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【禅語 放てば手にみてり】 ご縁をどう生きるか?

今、個人的に大きなターニングポイントを迎えています。詳細については、またどこかでお伝えしたいと思います。

重要な局面では、何かを決めるタイミングが結構、難しいです。時が熟すのを待つのも大事でしょう。といっても、待ちすぎると時を逸してしまいます。

時は、早いのがいいのか悪いのかという話ではないのだと思います。ポイントは「タイミング」です。

タイミングとは、ご縁とご縁が交わる瞬間と言えます。

先日、一本の電話をかけました。連絡するのに二週間かかりました。毎日電話しようとは思っていたのですが、なにか違和感があったのです。

一方で、これも同じ時期のことですが、電光石火のごとく、すぐに電話をかけて話をしました。

おかげさまで、両方とも、ここしかないというタイミングでした。

最初の電話は、あと一日でも早ければ、逆に大切な人に出会う機会を逸していました。後者の電話は、もう少し遅ければ大きなトラブルを招いていました。どちらも紙一重のタイミングで、ご縁が上手くつながりました。

両者に共通していたのは、「時が背中を押してくれた」ことです。



少し話は変わりますが、一般的に、ビジネスでもスポーツでも「因果」で物事を考えます。原因によって結果が決まってくるという考え方です。

一方で、禅は「因果」の立場をとりません。禅での修行は「因縁果」です。見ての通り、真ん中に「縁」があるのです。

この「縁」をいかに生きるか。

ある日、40分ほど坐禅していたところ、あっという間に終わったことがありました。このように40分がスーッと楽に流れることもあれば、5分が苦痛に感じることもあります。

仕事をしていても、なが〜く感じる日もあれば、あっという間に終わる日もあります。自分の状態と周りとの環境の交わりによって、「時」は長くも短くもなります。あなたも日々感じておられるのではないでしょうか。

時間が長くもなれば、短くもなるというのは、当たり前のようですが、これは「時との縁」といえます。

縁というと、一般的には人の縁を思い浮かべるかもしれません。縁は人とのものだけではありません。大地とのご縁があるから歩けます。空気とのご縁があるから呼吸ができます。そして「時」との縁もあります。

さきほどお伝えした電話の体験は、時という縁と上手くダンスしていた例かもしれません。

今この瞬間を感じられていれば、ここしかないというタイミングに出会えるでしょう。



一方で、時に逆らっていることもあります。

私自身、不安や心配が強くなると、つい焦って早く解決しようとします。先回りして問題を回避しようとするのです。今思えば、そういうとき、周りと切れてひとりぼっちになります。結果的に問題は回避出来ても、まったくタイミングは合わず、人間関係がこじれたりします。

問題が怖いとき、問題が熟すのを待てません。体験が浅いままで終わってしまうのです。これは時を待てていない状態です。

いかにギリギリまで待てるか。ギリギリでご縁のタイミングがやってくるのを信じて待てるか。

「待つ態度」が大事になります。

時を待っているとき、自我のこだわりを手放す必要があります。損得があるとき、自我は力んでいます。

さきほど例に出した私のように心配や不安で自我が力んでいるとき、周りとぶつかります。もちろん、時の流れにも逆らっています。これだと、時がやってきた瞬間を感じられません。残念ながら、タイミングを逸してしまいます。

損得を捨て、こだわりを手放せたとき、自我の力みが抜けます。そのとき、身心は軽くなり、時が背中を押してくれているのを感じられるようになります。

これがギリギリのタイミングに出会うのを準備している状態です。



「放てば手にみてり」という禅の教えがあります。

曹洞宗の開祖・道元禅師が説いた教えで、「手から放れたとき、大切なものは自然に手に満ちてくる」という意味です。

人間は、先に何かを掴もうとします。いい結果を掴もうと必死でタイミングを探します。しかし、掴もうとするほど、周りとのご縁は切れます。自分だけでは、ご縁のタイミングは顕れてきません。

だからこそ、先に手放せるか。損得を捨て、こだわりを手放して待っているとき、その手には何もありません。これが時のご縁がやってくる「待つ態度」です。

もちろん、それでもタイミングがやってこないときもあります。でも、それでいいのです。それは目に見えるご縁がなかったということですから。

ときどき、何かを手放せば、もっと素晴らしい物が得られると誤解されている方がいます。そうではなく、手放した手は「ご縁の手」であり、すべてとつながっている手ではないでしょうか。その手はすべてを持っています。

ぜひ、「待つ態度」について問いを持ってみてください。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

今、私自身が「手放した手」を試されています。どんな流れになっていくのかは、正直、分かりません。

以前でしたら、ギリギリのタイミングまで待てませんでした。しかし、今回は紙一重の瞬間を体験できています。

最近、禅を共に学ぶ仲間から「今までになかった、自信や余裕みたいな雰囲気を身につけられたように感じます」と言われました。

本人に余裕などまったくないのですが、そう見えるのは不思議です。ひょっとしたら、自分でも気づかない変化をしているのかもしれません。


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