生い立ちの切り売り 3

  だいぶ間隔が空いてしまったので構想忘れかけてしまった。。

 幼稚園はスクールバスが家の前まで迎えに来て、終わったら家の前まで送ってくれる私立の幼稚園だった。商家だったので公立幼稚園の送り迎えが出来ないと言う理由だった。幼稚園のバスはウチが真ん中位で友達が半分くらい乗ってて、徐々に友達が乗ってきて楽しかった。カトリックの幼稚園だったので黒い修道服を着たシスターが乗っていた。あまり騒ぐとよく叱られた。程よい微笑みと共に。彼女も楽しかったのかも知れない。

 一度、授業が終わったら母が迎えに来るからバスには乗らないってうそをついた事があった。スクールバスが全部戻ってきて、それでも母は来なくて(当たり前だ)、シスターが家に電話をしてお母さんが自転車で一生懸命迎えに来て、デパートの食堂でお子様ランチを食べさせてくれて、屋上の遊園地で少し遊ばせてくれた。なんだか寂しかったのだろう。母もそういう思いを察してくれたのかも知れない。何故そんな事を言ったのかは思い出せない。

 僕は小柄で女顔だったせいか先生に割に可愛がられたと言うと語弊もあるだろうけど正直工作とかで手間取っていたら真っ先に手伝いに来たりちょっとしんどいと医務室に連れて行ってくれてヤクルトとかもらったりしてた。贔屓だとか言われた事もあった。気にならなかった。男の子に言われたら女の子と遊んだし、女の子に言われたら男の子と遊んだ。いつものグループで遊べないと、違う子と遊んだ。幼稚園なんて一日経過したらみんな忘れてるのでそういうのはだいたい一日で終わった。

 幼稚園で一番楽しかったのは、男の子とかけっこするのと、女の子のままごとに混じる事だった。運動会も楽しかった。そんな楽しい幼稚園も2年で終わり、卒園式の後にお母さん連中と子供連中が一緒にファミレスに大勢で行ってハンバーグを食べてクリームソーダを飲んで、トランプのババ抜きをしたり神経衰弱したりして遊んだのがいい思い出だった。小学校がバラバラだったので、それ以来彼等には会ってないと思う。

 ウチの家は最高4世代+店で働いてた親父の弟がいた。幼稚園の友達は近所にいなかったので姉と近所のすごく少言ってない子供と、周囲の大人と遊んだ。ヤクザの方もいらして車を見せてもらった。相変わらずホステスさんは頭を撫でてくれて、サラリーマンや呼び込みのおっちゃんは遊んでくれた。

 ある日、うちの作業場では親父が回転ベットに使う丸い布団を作ってた。これ、何に使うん?って聞いたら親父はフランクこの上ない人だったので、ウチの近所にある休憩、って書いてるとこで使うんやでーー、とか半笑いで言ってた。休憩の読み方まで教えてくれた。休憩が何をするかまでは聞いてないけれど。

 そうこうしてる間に、小学校に行くことが国で義務になっているので両親や祖母が色々と必要なものを用意してくれた。教科書。ノート。筆記具。色鉛筆。絵具。ランドセル。公立のくせに制服。なんだか違う世界に行くみたいで楽しかった。身長わずか100センチのサラサラの髪を散髪嫌いだからギリギリ伸ばした自分がそこにいた。僕はそこで色々な体験をすることになる。

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だらだら行きます。書きながら探っているのでどこでどうなるやら。。


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