



経営者であるクライアントのAさんは、会社も従業員も、すべてを自分が思うように動かしていました。現場に出て、一から十まで徹底的に指示・命令するので、多くの従業員が離れていきました。それがコーチングを受けられる中で、現場に任せるようになったのです。人の話も聞くようになり、失敗にも寛容になりました。

Aさんの右腕や左腕も育ち、会社は次第に大きくなっていきました。一見すると順調なのですが、しかし、Aさんのどこかに不満が募っていきました。もっと熱く燃えて欲しいのに、「ぬるい」と感じるのです。

そこで、あるときから再び現場に出て、とことんやるようになりました。従業員がたまらず、「現場に出るのを止めて欲しい」と言ってきました。

こうした繰り返しをしながら、会社は「家族」になっていきました。これがAさんの「宿業」だったのです。

「宿業」の前では、私がアドバイスできることなど、ありません。

私にできるのは、体験している方のそばにいること。あなたの失敗といっしょにいて、あなたの最低な姿を底でしっかりと受け止めることです。

そして、そんなクライアントさんの生き様に励まされています。だからこそ、私自身、いつも傷だらけで、自分の「宿業」を生きることができるのです。




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