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キネマ feat. 菅田将暉


2009年、菅田将暉、爆誕   


『すだまさき』と聞いて『菅田将暉』と頭の中で漢字変換出来る人口比率は、今やこの国ではどの位なのだろうとふと思う、そんな2021年の夏。

#菅田将暉作品を語る  という、ファンにはたまらない企画を松竹映画さんが立ち上げて下さった。
公式サイドから『語っても良いですよ』というGOサインを頂けた事に感謝して、彼への想いをこの場でひっそりと溢れさせて頂きたいと思う。


彼と私の(一方的な)出会いは2009年スタートの仮面ライダーWだった。
それはそれは元気溢れる幼い我が子を日曜日の朝に大人しくさせるには、ニチアサ作品は本当に神様の様な、戦友の様な関係であった。

その記念すべき第1話に、全身真っ白な衣装を着て、まるで性別が分からない様な、否、性別など取っ払いすべてを含有しているかの様な空気を纏う一人の役者がいた。

「悪魔と相乗りする勇気、あるかな」

その役者が初めて発した台詞にすっかり射抜かれ、以来ずっと相乗りどころか背中を追い続けることになる。

それがそう、菅田将暉だった。


仮面ライダーと同時進行で爽快な学園ドラマに出演し、仮面ライダーが終われば動物虐待をする学生として動物医療ドラマに出演。
そうかと思えば舞台では新体操を披露し、いきなり坊主にしたかと思えば脱獄犯のドラマに出て。
とにかく彼を見ていると次から次へと『こう来るか!?』の驚きの連続であったのだ。

誕生から派生まで



それでも個人的に(何か足りない)(まだ彼はもっと凄いことが出来るはずなのだ)と、くすぶりながら感じていた。

そしてそれは、テレビ画面に収まるだけでは、舞台で何人もの若い役者と絡んでいるだけでは勿体無い、もっとどかんと大きな画面で彼の見えざる新しい一面が見たいという欲求に変わっていった。


まだそこまでの知名度が無い時期に、菅田将暉はファンと触れ合うイベントを年に一度は開催していた。
2012年2月に開催されたファンイベントに参加していた時に、ステージ上の彼が350人ほどの客席のファンに問いかけをしてきた事がある。

「何か見てみたい役とか、ありますか?」

その時私は思わず、ものすごい威勢の良さで挙手をした。
どんなものが見たいのか、こんなものだって出来るはずだと信じている気持ちを伝えるために。

その威勢の良さにステージ上も圧倒されたのか、回答権を頂けた。
その時私が彼に発した言葉は
「すっっごい悪役が見たいです、ブラックなのを!」
であった。

一瞬、彼自身はぽかんとしていた。
そりゃそうだろうと思う。
この質問の前に、次はどんな髪型が似合うかというトークで、M字バングにしようか金髪はどうか云々と、キラキラ眩しい算段を話していたのだから。

とんでもない変化球を投げてしまったかと身構えたが、彼は
「それいいですね!じゃあマネージャーさんにも伝えておきますね!」
とにっこりと微笑んでくれた。


この珍事の数ヶ月後、私の中で勝手に奇跡が起こる。

青山真治監督による映画『共喰い』で、菅田将暉が主演を務めるというニュースが飛び込んできた。
田中慎弥氏の原作であり、濡れ場もあるこの物語を彼が演じる。

ファン界隈は、それはもうざわついた。
正義のヒーローを演じた役者が濡れ場などという声も出た。
それでも私は、心踊った。
これまでとは異なる彼が観られるのではないかと。
殻をぶち破ってくれ、枠からはみ出してくれと願った声がこんな形で叶うのかと、勝手に歓喜した。

そして、その願いは見事昇華された。
共喰いの撮影中に菅田将暉のブログ更新は途絶え、撮影が終わりしばらく経ったある日。
遂に彼が文字を生み出し、ファンに想いを伝えてくれた。

濡れ場がある作品への出演を危惧するファンがいることを考慮しつつも

「このままでは菅田将暉が死んでしまう」

「こういう人がいる、こういう人生もあるって知って欲しいから、演じただけ」

と素直な想いを吐露したのだ。

人の人生を生きる。
その人の生きざまを伝える。

役者としてのこの上ない冥利を知り、純粋な真っ向な“映画“の現場で、初めて自分が“俳優部“の一人に過ぎず、大勢の人に支えられてようやくものづくりが生まれる喜びを『共喰い』で知った彼の飛躍は、今では説明しなくても活躍ぶりで充分に伝わるだろう。


映画界を駆け上がれ



『共喰い』『そこのみにて光輝く』『あゝ、荒野』の様に、生と性の狭間で揺れ、血と地の間で悩み、地面に這いつくばってでも食らいついていく凄みを銀幕から感じさせたと思えば。

きらびやかな指折りの若手俳優とガチンコに戦い頂点を目指す『帝一の國』や、日本屈指のVFXを多用し壮大なスケールに仕上げた『アルキメデスの大戦』、等身大の男女の恋愛を丁寧に描き老若男女に大ヒットした『花束みたいな恋をした』など、大手配給会社がそのシーズンの目玉とするTHE・メジャーな映画でも、ど真ん中を張ってきた。

アングラとメジャーの行き来。
これが菅田将暉の戦略でもあった。

決して自分を縛らず、括らず、枠にはめず。
「身長176㎝。髪は直毛。血液型はA型。顔は濃くも無ければ薄くも無い」
そんな自分は“無個性“だと過去に笑って話していた彼は、無色透明だからこそ何色にも染まり、どんな人物にもなり、どんな人生も生きる技を身につけたのだ。

だからこそ、スクリーンの中で生きる菅田将暉に、私たちはいつだって惹きつけられる。

次は何にぶち当たる?今度はどう生きる?ここからどう進化する?

観る度にそこにはこれまでとは違う“新しい菅田将暉“が存在して、でもそれは作品の中の誰かでしかなくて。
幕が降りる度に私の心の中にその人物がするりと入ってきて、この大きなスクリーンで新しく生まれた“彼“に出会えた喜びにいつだって震えながら、劇場を出るのだ。

(余談だが、過去の彼の出演作を見直した人からの『あの作品のあの役が菅田将暉だったなんて、気付かなかった!』という驚きの声を聞く度に、どこまでも化ける彼の手中である事に「大成功…」と私は勝手にガッツポーズをして、ほくそ笑む)


いつだって“今“を生きる




さて、そんな彼の最新作が『キネマの神様』である。


松竹100周年記念映画であり、巨匠・山田洋次監督作品という並びだけで、思わずファンも縮こまってしまうスケールだ。

でもいい意味でその重さを感じさせず、物語は過去と我々が生きる今を絶妙に交差させながら紡がれていく。

映画が元気だった時代。正しいことを正しいと言えた時代。日本がアツかった時代。
自分はこれが好きなんだと真っ向に主張できた時代。

今では歴史上の人物である様な山田洋次監督が、体感してきた時代。
その時代を疑似体験した平成生まれの菅田将暉は
“表現者として、これを後世に伝えねば“
と使命感を持ったという。

奇しくもこの作品の撮影中に出た初の緊急事態宣言で、今まで俳優人生全力疾走だった菅田将暉が、一時停止せざるを得ない事となった。
「俳優やりたいのかな、やりたくないのかな?」
そんな自問すら出てきた時に彼が思っていたのが、山田洋次監督の事だったという。

W主演を飾るはずだった志村けんさんの一件を経て、果たしてこの映画はどうなるのかと案じる日々の中。
89歳でzoomを使いこなし20代の自分に話しかけてきて、コロナ禍で撮影が止まってもまだ台本を書き直し、ゴウちゃんはきっとこう泣くんだ!と裏方で説明しながら泣いた山田洋次監督。

そのパワーに触れ“勝手に跡取りの様な気持ちになった“と彼は言う。

もしかしたら、コロナ禍で停滞している時に携わっていた作品が『キネマの神様』でなかったら、山田洋次監督でなかったら、今の菅田将暉は存在していなかったのかもしれない。
そう考えると、本当に“縁“というものは在るのだなと実感する。


『キネマの神様』の劇中、食堂で自分はこんなものづくりをしたいとアツく語るゴウちゃんを観て、もし菅田将暉がこの古き良き時代に生まれていたらどうなっていたんだろうと考えたりもした。

アツい夢を語っても誰も笑わないからこそ、“今“よりも生き易かっただろうか。

それとも異端児として煙たがられただろうか。

そのどちらも可能性はありそうで、でもそのどちらも不服に思っていそうで、やはりそう感じさせるのが菅田将暉なんだよなぁと思う。

一処に留まらない。時代に当てはまらない。それでいてどんな時だってきっと全力で生きていると思わせる。

そう、菅田将暉は、生命力のかたまりみたいな人なのだ。
だからどんな人生だって何度も生き、どんな人にだってなり、どんな生きざまにだって真摯なのだ。


スクリーンから『こんにちは』


『キネマの神様』の主題歌である「うたかた歌」にも彼は参加している。


“君の手垢だらけのこの記憶だけど ねぇ 僕のものでしょう?“

この歌詞は、劇中のゴウとテラシンに重なりつつ、映画の登場人物と観客の関係でもある気が、私はした。

スクリーンの中で生きる君の気持ちは、確かにこちらにも伝わって体に心に染み渡り、私たち観客の記憶になるのだ。

あなたたちの生きざまは、私たちのものでもあるのだ。

私たちは、映画と共に生きるのだ。

まさに銀幕から飛び出てきた園子みたいに。
まさにゴウちゃんが作りたかった『キネマの神様』みたいに。

今日もひとつの映画を観ては、新しく生まれた誰かを自分の中に息づかせる。

その喜びが大好きだから、私は映画が大好きなのだ。
菅田将暉が、大好きなのだ。


このnoteの冒頭での文面で、デビュー日の菅田将暉のことを
“性別など取っ払いすべてを含有しているかの様な空気を纏う一人の役者“
と表現した。

それは言い得て妙であり、2009年9月6日は、まさに“何者“にもなる菅田将暉の役者人生を感じさせた瞬間なのだった。


菅田将暉という表現者に出会えた私は、幸せ者だと断言できる。

これからもどうか、たくさんの人生を生きながらも、自分の道を彩り豊かに歩んでいって欲しい。

役者でいてくれて、菅田将暉で在り続けてくれて、ありがとう。



#菅田将暉作品を語る  #キネマの神様
#山田洋次  #松竹

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