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ターナー写本に関する覚書

はじめに


 この文章はSentinel Hill Pressのホームページに掲載されている”Notes on theTurner Codex”(https://sentinelhillpress.com/downloads/notesontheturnercodex/)の邦訳です。
 クレジットにもある通り、ターナー写本は『クトゥルフ・ナウ』収録の「悪魔のロックバンド」で初出した魔道書で、マヤ文明を通して見たハスターに関する記述を特徴としています。
 ハスターは昨年度行われた邪神総選挙2022 で一位に輝くほどの人気を誇りますが、『クトゥルフ・ナウ』は現在、再販されておらず、現行のクトゥルフ神話TRPGの設定でターナー写本とそれにまつわる記述を確認することは困難な状況です。
 そこで今回、Sentinel Hill Pressと連絡を取り、快く邦訳文の公開の許可を頂くことができました。このターナー写本にまつわる諸設定が、『黄衣の王』にかかる負担を少しでも軽減させることを祈っています。
 翻訳の単語は『クトゥルフ・ナウ』・『エンサイクロペディア・クトゥルフ』の表記に倣いました。
 文章の中で注釈が必要な部分に関しては、訳注を挟んでいます。
 翻訳文の中に誤字脱字・誤記・誤訳・疑問点などありましたら、コメント欄やtwitterを通して連絡して頂けると幸いです。


ターナー写本に関する覚書
ブレット・クレイマー著

この作品はキース・”ドク”・ハーバーとマイク・ダブの思い出に捧げます。


・クリアクレジット


 ターナー写本はキース・ハーバーの創作で、元々は彼のシナリオ「悪魔のロックバンド」(『クトゥルフ・ナウ』の一部として収録されています)に登場するものです。
シナリオ「The Evil Stars」(クトゥルフ・ナウの一部)に登場したものです。更にに、ティム・ワイズマンの『襤褸の王』にも、より小さい扱いながらも登場します。
 この作品に含まれる情報は、これらの先行作品に含まれるものをベースにしていますが、著者の補足、推論、拡張も含まれています。
 あらゆる誤記、誤読、誤用は私の責任であり、彼らの責任ではありません。
 誤字脱字も同様です。



・イントロダクション


 この記事はターナー写本(およびその各版)を自分達のゲームで使用したいと考えるキーパー向けのものです。ここに書かれている情報は、元の資料を補足するために、あるいは新しいシナリオの萌芽として、貴方自身の想像力をかき立てるために使ってください。クトゥルフ神話TRPG向けのほとんどの事柄と同様に、貴方や貴方のゲームに都合の良い情報を選りすぐってください。
 ターナー写本の各版に関する説明は、特定の版の物理的な説明、その版が探索者に提供する概要、写本の内容に関するコメント(斜め読みを読む人向けと集中的に研究する人向け)、その版のゲーム上の数値、そして最後に、研究者が研究を通し写本について何を学ぶべきかというコメントという一連の様式で構成されています。このフォーマットは近刊のモノグラフ”The Masks of Nyarlathotep Companion”のために開発されたもので、ここでは若干修正された形で使用されています。なお、「呪文倍数」(訳注:このルールは現在流通している『クトゥルフ神話TRPG』『新クトゥルフ神話TRPG』には収録されていません)については、特定の版が魔道書として有用であるかどうかを簡便に判断するのに有用なため、私がこの任意のルールを残している点に留意してください。呪文を説明する際、呪文名を斜体にしているのは、その呪文の記述が不完全であるか、危険なほど不備があることを示します。同様に、呪文にはしばしば2つの名前があり、括弧で括られたものはルールブックで使われている名前で、一方、最初に書かれている名前はそのテキストで示唆されている名前となります。
 Miskatonic River Pressのトム・リンチのおかげで、私はキース・ハーバーへの細やかな賛辞を述べることができます。彼の逝去は今も身に沁みて感じます。


・写本の起源


 ターナー写本は、19世紀のアマチュア考古学者で未知の探求者であったメイプルソープ・ターナーによって発見・翻訳された古代マヤ文明の文献の一部とされるものです。彼の翻訳は学界で否定され、彼はペテン師か、馬鹿げた贋作を騙されて信じ込んだ騙されやすいカモと広く見なされています。多くの先駆者、特に我々がクトゥルフ神話の一部として分類する真実の縁辺に遭遇した人々と同様に、ターナーの仕事はそれが真実でなかったためではなく、それがあまりにも恐ろし過ぎて耐えきれない真実であったからこそ、排斥されたのです。
 マヤ文明はおそらく他のどのコロンブス以前の人類文明よりも、かつてムー大陸を支配していた文明の痕跡を残しています。その文明が大きな変動(または一連の変動)で破壊された時、生存者の一部は我々が北南米として知る地に逃れ、ムー大陸の栄光の不格好な残響である小王国を築きました。これらの王国のひとつが、現在のグアテマラとベリーズにあったヘマエルピ王国です。何千年もの間、忘れ去られた王達によって統治されてきましたが、王国の最大の権力はカイワン、名状しがたきものの神官達にありました。王国は麻薬の快楽と無頓着なサディズム、低い玄武岩の丘の寺院、隣国との絶え間ない戦争が繰り広げられる夢のような領域でした。アジアから北アメリカ大陸に人類の最初の波が押し寄せた後、ヘマエルピのムー人の支配者は、自分達の隣人と同様にこれらの新来者を奴隷として畑仕事をさせ、彼らの戦争に参加させました。ムー人の人々は徐々に衰退し、彼らの文明はいつの間にか崩壊しました。
 ムー人の小王国は血生臭い戦争、政変、反乱の連続で崩壊し、奴隷と魔法なしでは維持できないほど壊れた断片が残されました。その中でもしばらく残存した僅かな中心地の筆頭である、ツァムリンツにあるカイワンの寺院は、ヘマエルピの旧領主に対する反乱のリーダーの一人を説得し、彼が以前の王位継承候補を全員殺害したため、彼を王位に就かせることを決めました。彼の戴冠式の際、神官達はムーの滅亡後に大神官ダ・クルパが記録したカイワンの記述を含む、自分達の聖典の複製を作成しました。過去のムー人のような洗練された技術はありませんでしたが、神官達はヘマエルピの住民の奴隷とムー人が共に理解できるムー語を崩した様式を使って、「天から賜りし銅」と言われるヤルのプレートに象形文字を打ち込みました。この後継国家は人間の数世代分しか続きませんでしたが、神官によって作られたプレートは初代の王の大ピラミッドに埋葬され、数千年の間そこに留まりました……


・プレートの発見


 このプレートは長い間丘だと思われていた王墓の遺跡が、ハリケーンの後、一部が流された時に発見されました。時間の経過に影響されない異質な金属でできていたプレートは下流に流され、近くのリオ・クラソの集落の人々に発見されました。1891年、ペテン(訳注:グアテマラの実在の地名)のジャングルで未発見のマヤ文明の遺跡を探そうとしていたアメリカの探検家メープルソープ・ターナーがこの集落を訪れました。プレートを見せられた時、ターナーはすぐにその起源となる場所を探すことにしました。数週間にわたり、彼は墓/丘の遺跡を発掘し、プレートの隠し場所とカイワンに関するプレートの完全なコレクションを含む他のアーティファクトを発見しました。
 ターナーはアメリカへの帰国後、ボストン近郊の数人の学者にプレートを見せた後、プレートの翻訳を試みるために体系的な研究に着手しました。この研究は、特に1893年にターナーの妻が亡くなってから、次第に強迫的になりました。同年、ターナーはプレート上のマヤ文明のシンボルと、アジアや太平洋地域の無名の(そしてしばしば見落とされてきた)遺跡に刻まれた幾つかの碑文との間に決定的な類似性を発見したのです。ターナーはこれらのシンボルとプレートに刻まれたものを比較し、関係があると確信し、この確信は、これらの碑文の1つの断片的な翻訳を含むオットー・ドシュトマンの『失われた帝国の遺跡』を読んだ時、更に強まりました。ターナーはキチェ語の知識と(ドシュトマンによって得られた)ムーの文字に関する断片的な理解を組み合わせ、このプレートの綿密な翻訳を始めました。
 この期間間、ターナーはほとんど完全に世捨て人と化し、旧友との交際も、他の学者との日常的な手紙のやりとりも、自分では調達できない何冊かの文献を必要とする稀な場合を除いて放棄しました。彼は、ハーバード大学のワイドナー図書館やボストン・アセニアムの閲覧室で、何週間も原稿に時間を費やしていました。1893年恐慌で手ひどく目減りした彼の財産は、稀覯本の購入やちょくちょくあった誤った手がかりや情報源の追跡で急速に使い果たされました。ターナーは自分の子供達とも疎遠になりましたが、末っ子のワーズワースだけは父親の研究を手伝っていました。
 ターナーは1901年の春に翻訳を完成させましたが、どこの出版社や学術団体も完成した研究の出版に同意しませんでした。その拒絶は、ターナーが他人にプレートの閲覧や調査を認めず、また同様に翻訳方法の開示や説明を拒否した、などの要因に基づいていました。更にターナーの翻訳に描かれた、時におぞましい儀式は、マヤの文化や宗教に対する一般的な見解と真っ向から対立するものでした。おまけに、ターナーの自業自得の孤立は彼自身に対する多くの悪感情を生み、ターナーの学者仲間に対する高慢な軽視や、彼が学術機関に所属していないことは、反感をただ高めただけでした。
 挫けることなく、ターナーは残された財産の大部分を彼の翻訳の自費出版につぎ込みました。1902年に出版された『暴かれた古代マヤの儀式』という書籍は、学術誌で極めて批判的な論評が何度かあったことも少なからず影響し、売れ行きは非常に悪いものでした。ターナーは、最期まで隠遁しながら辛辣な態度をとり続け、1911年にわずかに残った財産を息子のワーズワースに残してこの世を去りました。1919年、マサチューセッツ州ブルックラインにあったターナー邸が炎上し、家屋と多数のターナーの翻訳本、更に原本のプレートも焼失したようです。この火災は放火と断定され、ワーズワース・ターナーが自宅の保険金を受け取るため(および他の犯罪行為を隠すため、下記を参照してください)に手を染めたとされました。若きターナーはカリブ海に逃れ、1933年にドミニカ共和国で死去しました。


・メープルソープ・ターナー、1845-1911

アマチュア考古学者、探検家、作家であるターナーは、ジョージア州の実業家カールトン・ターナーの末の息子でした。3人の兄と父親は南北戦争で死亡し、メープルソープは20歳になるまでに家族の財産を唯一相続することになりました。ターナーは自分の遺産を中米やカリブ海での数々の投資に回すために使い、財産を数倍に増やしました。
 40歳になり、ターナーは資産のほとんどを売却して完全にビジネスから引退し、若い妻や子供達に多大な衝撃を与え、中南米での一連の自費探検に乗り出し、更に1886年の悲劇的な英国領ガイアナのケニルワース探検隊を含む、個人的には参加しなかったいくつかの探検に資金を提供しました。彼は変わり者と見なされましたが、それでも尊敬に値する人物とは見なされていました。
 1891年、グアテマラ・ペテン県の奥地を探検していたターナーは、地元の人々が発見した数点の珍しい物品を見せられ、その中にはマヤ文字と思われるものが記された2枚の金属板がありました。ターナーは近くにある極めて古い遺跡をその出土品の出所だと突き止め、その遺跡の中には無傷のプレートのセットが含まれていて、それが『ターナー写本』として知られるようになった未知のマヤ文字の文章であると彼は主張しました。



・版本

・オリジナルのプレート


説明
 これらのプレートは1919年のターナー邸の火災で焼失しました。キーパーが希望しない限り、火災前の数年間しかこのプレートは利用できないはずです。あるいは、中央アメリカやその文明からの難民が逃れた他の地域で、同様のムー語のテキストが発見されるかもしれません。
 この著作は推定できないほど古い金属板を打ち込んで作った一続きのプレートです。プレートのサイズは約8インチ×7.5インチと非常に規則的で、合計で100枚強あります。各プレートの厚さは約0.25インチです。プレートの全てに2列の象形文字があります。
 〈知識〉を半分にしてロール(〈人類学〉や〈歴史〉を基本能力値以上保持している場合は通常の〈知識〉ロール)を行うことで、マヤ文明のシンボルを識別できます。マヤ文明の象形文字について何らかの技能を持つ者であれば、〈アイデアロールでこの文字が他の知られているどのマヤ文字の例とも異なっていることを示唆する、独特の特徴に気づきます。
 このプレートは銅(あるいは銅を多く含む青銅)でできているように見えますが、誰かが化学ロールに成功しプレートを検査すれば、この合金は現代の化学では未知のもので、非常に丈夫で腐食に強く、銅の通常の酸化による緑青が形成されないことが最終的に明言できます。この発見には0/1正気度ポイントを消費します。〈クトゥルフ神話〉ロールに成功すると、これが「天から賜りし銅」と称される「ヤル」であり、かつて異世界を訪れたある種の人と異なる存在によって地球に持ち込まれた合金であると認識できます。

・入手可能性


 これらのプレートは1919年にターナー邸が焼失した際の火災で失われました。一般的な燃焼は銅(またはヤル)の融点よりも低い温度なため、プレートの一部または全部が難を逃れた可能性があります。キーパーが望めばこのプレートは個人のコレクションの一部として、あるいはワードワース・ターナーの財産の中から発見されるかもしれません。また、メソアメリカやその他の地域のまだ発見されていないムーの遺跡から、同様のプレートが発見される可能性もあります。


・内容


 斜め読み(注:これらの文書はマヤ文字技能が40%以上ある者だけが斜め読みできます。キーパーは限られた技能しか持たない人々に伝える情報を調整することができます。最低でも数日間の研究によって、この文書が実際にマヤ文明のものであり、特に古い様式であるものの、これまで知られていなかった神への儀式が含まれていることを確認できます。)
 このタブレットには、「見えざるままの者」「名を与えることのできぬ者」「大いなる印を帯びる者」「あまたの真実を囁く者」であるカイワン神の儀式が記録されています。これらの祈祷文は強大な帝国を滅ぼした大災害から持ち出され、東方の新しい王国に持ち込まれたものです。タブレットは新しい君主を寿ぎ、王国の支配権の証として贈られました。 このタブレットにはカイワンへの複数の祈祷文――祈願、祝福、誓約、そして様々な聖なる物品を浄める儀式が記録されています。儀式は歌と儀式的な流血を合わせたもので、様々な天文学的な配列によって規定されています。神そのものは何らかの形で束縛・制限されているようで、この儀式はカイワンが崇拝者達と交流できるように、神を束縛する力を取り除くためのもので、髪が物理的に姿を現すことも含まれています。記されている文章からは不明瞭ですが、この神は遥か彼方の「後から来るもの」という星と関連する湖の下か都市の内部、あるいはその両方に住まっているようです。

綿密な読書
 これらのタブレットにはカイワンという神の儀式が記録されています。大神官ダ=クルパによって西方のムー王国からもたらされたこれらのタブレットは、少なくとも数万年前、知られている人類の歴史より以前にさかのぼるもののようです。ヘマエルピの新しい王に捧げられたこの写しには、カイワンの崇拝の秘密が記録されており、いわばカイワンの思し召しによって新王は統治していたのです。
 このタブレットの主な目的は、特定の天文学的条件が満たされたときにのみ接触できる湖の向こうの都市に住んでいる、「名を語られざる者」あるいは「名を与えられざる者」と表現される存在であるカイワンの儀式を記録することです。カイワンは謎めいた神で、世界の重大な本質と共存していると言われますが、しかしタブレットに記された魔法を通す場合を除き、世界の本質から切り離されているとも言われています。また、彼は常に偉大な真実を語るとも言われていますが、彼の真の顔はあまりにも偉大であり、偽りの霧で自分自身を隠しているため、人間には見ることも観察することもできないとされます。彼は鳥でもコウモリでも昆虫でも人間でもない、あらゆるものと似ているようで似ていない空飛ぶ生物に仕えられています。この存在にまつわる全てが曖昧で不穏であり、この存在がここに記述されているよりもはるかに偉大でより恐ろしいものであるという暗示があります。ある一節では、彼は「世界の餓えたるもの」または 「世界に餓えたるもの」 という名前で呼ばれています。
 このタブレットには神の儀式が数多く記録されています。このうち最も重要なものは神そのものを呼び出す儀式で、儀式用に準備されて刻まれた一連のタブレットを必要としますが、「後から来るもの」(西方ではアルデバランとして知られています)が空に見える時にのみ実行することができます。他の儀式として、「破れぬ盟約」と呼ばれる儀式では、神の寵愛の見返りに、生贄のための霊魂を神に約束します。この盟約を交わした者はティチャプトルの聖なるチャイムを作ることができ、この楽器は世界をカイワンの影響に同調させ、大きな魔法を生み出すと言われています。この楽器はできる限り神の近く、聖なる山の北と西の山頂のような所で鋳造しなければなりません。カイワンの影響は歌を手段にすることによっても呼び起こすことができ、この2つの要素の組み合わせた魔法は非常に強力で、他のより劣った神の魔法から信者を守ることも含みます。彼の空飛ぶ奉仕者は、彼らにある秘密を囁くことで、神官達に従わせることができます。(そのような存在を呼び出す方法を言及したプレートは欠落していかもしれません)。神の住まいを訪れるために昇天する者は、祈願者の血、チョコレート、多数の名称不明の薬草や他の物質を含む儀式用の飲料で自らの身を清める必要があります。最後に、寺院や都市をカイワンそのもののために聖別する複雑な儀式が記述されています。神を呼び出す儀式と同様に、特別な彫刻を施された石の一群が置かれますが、しかし、この呪文の領域と支配力は遥かに大きなもので、季節や信者が呼び出したかどうかにかかわらず、石で囲まれた領域内に神自身が自由に存在することができるのです。彼の印が見える者には彼の居場所が分かりますが、そのような印は記述されていません。

現代以前のあらゆる時代の探索者達がメソアメリカのムー大陸の後継国家(あるいはムー大陸そのもの)の原本のプレートやその他の著作物の翻訳を独自に行おうとする場合、作業に以下の要素を持ち込めば成功する可能性があります。
・キチェ語などの現存するマヤ語の知識(最低でも20%の技能値を想定しています)
・マヤ(または後期ムー)の文章。
・マヤ/ムーと現存する言語の関係を示す神話的な「鍵となる」文献。ターナーはドシュトマンの『失われた帝国の遺跡』を使いました。同様の目的で使用される可能性のある他のテキストとしては、『ザンツー石板』・『ポナペ教典』・『ゴール・ニグラル』(およびそれについて解説した『アジアの秘めたる神秘』)・『イエーの儀式』・『イゴス記』があります。これらの文献の入手は探索者達に委ねられています。
・あるいは、このフィクションであることを考慮し、輪廻転生にゲーム上で興味があるならば、前世でムーやその後継国家の住民であった誰かが、文章を翻訳しようとした時に直感的な閃きを得るかもしません。しかし、そのような超自然的発見、特に他の非人間的言語の原理を継続的に使用する場合は、かなりの正気度ポイントの消費を伴うはずです。
 翻訳のメカニズムはキーパーに委ねられています。ターナーが翻訳をするのに10年以上かかったことを考慮すると、プロット上の必要性がない限り、同様の試みにはターナーと同程度の長い時間がかかるはずです。 

マヤ文字の解読
 マヤ語(現代の学者からはキチェ語K’icheと呼ばれ、伝統的にはスペイン語でキチェ語Quichéと呼ばれます)の文章様式に関する知識は、16世紀から17世紀にかけてスペイン人によってマヤの都市国家が破壊された後、マヤ語のテキストが意図的に破壊されたこともあり失われました。19世紀から20世紀初頭にかけて、数字と一部の天文記号だけが正確に翻訳されましたが、ほとんどの翻訳はマヤの象形文字とエジプトのヒエログリフの間に何らかの類似点があると誤って仮定していました。1950年代から60年代にかけて重要なブレークスルーがありましたが、断片的ではあるものの、実際に解読が可能になったのは1970年代初頭です。21世紀初頭には、この分野の驚異的な進歩により、マヤ文字の解読が系統立てたプロセスで行われるようになりました。
 1973年頃以前に行動している探索者達には、ターナー写本のプレートに含まれている象形文字を正しく翻訳する現実的なチャンスはないはずです。言語学者、考古学者、人類学者による数十年にわたる研究によってのみ、シンボルの再発見を可能にする断片をつなぎ合わせることができました。しかし、クトゥルフ神話を題材とするフィクションでは、一匹狼の学者達がそのような地道な調査や研究方法に頼らず、非人間の言語や失われた言語を翻訳する非凡な能力を持っているようです。

・数値情報


古代マヤの象形文字(技能に-30%、マヤ文字の解読の注を参照、現代のマヤ文明研究者の場合、注に記載されている書物のいずれかを補助資料として使用すれば、このペナルティは解消されます)。正気度喪失1d3/2d4+1、〈クトゥルフ神話〉に+5、技能判定 神聖ナアカル文字、〈人類学〉に+1、呪文倍数x4、研究し理解するために16週間。
 呪文:ダ=クルパの大祈祷(ハスターの招来/退散)、テツチャ・ハプトルの楽器(テツチャプトルのチャイム)、カイワンの歌(ハスターの歌)、守護者の準備(ビヤーキーの従属)、天のショコアトルの調合(黄金の蜂蜜酒の製法)、破られざる契約(名状し難い誓約)、石の聖別(ハスターの解放)


・研究


 ターナーが翻訳を発表した後に探索者達が作業を行うと仮定すると、〈図書館〉ロール1回で、ターナーがタブレットを発見したことに関する基本情報を明らかにできます。追加のロールで、ターナーの生涯、著作の翻訳に費やした10年間、そして彼の死に関する基本的な事実が判明します。1919年に破壊されたとされるこのプレートについて、はっきりした記述を求める探索者達は、〈図書館〉ロールに2回成功することで、記述を見つけることができるかもしれません。一つ目は、アメリカのマヤ文明研究者のエドワード・ハーバート・トンプソンと、彼の友人でピーボディ博物館のエジプト文明研究者のアルバート・デュシャンが交わした手紙への言及です。デュシャンはターナーがグアテマラから帰国した直後に出会い、ターナーが隠遁生活に入る前にタブレットを調査する機会を得た数少ない学者の一人でした。デュシャンはトンプソンに宛てた手紙の中で、文字を打ち込まれた不思議な金属についてのメモを含め、タブレットについて(上述のように)説明しています。「ターナーが写本だと述べていた彼のプレートは非常に興味深いものでした。彼はプレートの中に描かれているシンボルとエジプト文明のものとの間の類似点に私が気づかないかどうかみてみるために、プレートを調べるように私に頼みました。私にはほとんど分からず、彼にそのように伝えました。貴方の著作やメソアメリカの他の研究者の著作を私が見た限りでは、マヤで使われていた文字にそれらが非常によく似ていることに異存はありません。もしこれがフェイクだとすれば、手間暇をかけて行われたものです。私が理解できないのは、このプレートが金属で作られていることです。マヤに関して私が知っている限りでは、彼らは金や銅を加工していて、私は私は冶金学の学者ではありませんが、この金属は現代に作られたものであると確信しています。古代の銅や青銅は常に緑青を帯びていて、このプレートには汚れがありません。プレートの色は確かに金ではなく、現代の青銅合金の一種であるように私には見え、ほとんど緑がかっていますが、遥かに耐久性があります。彼はこの金属がいかに腐食に耐えるか、僅かな硫酸がまるで水のように零れ落ちる様子を私に見せてくれました。彼はまた、この金属が大きな力を加えると曲がるものの、力を入れるのを止めると、数分かけてゆっくりと元の形に戻ることも私に見せてくれました。もし彼が許してくれるならば、私は何枚か拓本をとって貴方にお渡しします、貴方がどれほどこのようなものに興味を持つか私は知っていますから」
 この手紙は1935年のトンプソンの死後、トンプソンの書類の中から探し出すことができます。それ以前は、トンプソン自身がこの情報を物語ることができます。デュシャンは1911年に亡くなっていますが、彼自身も同様に話せるかもしれません。トンプソンの遺品はキーパーが希望するアメリカ東海岸の大規模な大学や美術館に所蔵されている可能性があります。
 クトゥルフ神話の研究者はこのタブレットの内容を他のクトゥルフ神話の秘儀書と関連付ける、いくつかの暫定的なヒントを発見することができます。〈クトゥルフ神話〉ロールに成功し、ムー大陸に言及する神話的文献にアクセスできれば、ムーの後継であるヘマエルピ王国についての言及を見つけ、その存在を確認することができます。神官ダ=クルパはザントゥー石板で名前が触れられています。(ただしコープランドはダクフルファと訳しています)。カイワン神もまたムー人の神として名前が挙がっており、その存在はこれらの資料でも同じくハスターに直接結びつけることができます。

ドレスデン絵文書
 1739年にウィーンで購入されたドレスデン王立図書館所蔵の写本で、コルテスからチャールズ1世への贈り物の一部と考えられています。最も保存状態がよく、最も古く、美術的にも優れたもので、月と金星の天文表や宗教儀式が記録されています。第二次世界大戦中のドレスデン爆撃で深刻な損害を受けましたが、その後修復されました。本文は高さ8インチ、長さ11フィート(広げた状態)です。
マドリッド絵文書
 当初はトロアノ写本とコルテス写本に分かれていると考えられていましたが、1888年に同一作品の断片であることが認められ、アメリカ博物館(訳注:マドリードのアメリカ大陸の文物をテーマとした国立博物館)にて再結合されました。マドリード写本はスペイン人の到着後、1697年にマヤの最後の都市が破壊される前に作成されたと考えられており、芸術的な質は低いとされます。マドリード写本の内容は、占星術と占い、特に狩猟、植え付け、戦争など特定の活動に最適な日取りを扱っています。
パリ絵文書
 1832年にビブリオテーク・アンペリアルが購入したこの写本は、1859年に学者によって、暖炉の近くに汚れて積み上げられているのを発見されるまで、概して放置されていました。この写本は悪い状態です。内容は主に占星術と天文観測に関するものです。
 グロリア絵文書
 1970年にメキシコの洞窟で発見されたこの未だに論争の的となっている「絵文書」は、部分的にしか残っておらず、残っているページの一部さえも破損しています。文章はマドリード写本の占星術の情報を反映していて、芸術的価値はかなり低質です。
「バチカン」絵文書
 この(フィクションの)著作は、1970年代初頭にバチカン図書館のボルジア文書の中から発見された、これまで知られていなかったマヤ文明の写本です。この文章を調査する専門家は、真作とする説と巧妙な贋作とする説に大きく分断されています。クトゥルフ神話の謎を探求している者にとって最も興味深いのは、写本を調査した学者の一人が、その内容が伝統的なマヤの宗教と伝承の特定の要素と大きく異なっており、最初の人間が発生した今は沈んでいる太平洋の大陸を描写していると述べていることです。残念ながら、バチカン市国は恥をかくことを恐れ、この写本は調査を行うにはあまりにも破損しやすいとして、これ以上の閲覧を拒んでいます。(詳しくはコリン・ウィルソンの『賢者の石』を参照してください)。
 19世紀後半からマヤ文字への関心が高まるにつれ、これらの写本の様式の贋作が数多く作られるようになり、学者達はターナーの発見をその一群と位置づけています。時折マヤの遺跡からは、かつて写本であったと思われる遺物が発見されることがありますが、現在までの所、有用なテキストは見つかっていません。実際、高温多湿で保管されていたため、それらは石灰と塗料の塊の域を出ません。ひょっとすると新たな進展によって、その秘密が明かされるかもしれません……


・鍛造されたプレート

説明


これらのプレートは父の死後、ワーズワース・ターナーが制作し、複数の個人コレクターに売却したものです。彼らはターナー写本の原本そのものを購入したと思い込まされていました。20年間、原本は目撃されたことがなかったため、この策謀はウィリアム・ランドルフ・ハースト(ターナーと写本の購入交渉をしていた人物)のために働いていた探索者達が、策謀の証拠を発見するまで気づかれることはなく、結局訴訟になり、ターナー邸の焼失に至ったようです。
 この著作はハンマーで刻み込んだ銅板のセットです。(経た年月や手入れの仕方によっては、緑青の兆候が見られるはずです)プレートは8インチ×8インチの正方形で、各プレートの厚さは約8分の1インチです。全てのプレートに2段組みの象形文字があります。(最も粗悪な贋作の場合、これはないだろう)。顕微鏡で見ると、銅板はおそらく屋根材のような大きな薄板から切り取られたものであることが判明します。銅板は柔軟性があり、手で曲げることができます。
 (半分にした〈知識〉ロールで)プレート上の象形文字はマヤのものと思われます。もし贋作が正確な写しであれば、象形文字はオリジナルのプレートについて前述したものと同じように見えるはずです。誰かがマヤ文字技能でロールを行えば、それが無関係な記号の寄せ集めで、意味もまとまりも文法もないことが識別できますが、マドリード写本(囲み記事を参照してください)を含む様々な既知のマヤの文章の直写が見つかることもあります。


・入手可能性


 1920年以前に活動していた探索者達は、ワーズワース・ターナー本人から写しを入手することができるかもしれません。〈信用〉ロールに成功すれば、若きターナーにプレートを売るよう説得することができますが、彼の言い値は500ドルと相当な額です。このような取引は何回かのダイスロールに置き換えるよりもロールプレイで行うべきで、プレイヤー達次第では、一晩分のゲームプレイの構成要素となるかもしれません。
 ワーズワース・ターナーの贋作の写本のいくつかは21世紀に入っても残っていて、個人の収集家の手に留まっていますが、少なくとも1部は1978年にスミソニアン博物館が入手し、贋作に関する展示の一部として1枚のプレートが展示され、「典拠の疑わしいマヤ文明の文章 c.1915」だとされています。贋作がオリジナルのプレートを正確に写したものである場合、それらは20世紀後半にマヤ文字が翻訳された後、オカルトやクトゥルフ神話の文章のコレクターにとって更に興味深いものとなり、入手できたとしても、相応に希少価値が高まっているはずです。

・内容


 このプレートがオリジナルを忠実に写したものであれば、意図しない写し間違いがあるかもしれないことを除けば、前述したようなテキストになるでしょう。そうでない場合、もし読めば、既知のマヤの絵文章や彫刻から写された文章を使って所々に分散させた無関係な象形文字の、本質的に意味のないごちゃ混ぜのテキストであることが明らかになります。


・調査


 前に提示したメープルソープ・ターナー、オリジナルのプレート、そしてその発見に関する基本的な事実に加え、若きターナーの贋作に関するより多くの情報を求める探索者は、〈図書館〉ロールに成功することで、標準的なマヤ史の中からそれらに関する2,3の文献を見つけることができます。それらは19世紀後半から20世紀初頭にかけてのマヤ文明への関心の高まりに乗じて作られた他の同様の贋作とひとまとめにされています。同様に、ブルックラインのターナー邸を破壊した火災に関する同時期の新聞記事から、ターナーの犯罪行為に関するいくつかの噂を発見することができます。
 ウィリアム・ランドルフ・ハーストのターナーのスキャンダルへの関与は、2つ目の〈図書館〉ロールで発見することができます。1951年の彼の死後、彼の新聞にアクセスすることができた探索者達は、彼のエージェントが贋作を発見したいくつかの取引を見つけることができます。これらの新聞記事には、アルベール・デュシャンのプレートに関する記述があり、その出典の発見にもつながります。
 最後に、別の図書館ロールで、以下に紹介するワーズワース・ターナーの死亡を含む略歴情報を明らかにすることができます。
 若きターナーについて調べることで、自分でプレートを翻訳したいと望む者に役立つ糸口が見つかるかもしれません。〈図書館〉ロールで、ターナー邸を焼いた火事で焼け残った本が全てボストン公共図書館に寄贈されたことがわかります。その中には、父ターナーのドシュトマンの『失われた帝国の遺跡』の一冊も含まれています。目録にはメイプルソープ・ターナーの手による「ある図版をマヤのシンボルと比較した一連のメモを含む」この著作への注釈がびっしりと記されています。

・数値的情報


古代マヤ文字(技能に-30%)
 オリジナルのプレートに直接に基にした内容である場合、オリジナルのプレートと同等以下の値を割り当てても構いません。しかし、たとえ原本を忠実に再現した贋作であったとしても、間違いや誤解がある可能性が高いため、読解する時間は少なくとも50%以上増加するはずです。


明かされた古代マヤの儀式(ターナー写本)

・説明


 この薄い書物は白い布装丁で6インチ×9インチ半、約120ページです。表紙には濃い緑色のインクでタイトルと著者が書かれています。最初の頁にはタイトルと著者が再び記され、副題として「マヤ文字の新しい翻訳方法に促された新発見」とあります。出版年(1902年)と出版地(ボストン)が記載されていますが、出版社の名前はありません。全ての写本にはターナーによる鉛筆の手書きのナンバリングがあり、通常は1000部の中の1冊です。紙の質は良く、雑な扱いを受けていなければ、この本は十分に経年変化に耐えます。この写本には図版はありません。

入手可能性


 ターナーが自分の本の製作にわずか1000部分しか出資しませんでしたが、10年経ってもそのほとんどが売れ残っていました。売れ残った大部分は、全てではないにしても、1919年のターナー邸の火災で燃やされてしまいました。その後60年間、時折、写本が見つかることがありました。この著作を購入しようとする探索者達は、写本を見つけるため月に1回、〈考古学〉か〈人類学〉(または他の適切な技能)を60%以上持っていれば2週間に1回、〈幸運〉ロールを行うことができます。ハーバード大学、デューク大学、ペンシルバニア大学など、いくつかの大学図書館も写本を入手していますが、少なくともハーバード大学の場合は、この著作をフィクションとして分類しています。
 1980年代半ばにブライアン・ロフナーと彼のロックグループ神の迷い子が彗星のごとく駆け抜けたことで、ターナー写本はつかの間衆目に晒されました。ロフナーは自分の音楽にインスピレーションを与えたのは、一部の秘伝の文献の中でも、この著作だと信じており、ロフナーがこの書籍へ関心を持ったことは、現存する写本の価値を急上昇させました。その結果、おそらくは熱狂的なファンの集団によって、いくつかの図書館(デューク大学を含みます)の蔵書が盗まれ、蔵書を持っていたほとんどの機関が写本を貸し出しリストから除外することになりました。
 1990年代後半にごく短い期間、プロジェクト・グーテンベルグの一環として電子版が掲載されましたが、非常に珍しいサーバー障害が相次いでテキストが破損したため、写本の掲載を取りやめることになりました。残念ながらこの電子版に使われたターナーの書籍の原本は火災で焼失してしまい、ファイルは再投稿されていません。定期的にファイル共有サイトがターナー写本のPDFコピーを掲載しますが、これらのファイルはほとんど常に偽者です。

・内容


斜め読み
 これらのタブレットは「見えざるもの」「名状し難きもの」「偉大なる印の主」「真実の囁くもの」であるカイワン神の儀式を記録したものです。これらのタブレットは偉大なる主である彼に対する賛辞であり、その王国が破滅した後、遥かな土地から運ばれてきたものです。
 この写本にはカイワンの祈祷、祝福、誓約など様々な神聖なものに対する聖別の儀式が収められています。儀式のほとんどは、血の犠牲、特別な歌、そして星辰の正しい配置を必要とします。どうやらカイワンはある種の制限を受けているようで、写本で説明されている呪文は彼を拘束する枷を弱めるために役立ちます。どうやら彼は湖の彼方(もしかすると下)にある隔てられた街で眠っているようです。その街は「後から来るもの」という星と何らかの形で関係しているようです。

綿密な読書
 これらのタブレットには名を唱えることができない神であるカイワンの儀式や典礼が記録されています。西の海にあった失われた帝国から神官ダ=クバによって新しい王国に運ばれたタブレットは、カイワンの神官によって保管されてきました。この写本は新王に捧げられ、その王国の守護神であったカイワンの秘儀を記録しています。
 このタブレットの主な意義は、我々がアルデバランと呼ぶ星によって統制されている湖の彼方の都市に住まう「名の無きもの」もしくは「名状し難きもの」カイワンの儀式を記録することです。カイワンは奇妙な神で、この世に存在すると言われていますが、写本に書かれている魔法を除き、この世から遠ざけられているともされます。彼は真実のみを語りますが、その真実は人間や人間の業績を破壊するほど強大なものです。彼は空から舞い降りる奇妙な空飛ぶ怪物に仕えられています。彼の存在の全てが曖昧かつ不穏であり、彼は彼方の住処から我々の世界へ戻ることを渇望していると言われています。
 このタブレットには多くの儀式が記述されています。儀式の中でも最も偉大なものは、聖別された石を使ってカイワン自身を呼び出すものですが、この儀式はアルデバランが見える時にだけ使えます。また、司祭がカイワンに仕えることを誓う別の儀式では、死後も続く忠誠と引き換えに大きな力を与えられます。この誓約を行っていた者は、テツチャプトルの聖なるチャイムを鋳造することができます。チャイムの音はカイワンを喜ばせるものであり、彼の魔法を生み出すものでもあります。このチャイムは人里離れた特定の場所(その全ては山です)でしか作ることができません。また、カイワンを喜ばすために神官が歌う、カイワンの魔法を使って他者の妖術を取り消すことができる歌もあります。カイワンの謁見したいと願う者は、多数の名称不明の薬草や他の物質を含む儀式用の飲料で自らの身を清める必要があります。最後に、寺院や都市をカイワン自身のために聖別する複雑な儀式が説明されています。神を呼び出す儀式と同様に、特別な彫刻を施された石の一群が置かれますが、しかし、この呪文の領域と支配力は遥かに大きなもので、季節や信者が呼び出したかどうかにかかわらず、石で囲まれた領域内に神自身が自由に存在することができるのです。彼は自らの親指と人差し指で挟むように、その場所を掌握することになります。


・他の版
eテキスト版
 この版はターナーの著作を杜撰な方法で転写したテキストファイルです。名前の綴りに一貫性がなく、誤字脱字も多いため、特に写本の儀式や呪文を研究する人にとって使い勝手が悪くなっています。
 英語。ターナー写本と同様ですが、呪文倍数は×1で、読むのにかかる時間が4週間増加します。
PDF版
 この版は、ターナー写本の本物の写しである場合、慌てて作られた(3ページのうち1ページにコピーした者の親指が映っています)書籍の写真複写からページをスキャンしたものから構成されています。複製の精度が低いため、文章を読むのは困難です。
 英語。ターナー写本と同様ですが、呪文倍数は×2で、読むのにかかる時間が5週間増加し、著作を研究するためのあらゆる英語を読むためのロールが20%されます。
スペイン語版
1960年代後半にメキシコのEscuela Nacional de Antropología e Historia(国立人類学歴史研究所)の一部の研究員の間で非公式の翻訳が配布されました。不明なスタッフによって制作されたこのターナーの著作の翻訳は、ほとんどの記載されている呪文が削られていますが、しかし、ターナーのメソアメリカ探検について議論されている部分を含んでいて、彼の論文によってユカタンの未踏の地が明らかになるかもしれないと示唆しています。
 スペイン語。正気度喪失1/1D4;〈クトゥルフ神話〉に+3、〈人類学〉に+1、研究し理解するために3週間。呪文:Para crear el carillón del Tezchaptl(テツチャプトルのチャイム)
ブライアン・ロフナーの書斎から――ターナー写本の秘儀
 英語。オカルトや超常現象のタイトルを扱う三流出版社ファンタジック・プロダクションによって廉価で編集され、1988年に出版されたこの書籍は、ブライアン・ロフナーの突然の死の後、彼の名声に便乗しようとした粗悪なものでした。この書籍の文章はターナー写本(しばしば『トゥーマー写本(Tumer Codex)』と誤記されています)から脈絡もなく引用したものを拡大解釈したものを含み、神の迷い子の歌の歌詞、ギター雑誌、バンドの写真、他の現存するマヤ文明の絵文書から引いた類似しているとされる文章で大きく補強されています。この書籍の文章には、マヤ、アステカ、オルメカの美術品から引用された血生臭い画像が、ターナー写本との関連や出典を無視して、頻繁に挿入されています。
 英語。正気度喪失0/1d2(編集と校正はより高くなるかもしれません);〈クトゥルフ神話〉に+0;研究し理解するために1週間


・調査


 前述した調査に加えて、ターナー写本について具体的に情報を集めている探索者達は、写本が出版された後に学術雑誌に掲載された写本に対する数々のこき下ろし(この本をセンセーショナルで哀れな贋作だと公然と否定している学術的著書も含まれています)を発見することができます。ターナーはこれらの雑誌や他の雑誌への怒りの手紙を連発して反応しました。これらの書簡も探すことができます。ターナーが絶え間なく主張し続けたのは、自分の翻訳は紳士として自分の言葉だけを受け入れられなければならず、翻訳は自身の学識を保証するのに十分なものであるはずだ、ということでした。ターナーはまた、彼の同時代の「自分達を完璧な学者の司祭だと空想し、自分自身がそうだと空想しているために冷血で教条的であり、崇め戦い殺した人間は生きておらず呼吸もしていない」とする者によってマヤ文明は根本的に誤解されている、と断固として公言しました。
 20世紀後半に入り、数人のアトランティスの「専門家」がターナー写本を自分達の古代文明の証拠として言及し、彼の金属プレートは実はマヤ文明のものではなく、失われたアトランティスの住民の断章であると主張しました。これらの著者はメイプルソープ・ターナーを無視した学者を非難する一方で、彼の翻訳も同様に完全に否定しています。
 この写本が神の迷い子によって使用されて悪名を博した後、ターナー写本はキリスト教団体によって通例の「悪魔的」テキストのリストに加えられましたが、実際にはどの団体もこの本の内容には言及していません。インターネットの検索では、ブライアン・ロフナーや彼の音楽に直接関係しない場合、これらのグループからの警告が表示される傾向があります。
 この本を一冊購入しようとする探索者達は、おそらくほとんど役に立たないファンタスティック・プロダクション版を複数冊見つけることになるでしょう。あらかじめ調べもせずに写本を購入するほど愚かな者は、ほぼ確実にターナーのオリジナルの著作ではなく、この役に立たない版を手にすることになるでしょう。

・数値情報


英語。正気度喪失1d2/1d6;〈クトゥルフ神話〉に+4;〈人類学〉に+1、〈ナアカル文字〉に+1。研究し理解するために3週間。呪文倍数×3。呪文:《大いなるカイワンの祈願》(ハスターの招来/退散)、《ショコアトルの調合》 (黄金の蜂蜜酒の醸造)、《名状し難き誓い》(名状し難き誓約)、《石の儀式》(ハスターの解放)



・神の迷い子の音楽


 カリスマ的なバンドのリーダー、ブライアン・ロフナー(c.f.)によって結成された神の迷い子(しばしばGLCと略されます)は、活動は短期間ながらも強烈な人気を誇ったアメリカのヘヴィ・メタル・グループです。1988年に創設者のロフナーが亡くなる前に、彼らはセルフタイトルのアルバム(訳注:『神の迷い子』)と『名状し難きもの』の2枚のフルアルバムをリリースしました。1990年の「ベスト盤」アルバム(Forever Lost)は、両方のアルバムからのトラックと、いくつかのライブ音源を収録しています。また、日本やヨーロッパでは彼らのコンサートの海賊版音源(すべて’名状し難きツアー’からのものです)がリリースされています。
 バンドの音楽はギター主体のヘヴィ・メタルで、ロフナーの卓越した技術力に加え、アルバム2作のリリースでは、大規模なオーバー・ダビングとスタジオ・ワークが行われました。数本のレコーディングで何百ものトラックが重ねられ、当時利用可能だったあらゆるオーディオ技術が彼らの制作に応用されました。

・利用可能性


 神の迷い子の3作品は全てレコード盤とCDのフォーマットで発売されています。セルフタイトルとベスト盤は共に50万枚以上、『名状し難きもの』は100万枚以上売り上げています。1990年代には他のアーティストやスタイルの台頭により、バンドの人気は急速に落ち込みましたが、3枚とも中古盤が中古レコード店やインターネットを通じて安価に入手することが可能です。’名状し難きツアー’のいくつかのツアー日程の海賊盤音源(特にロフナーのジャクソンビルでの最後の演奏会)は、若干高額の価格で入手することが可能です。バンドのレーベルとのライセンス紛争のため、公式には彼らの曲はどれもオンライン上のMP3フォーマットでは入手できませんが、合法性に疑問のあるファイル共有サイトでは難なく見つけることができます。1時間以下あたり〈POW〉×1ロールを行い、メタルを専門とするラジオ局を聴けば、探索者達もこのバンドの曲を聴くことができるかもしれません。これは1987年に近いほど(もちろんそれ以前には不可能です)大きく高まります。

・内容


神の迷い子

 ジャケットには黒地に銀色でバンド名の3文字が転がるように組み合わさって奇妙な形をしたロゴマークが描かれています。このロゴを見て〈クトゥルフ神話〉ロールを行った者は、恐るべき「黄の印」との類似性に気づきますが、カバーアートは完全に普通の絵柄です。 
 11のトラックはヘビーメタルのコードが無慈悲なまでに調和し、ほとんどトランス状態のようなビートが重なっています。曲によっては、詠唱、不明な楽器、人間の叫び声、動物の鳴き声など、何百ものトラックがミックスされ、耳をつんざくような音響効果の壁が生み出されているのが印象的です。特にブライアン・ロフナーのギタープレイは猛烈で、高度なテクニックと完璧な音楽性を持ち、〈芸術(音楽)〉技能を20%以上保有するリスナーは、その音楽のクオリティに感銘を受けるでしょう。音楽は紛れもなくヘビー・メタル(所々、スピードメタルに近い部分があります)のスタイルですが、歌詞の内容はそれらのバンドの音楽にありがちな大雑把な性的表現や反射的なアナーキズム的言い回しが欠けています。その代わりに、彼らの曲はより瞑想的でほとんど夢のような修辞表現を用い、ある種の曖昧で威嚇的なクオリティを持ち、あたかも全体が一つの緊張感が高まっても解消されないコードであるかのようです。
 特に興味深いのは”The Dark Ones Rise”と”Old Times, New Times”の2曲で、ライナーノーツによると、これらの歌詞はターナー写本から直接引用されたものだそうです。 いくつかの曲の底に潜む詠唱を注意深く聞いていた者は、〈聞き耳〉と〈クトゥルフ神話〉ロールに成功すれば、ネクロノミコンからの短い引用を確認することができます。これらの引用は全て、グレート・オールド・ワンの復活についての論考です。

極めて高い忠実性
 ロフナーの音楽の神話的効果を調査する探索者達にとっては、レコード盤でリリースさたものだけが亜音速と極超音速の周波数を記録し、リスナーにオカルト的効果や極端な反応をもたらします。デジタル盤の場合、それに応じて正気度のペナルティーを減らすか、あるいは無くさなければなりません。


名状し難きもの


 このアルバムのカバーは3人のメンバー(ロフナー、シュワルツ、ホランド)がそれぞれ拘束衣で拘束された3枚組の写真です。ホランドは頭を低くして見る者をにらんでいます。シュワルツは頭を横に向けて口枷を付けられています。ロフナーはまっすぐ前を見つめ、口を血まみれにし、2本の血の筋が顎を縁取っています。それぞれの背後には大きな石柱があり、G(シュワルツ)、L(ロフナー)、C(ホランド)の文字が刻まれています。正面には血で塗ったようなタイトルが走り書きされています。ロフナーをよく見ると、彼は9個のダイヤモンドをセットした、縞めのう製でV字型をしたイヤリングを付けていて、ハスターの解放の呪文を知っている者ならば、この形と呪文のモノリスの配置が対応していることを理解するでしょう。カバーの裏側では、篝火の後ろに正装して立つバンドのメンバーが見られます。ロフナーは両手を頭の上に掲げています。〈天文学〉ロールによって、彼の腕が牡牛座を象っていることに気づきます。
 音楽的には『神の迷い子』よりも本作の方が巧みに制作されています。16曲の楽曲は前作と同じようなスタイルで歌詞も似ていますが、音はより鮮明で曲のフックもより直接的になっています。しかし、このアルバムを初めて聴く体験は、何か深い不安を覚えるものになります。多くのリスナーは強い不吉な予感や自分達が監視されているような感覚を覚えます。初めてこのアルバムを試聴すると0/1正気度ポイントを消費します。音楽は前作と同様に印象的(そして耳障り)であるものの、タイトル曲は最も印象的です。〈聞き耳〉ロールに成功すると、曲中の特に興味深い逆再生の部分を割り出し、〈クトゥルフ神話〉ロールで、それがゾス語であることが判明します。この発見は0/1d2正気度ポイントを消費します。ゾス語が理解できれば、それはハスターへの祈祷文であることが判明します。
 何曲かには数人のゲストミュージシャンがいます。そのうちの一人、サックス奏者はザ・ロイヤル・パント(The Royal Pant)とクレジットされていますが、これはNyarlathotepのアナグラムであることが、〈アイデア〉ロール(必要ならば)によって強調されます。(このサックス奏者はハービー "ドク "ハイクという名前のスタジオミュージシャンであると身元が判明します。もし連絡を取れば、彼はロイヤル・パントという偽名はロフナーのアイデアだと言いますが、なぜ彼が変更を要求したのかは確信がありません)。

Forever Lost:the Best of God’s Lost Children


 このアルバムのカバーは、ジャクソンヴィルでの最後の演奏会を終えたバンドを後ろから撮影したものです。ロフナーはセンターステージでバックライトを浴びて長い影を落とし、ホランドは片手でベースを高く掲げ、シュワルツは自分のドラムキットを奇妙な模造石のドラムライザーから押し外しています。客席は掲げられたフラッシュバルブと喫煙ライターで埋め尽くされています。アルバムの内側の写真には初期のロフナーが写っています。ある一枚の写真のドクトル・ブラック(訳注:Sentinel Hill Pressに確認したところ、ドクトル・ブラックの設定はこの覚書による創案とのことでした)に扮した彼のギターには、興味深い記号が描かれているように見えます。(これも黄の印のありふれた不器用に彩色されたバージョンです。以前に黄の印を見たことがない場合、〈クトゥルフ神話〉ロールによって識別できます)
 このレコードには”The Dark Ones Rise”と『名状し難きもの』のアルバム・バージョンと、ロフナーが観客を奇妙な詠唱で先導するセクションがある”Old Times, New Times”のライブ・バージョン(テキサス州ヒューストンで録音されたものです)が含まれています。ロフナーの詠唱は呪文の写本で研究していれば、ハスターの解放の一部であると識別でき、さもなければ〈クトゥルフ神話〉ロールによってクトゥルフ神話に関連するものだと確認することができます。この詠唱を聞くことは、ハスターの解放の呪文を学ぼうとする者の呪文倍数を1上げることができます。曲の最後にはロフナーによる耳をつんざくようなギターソロで締めくくられていて、ビヤーキーに遭遇したことのある探索者達はこのクリーチャーの叫びを真似たものだと認識するでしょう。

・調査


 神の迷い子に関するより多くの情報を求める探索者達は、バンドに関する情報を見つけるのは簡単ですが、彼らの音楽の裏にあるオカルト的な秘密を明らかにするためにはより困難な課題に直面することになります。アメリカの探索者達は、〈知識〉ロールでバンドの歴史の基本的な概略を思い出すことができ、適切であれば『名状し難きもの』を一部、所有することすらあるでしょう。ロフナーの経歴は一回の〈図書館〉ロールで簡単に調べることができます。音楽界で最も人気のある人物と言うには程遠いロフナーですが、その度を越えたなステージ芸、ギターの腕前、オカルト的な装い、そして悲劇的な死が相まって、ロフナーを彼の公的キャリアを正確に伝える複数のファンのトリビュートサイトの対象にしました。また、いくつかの伝記も存在しますが、彼の私生活よりもむしろ彼の音楽に焦点を当てる傾向があります。
 2回目の〈図書館〉ロールで、1994年の音楽雑誌”Cake”の’Brujo, Bully, and Bad-Ass: Brian Lochnar, the Zapatistas, and Rock-n-Roll Magic’という記事を探し出すことができます。この記事には、一般には無視されているロフナーの人生のいくつかの側面が含まれています。・ロフナーが精神科に入院している間、彼は日常的に女物の服を着ていました。匿名の元看護婦の非公式なインタビューによると、ロフナーの疾患の原因は、幼少時の怪我で前頭葉が損傷し、それが薬物とアルコールの大量使用で悪化した結果だそうです。
・ロフナーは13歳の時の事故の後、「God」ではなく「god」と話をしたと主張しています。(訳注:「悪魔のロックバンド」の文中では「神ってわけじゃないかもしれないね。まあほんの小さな神だな」と言及されている)
・ドクトル・ブラック時代の元恋人は、ロフナーのオカルトへの関心は決して演技ではなく、二人でタントラやメキシコで学んだ呪文を含む儀式魔術(記事中では”magick”とされています)を実践していたと述べています。
・ロフナーのメキシコ滞在について、著者はロフナーの母親から得た情報を使い、1980年から82年までの2年間のメキシコ滞在期間を記録しています。ロフナーはメキシコ放浪中、アハカでマオイストの反乱軍に会い(著者はサパティスタ民族解放軍との関連性を持たせて報じるため、真実を誇張しています)、チアパスで古代の魔術師に師事したと主張されています。魔術師は彼に「ブードゥーの音楽の精霊で、『黄色い(または名前のない)者』とも呼ばれる」と説明される「クイサン」の秘儀を教えたといいます。
・この記事はロフナーを初期の革命的空想家として描き、彼の自己破壊的な癖や邪悪な関心を完全に取り繕うことで締めくくられています。
 探索者達はロフナーのかつての仲間を見つけ出そうと思うかもしれません。残念ながら、彼の死後数年以内であっても、これらの人物のほとんどは死んでいるか、見つけ出すのが非常に困難になっています。サタンのサディストと呼ばれるオートバイ集団のメンバーは、名状し難きツアーの最中にほとんどが(多くはベレア・アームズ・ホテルの火災で)死んだか、長い刑期を服役しています。ロフナーの母親は1991年に自宅の火災で死亡し、彼の遺産は複数の遠い親戚の間で分割されました。バンド仲間のマーク・ホランドとケビン・シュワルツはベレア・アームズ・ホテルの火災から生き残りました。ホランドは現在も生きており、バンドの再放送料で悠々自適にキー・ウェストで暮らしています。彼は、「この古いロックスターについてのでたらめにうんざりしている」として、あらゆるインタビューを拒否します。シュワルツはロフナーとホランドを他の演奏家に変えて神の迷い子を続けようとしましたが失敗しました。彼らは1991年に激しい嘲笑の的になったステート・フェアの「再結成」ツアーを行い、その後、活動を休止しました。1993年に彼はコカインの過剰摂取によって死去しています。

・数値情報


 これらの録音は技能の上昇の機会を与えたり、呪文を伝えたりするものではありません。正気度のコストやその他の技能ロールは説明文に記載されています。



クレジット:


テキストとレイアウト:ブレット・クレイマー
校正と全般的なアシスタント:チャド・バウザー、ジェフ・オカモト

 この覚書をまとめることを許してくださったトム・リンチとミスカトニック・リバー・プレス、私が嬉々として事実を曲げた記述をしてしまったマヤ人の熱心で誠実な多くの研究者の方々、そして世界中のヘビーメタルのミュージシャンに感謝します。


翻訳文責:林潭玉(zealotofBW)

#ターナー写本  

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