自分から動き出さなければ、何も始まらない
本日よりnoteの中に、このブログ記事もコピペでアーガイブ開始(一応アカウント持ってるんですよ・・畑ラボ記事、体力的に継続できず放置・すんません)。宜しくです。
長く私のブログ読んで戴いている方からすれば、突然このタイトルは何故か?と思われるでしょうが。
note経由来で初の方も居られると思うので、今更だが、ちょい詳しく自己紹介。私2011年の福島原発事故由来の東京からの自主避難者。当時一歳三ヶ月の娘を連れて友人の嫁入り先に転がり込み居候。二ヵ月後、何とか京都市内(上京区)に部屋を見つけ移住。
元々シングルマザーとして子どもを産んだので、かなりスタンダードから外れた人生。どうせフツーじゃないなら自分が納得できる人生を送ればいいんじゃないかという思想?で、不思議に何とか生き延びております。
京都市内に引っ越して数年経ったら、京都市内の脱原発やオーガニック関係のイベント企画してる人や店は、大体知り合いになってしまいました。ちょっと大きいマルシェとかに顔出したら、必ず誰か知り合いが出店してる(笑)。狭い地方都市、数年住めばそういうもんだろうと私は思っていたのですが。
先日近所の豆や・楽天堂さんに久々に顔を出してみると、オーナーの千晶さんが言うには、最近自主避難の皆さん、揃いも揃ってかなり心理的に追い込まれているという。
皆、自分の居場所を見つけられず、孤独感に苛まれているらしい。
思いがけず私が元気そう(?)なので、良かった良かったと喜んで頂いたのだが。
ちょっと思ったんだが・・まてよ。って。
別に、自主避難者であろうが、なかろうが。人生において、何か待っていてなんとかなるものって、何一つ無いんじゃないかって思うんですわ。
自分から行動しないで、自分の居場所なんぞ見つけることはできんぞ?
今やネット社会。同じ価値観の人なんて、検索して興味あるイベントに顔出せばすぐ見つかる。
社会の問題に先に気がついて居るのなら、真っ先に行動するしかない。身の回りの人に理解してもらえないと言う前に、理解してもらう為にどういう投げかけをしたか、し続けているか。。難しいが、やっていくしかない。
疲れたら、休めばいい。
それぐらいのスキマや、見返りを求めない助けは、誠実に生きていれば必ず与えられる。
常々思うのだが、なんか、最初から充分に私達は「与えられている」んですよ。天上からぶら下がっているものが、見えてないだけで、すでに「ある」のだ。
だから、何も心配しなくて良い。
流石に40歳過ぎれば、そういうところが何となく見えてくる。
どうやったら孤独感に苛まれるんだろうか。。
やるべき(&やりたい)仕事をどうやってこなすか、で毎日大変なんですけど(笑)。
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