太平洋戦争は「不決断」と「空気」によって始まった~猪瀬直樹が問う「12月8日」とコロナ危機 論座 #4

論座へのコメント投稿 第4弾として、太平洋戦争開戦の「空気」を取り上げる。

太平洋戦争は「不決断」と「空気」によって始まった~猪瀬直樹が問う「12月8日」とコロナ危機
活かされない組織、好都合なデータ操作、リーダー不在……意思決定の欠陥は続いている
石川智也 朝日新聞記者
2021年12月08日

要約
 “the Point of No Return”=帰還不能点
80年前、日本はどこでその帰還不能点を超えてしまったのか。
だれがその決断をしたのか、当時でさえ多くの者が「勝てるはずがない」と考えた大国との戦争への道をなぜ進んだのか。
リーダーシップの欠如、官僚的な日常の惰性、ご都合主義的なデータのつまみ食い
いまも変わらぬ日本型意思決定の姿
そして、「空気」という名の同調圧力に支配される人々の姿も…
コロナ禍という危機においてふたたび顕わになったこの「病理」をどう克服すればよいのか。猪瀬氏にあらためて聞いた。

|「軍国主義だった」では何の説明にもならない
 近現代史の教育では、経緯を流れを追って教えるだけ。現代の生徒学生たちの第2次世界大戦に関する知識も、僕の子どものころと変わっていない。
軍国主義だから戦争をした、軍部が独走した、という言い回しは大雑把すぎて、何も説明していないに等しい。

|板挟みになり右往左往する“役人宰相”東条英機
 東条内閣発足6日目の10月23日から、日米開戦再検討のための大本営・政府連絡会議が連日開かれた。堂々巡りの議論が続くが、東条は「お上の御心を考えねばならぬ」とちぐはぐなことを言うだけで、まったくリーダーシップを発揮できない。

|石油禁輸、独ソ戦から場当たり的な南方進出案が浮上
 あの戦争は最終的にはエネルギー問題だったと言える。
結局、対ソ戦略は成り行きまかせ、ドイツ軍が勝ちそうになれば日本も打って出る、その間に資源獲得のために南進する、という場当たり的なものだった。
海軍省整備局長は、11月に開戦しインドネシアの石油を獲得すれば3年近くはもつが、来年3月開戦だと2年もたない、という趣旨の説明をする。
しかし、提出された企画院の「数字」が曲者だった。

|「戦える」数字が独り歩きし始める
 1940年に設立された「総力戦研究所」の一期生がつくった模擬内閣は、イギリスの商船隊がドイツ潜水艦に撃沈された実績値をロンドンの保険会社ロイズから独自に入手していた。
研究生たちは日米戦争を想定した机上演習を行うために〈模擬内閣〉を組織し、研究所側から出された「南方資源を武力で確保したら……」といった仮想の想定に応えるかたちで、対米戦となった場合の戦局を予測した。
シミュレーションの結論は「奇襲作戦を敢行し緒戦の勝利は見込めるが、長期戦になれば物量において劣勢な日本の勝機はない。最終的にはソ連も参戦し敗北は必至。戦争は不可能」というものだった。
決断して開戦したのではなく、ズルズルと時間が流れるなかで、空気が醸成されていった。これなら勝てる、と決断したわけでなく、時間切れだから仕方ないという不決断で始めた戦争だった。

|「空気」に敗れた企画院総裁、数字は全会一致の具に
――独り歩きしたとも言える「数字」を出した鈴木企画院総裁に1982年、インタビューしていますね。
「それは客観的な数字だったのか」「データに問題はなかったのか」という僕の問いに、こう答えた。
「そうそう、問題なんだよ。海軍は1年たてば石油がなくなるので戦はできなくなるが、いまのうちなら勝てる、とほのめかすんだな。だったらいまやるのも仕方ない、とみんなが思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せ、というわけなんだ」
後になって鈴木は「(日米開戦を)やりたくなかった」と言いながら、「やれる」という数字を求めているムードにのまれたので仕方なかった、と弁解した。

|数字をごまかせば国が滅ぶ
 意思決定のプロセスのなかでの意図的な数字の操作やインプットミス、決断にあたっての責任の放棄といった、いまも起きている日常性が、日米戦を呼び込んだのではないか。80年前のことで我々が得るべき教訓もそこにある。

|「御前会議」と変わらないコロナ対策本部
 コロナ対策の最高意思決定機関であるはずの政府の「新型コロナ感染症対策本部」の状況を調べてみたら、10分かせいぜい20分程度しか開かれていない。一斉休校を決めた2月27日の会合時間はわずか10分だった。
重大決定した過程とロジックが、国民にはまったく見えない。
日米開戦を決めた政府・大本営連絡会議の討議内容もまったく表に出ず、公文書としても残されなかった。政府は、公文書管理法の「文書主義」をまだきちんと理解していない。情報公開法と公文書管理法はセット。
日本人は空気に弱いというけれど、アメリカ人だって空気にのまれる。日本の問題は、メディアが同じ論調に染まりやすい点。

投稿コメント 投稿名はU.S.S.ヴォイジャー

U.S.S.ヴォイジャー(新ID) ID: 45071c 2021.12.08 15:07:02
衝突は不可避だった。大衝突か、それとも中以下衝突で妥協するか、でしたでしょうね。
“the Point of No Return”帰還不能点は、なかったというのが歴史的現実だったろうと思う。帝国主義という時代背景、パリ不戦条約という潮流、大日本帝国は樺太 満洲 朝鮮半島 台湾の権益を諦め切れたか。
焦点は、中小衝突への帰還不能点なら模索できたかも知れないという所でしょうか。その時代範疇の不能点は定かにはできないが。
対して本記事は、「空気」を問題にしているようですが、どうでしょう。ここでの空気は帰還不能点を大幅に通り越した時点での事を言ってるのでは。
時代と潮流、当時の日本は西洋に追い着くことそれが多くを占めていた。しかし現在、西洋の軛は緩い。新鮮なよい空気を吸えば良いでしょう。


Exposé - Point Of No Return


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