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生活とともにある写真

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プロとして通用する写真が偉い。
共感を呼ぶ写真が偉い。
いま評価される写真が偉い。
文句言う暇があれば研鑽を続けろ。
迷う暇があれば実行するのだ。
写真と宣伝ブランディングは常にセットである。
息を吐くように写真を撮れ。
いかなる場所でもカメラを離すな。
見せない写真に価値などないのだ。
数限りない写真を示せ。
コメントの応酬をひたすらに続けろ。
自分の地位を自らの力で勝ち取り保持し続けろ。
自分を主張し、時代を読んで、
皆の目に届くよう声を嗄らして叫び続けろ。
いかなるときもポジティブに前へと進め。

時代は常に明るく前向きに進む者たちの手中にある。
そうした者こそが正義であり、
そうした者の意見こそが正論であり、
それ以外の写真も声も、
すべては負け犬による嫉妬と怨嗟の声でしかない。

…それはきっと正しく、きっと世界はそう出来ているんでしょう。
しかし私は、そうではない世界もあることを信じています。
そして私は、そうではない世界に生きていきたいと考えています。

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当たり前だけどいろんな人が居て良いと思うのです。

全力投球でプロ顔負けの作品を量産して、「まるでプロ」から実績を積み上げ「プロの写真家」に登りつめる方法もある。独自の道を切り開き、世界に社会に一石を投じるやり方もある。

それと同じくらい、市井に暮らし写真とただ付き合う方法だってある。
生活に寄り添う写真、生活を先行させ後から付き従う写真の世界が。

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いかなる未来であれ、たゆまぬ切磋琢磨を通じ輝かしさを希求する写真の世界があるように、そうでない場所で、普通の人々による普通の写真の世界は続く。

いかなる過去であれ、いかなる現在であれ、そしていかなる未来であれ、写真そのものに向き合い、写真を見て、感じて、考えて、写真から何かを得ようとする試みを、試みのみを、愚直に為そうとする世界もまた、片隅にでも存在することを願っています。そしてその世界の存在を私は信じています。

どれが正しいか、
どれが偉いか、
どれが凄いか、
どれがあるべき姿か、
どれが自分の目指すべき姿なのかは、
全くに自身で決めれば良い。

迷ったって変えたって良い。
去年と今年で全く違う道に進んだって良い。
全くもって好きにすれば良い。
でもその自分の物差しを他人に当てはめて測ってみたり、
値踏みしたり煽ったりすることは、
誰も幸せにならないことだと思う。

貴方は貴方の道を行く。
私も私の道を行くだろう。

いかなる未来であれ、私はその道を信じ続けていることを、
私の写真がそれを善く体現するものであれということを願っています。

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