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奥に

東向きの我が家では、八月になると暑さで目が覚める。耐え難い湿気と耳を劈くようなセミの鳴き声を傍らに、新聞の気象予報欄に小さく記された最高気温を一瞥し、ペットボトルに入った麦茶と庭で採れたプチトマトを順番に口に含む。前日の夕立に打たれた果実はほぼ全てが裂果しており、見た目は最悪だ。前歯に挟んだぬるいトマトは勢いよく破裂し、果汁が噴き出る。私は慌てて左手で口を覆う。市販品には到底及ばない水っぽい甘さはどこか懐かしく、飲み込まないうちに二つ目に手を伸ばした。


定電話の着信音が鳴り響く。携帯電話にその役割を奪われてしまってからというもの、受話器を取る回数は年々減っていき、近ごろは電話に出るかどうか迷うこともしなくなった。ところがその日はどういうわけか、気がつくと受話器を耳に当てていた。読売新聞の一週間無料購読の案内を途中で断り、無造作にコンセントを抜く。愛想の無いセールスを受けるために毎月電話料金を支払っている。世界は非合理的である。


前、祖父が生活していた部屋の引き戸を開ける。西側の道路に面した8畳の和室は、不釣り合いなジャガード織のカーペットに覆われ、大小の段ボール箱に支配されている。本来不要であるものを、思い出という名のもとに所有する。非合理的な空間。合理的な思考。


きな二つのクローゼットにはいつも、湿布と黒あめが入っていた。他人に頼ることが苦手な祖父はいつも、一人で湿布を貼った。皺だらけの腰に貼られた皺だらけの湿布。高温で包装紙と一体化した黒あめ。両者は多分、同じことだ。七回忌だった。

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