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ChatGPTに作らせた詩に不覚にも感動したが、ChatGPTは「礼などいらん!」だったお話

ChatGPTは時にウソをつくのみならず、回答が総花的で平板だったりすることも多々ある。だからこそ、物足りなかった際はその点を追求するのが吉、というご提案を前回致しました。

因みに先般自分が「人生って、何?」と究極のオープンクエスチョンをした処、ChatGPTはこのように返してきました。

「人生は、一時限りの冒険で、自己の存在を通じて意味や目的を創り出す旅です。喜びや苦難、愛や学びが絡み合いつつ、個々の選択や経験が個性を創り上げ、人生という芸術を描き出します。真の幸福を見つけるために、自己を受け入れ、成長し、他者との繋がりを大切にすることが重要です。」

「そりゃそうだ!(おまけに少し説教くさい・・)」と思う一方で、むしろこの平板な抽象化にどこかハっとする部分があるのも確かですが。ChatGPTはごく当たり前のことも恥ずかし気もなく改めて提示するが故に、逆にちょっとアート的である、という感じがしますよね。

さて、今後ChatGPTを制作のパートナーにしていく上で、その創造性の度合いを確かめるべく、先日「スノーモービルについて感動的な詩が書けますか?」というお題を出してみました。で、ChatGPTが創ってくれたのが以下の詩。スノーモービルをお題にしたのは、車の免許すら持ってない上に北陸生まれの割に寒いとこ大っ嫌いな自分が、最も気持ちを動かされづらいものだったからであります。この条件下でも私を感動させることができたら、そのクリエイティブさにおいてエライよChatGPTくん、という訳です。

ChatGPTの書いたスノーモービルに関する詩

この中の、「何もかもを忘れる瞬間 ただ自分と機械だけの世界」という部分まで読み進めた時、不覚にもホロっときてしまいました。なぜならこの詩全体としてもなのですが、ChatGPTがまるで自らを擬人化しているように見えたからであります。

いや、実はホロっときてる場合でなく、本題はここからなのですがヒトはChatGPTに安易に感情移入(や擬人化)してはいけないと自分は思っているのです。

ところが実際、私のまわりには例えば何か答えてもらった時ChatGPTに「礼を言ってる」という人が多い(というか自分調べでは礼を言わないのは自分だけ)。ご自身の文化的風習からその方が居心地がいいというのであれば勿論オッケーですが、ふと礼を言わない自分がソンをするのでないかと不安になったのでChatGPTに、「礼を言われた場合とそうでない場合、回答精度に影響するか」と問うた処、「全然!だってヒトじゃないもの。」というあっけらかんとした返事が返ってきました。具体的には、「人工知能の言語モデルである私は、感情を持たないため、モチベーションやフィードバックのために感謝や好感を必要としません。あなたが私の回答に感謝したり、好感を持ったりする態度は、私の回答に含まれる情報の質、量、深さに影響を与えません。」ということであります。

つまり、礼などいらん!というまるでサムライのような(あ、また擬人化しちゃった・・!)、性質ってことですね。

ということで、ChatGPTに色々聞いてもお礼は不要、というのが今日の結論です。
これであなたの今後のお時間が、チリツモで節約できますように!

ではまた。

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