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人生が反転するとき2  「空」と「色」を生きる

今、人生が反転しそうな予感がしています。

今までは、苦しみをベースに生きてきました。苦しみにこだわっていたとも言えます。

自分は欲深い。自分はいつも怒っている。自分は執着している。

だから、少しでも欲を手放さなければ、怒らないようにしなければ。執着してはいけないと思っていました。

これは「何かがある」ことをベースに生きている状態といえます。何か悪いことが起こっているダメな自分を直そうとしているのです。いつも悪い自分が現れることを恐れていました。そこに、安心感はありません。


一方で、幸せな気持ちになることもあります。美味しいご飯を食べて幸せ。仲の良い友達との時間は幸せ。幸せな時間は楽しいです。苦しみがない、もっと幸せな人生を送りたいと思ったりもします。

苦しみを感じる。幸せを感じる。

これは、「自分」を生きている線と言えます。自分を生きる線には、幸せがあります。苦しみがあります。苦しみと幸せは、まったく別の感情と思われがちですが、実は同じ線上にあるのです。

それは自分という自我の線です。自分を生きる線は、幸せと苦しみでアップダウンします。

人生には、もう一本の線があります。

それは、何もない線。

「不貪・不瞋・不痴」です。

今、貪っていない。今、怒っていない。今、執着していない。

ないときを観察してみると、普段の生活でも、ない時間が圧倒的に多いのです。


「何かがあること」から、「何もない」へのシフトが、坐禅を日々の生活にいかすポイントではないかと思います。

ない自分をベースにしてみると、あることに対して違和感を覚えることが減りました。これまでの私は、何かが起こっている一瞬にこだわり、苦しんできたといえます。

自分という人生を生きる線は、「苦しい」「幸せ」「楽しい」など、言葉に出来ます。でも、何もない線は、見えないですし、言葉にできません。

見えない線です。


私にとって、食堂は「ない」ことばかりです。

食堂でお金は儲からない。特に自分がやりたいこともない。世間的な評価もされない。やっていて、特に手応えもありませんし、食堂をやっている意味も分かりません。

以前でしたら、意味が分からないことには価値がないと考えていました。無駄なことをしないことが、意義ある人生にとっては大事だと思っていたのです。
だから、最近まで食堂は副業だと思っていました。



でも、意味がないことが「禅」への入り口ではないかと、今は思います。



禅の根本的な真理に「色即是空 空即是色」があります。

「ない」というのは、いつもまっさらな世界です。これは禅でいう「空」かもしれません。

そして、そこに出来事という「色」がついていきます。



たとえば、「空」という働きと、「色」という働きは、別です。まるで、何もない「空」というキャンバスに、何かがあるという「色」の線が引かれるようです。

何もない世界は無限です。一方で、何かがある線は有限です。

私は、何かを成し遂げることが人生の意味だと思っていました。だから、意味があることを探していました。

これは、自分という線を必死で引いている生き方です。

しかし、食堂を通して、何もない世界に出会ったことで、無限に広がるまっさらなキャンバスの存在を知りました。何もない世界が感じられるようになってくると、食堂は副業ではなく、食堂が生きるベースではないかと思うようになりました。

そして、私の生きるテーマは、夢ではなく、何かを成し遂げることではないことに気づきました。

ただ、「貪っていない」「怒っていない」「執着していない」というあり方で生きる。これは願い?祈りといってもいいかもしれません。

禅の見方では「生きることが仕事」といえます。



コーチを本業だと思っていたときは、必死で線を引いて、自分を表現しようとしていました。意味がある人生にするために、線を引いて、自分で枠を作っていたのです。

今は、食堂がコーチとしてのあり方を磨いてくれています。

でも、頭はすごく抵抗します。手応えを必死で作ろうとしてくれます。これが悪いのではありません。色も人生には必要です。

ただ、ベースが「空」か、「色」なのかで、まったく人生は違います。

お金ややりがい、頭で考える価値や意味を手放していくと、本業って、もっと自由になるように思います。

あなたの「ベース」って、何でしょうか?

少し問いを持ってみてください。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

副業だと思っていた食堂がまさか生きるベースだったとは、私自身驚いています。今、はじめて禅の入り口に立てたのかもしれません。

「何もないというベースは無限の世界」と申し上げましたが、これはすべてのものが等しく持っているものです。

「貪っていない」「怒っていない」「執着していない」というのは、すべてのもののベースであり、「つながり」なのです。

このあたりについては、また次回、お伝えしたいと思います。



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