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赤と黒をまとう者たち

あのパープル&ゴールドは特別だ。これまでもずっとそうだったし、これからもそうだ。
ーカーメロ・アンソニー

いいバッシュがあるよ。
赤と黒……湘北の色だ。
ー「チエコスポーツ」店長(『スラムダンク』)

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赤と黒のユニフォームといえば、どのチームを思い浮かべるだろうか?
サッカーファンならばセリエAの名門ACミランを、バスケファンであれば『スラムダンク』の湘北高校、あるいはそのモデルになったとされるNBAシカゴ・ブルズのユニフォームを思い浮かべる人が多いかもしれない。

Michael Jordan (Image from Wikimedia Commons)

ブルズのチームカラーである赤と黒はシカゴ市の伝統を象徴していると説明されることもあるが、それがチームカラーになった理由は、ブルズの創設者ディック・クラインの出身高校の色が赤と黒だったからだと言われている。
きっかけというのは得てしてそういうものだろう。
ロサンゼルス・レイカーズのチームカラーが(レイクの色である)ロイヤルブルーとライトブルーから現在のパープルとゴールドに変更されたのも、1965年にチームを買収したジャック・ケント・クックの好きな色が紫だったためだと言われている。

それから半世紀以上にわたり、レイカーズのユニフォームの色は基本的に変わっていない。
きっかけは些細な理由だったとしても、長い年月が経過し、幾多の選手たちがパープル&ゴールドのユニフォームに袖を通すことによって、その色は特別なものになっていく。

19年のNBAキャリアで6つのチームを渡り歩いた ”ジャーニーマン“、カーメロ・アンソニーは現役最終年にレイカーズへの移籍が決まると、自分がパープル&ゴールドのユニフォームを着ることになるとは思ってもいなかったと話した後で、こう言った。

「リーグの歴史において、パープル&ゴールドを身にまとうことの意味は分かっている」

レイカーズはボストン・セルティックスと並ぶ史上最多17度のNBAチャンピオンに輝き、殿堂入りした名選手を多数輩出してきたNBAきっての名門チームだ。パープル&ゴールドのユニフォームを着ることはNBA選手にとって特別な意味を持つ。

現役生活20年をレイカーズ一筋で過ごし、「俺にはパープルとゴールドの血が流れている」という名言を残したコービー・ブライアントは現役引退後、自分の背番号を永久欠番とする記念式典で次のように語った。

「あそこに吊るされているユニフォームに宿る精神を受け継ぎ、このチームを前に進めることで、この後の20年は過去20年よりも、よりよいものになるでしょう」

レイカーズに移籍して初めての練習をした後でも、カーメロ・アンソニーは、「まだ自分がこのパープル&ゴールドを着ているという事実を理解しようとしている」と言う。

自分が、コービー・ブライアント、マジック・ジョンソン、シャキール・オニール、カリーム・アブドゥル=ジャバーといったレジェンドたちが着ていたのと同じ色のユニフォームを着ているという事実……。

「あのパープル&ゴールドは特別だ。これまでもずっとそうだったし、これからもそうだ。自分がその一員になることができて幸せだ」

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サッカーでは、チームカラー(ユニフォームの色)がそのチームの愛称となることがよくある。
FCバルセロナの愛称は「ブラウグラナ」(カタルーニャ語で「青とエンジ」)だし、リヴァプールFCの愛称は「レッズ」だ。また、サッカーイタリア代表は「アズーリ」(イタリア語で「青」)と呼ばれ、スペイン代表は「ラ・ロハ」(スペイン語で「赤」)の愛称で親しまれている。

2009年10月、翌年にW杯南アフリカ大会を控えた男子サッカー日本代表は、「SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)」を公式の愛称に定めた。

FIFAワールドカップを戦う日本代表チームは、今後、チーム愛称を「SAMURAI BLUE」として、その誇りを胸に、全身全霊で戦っていくこととなりました。
「SAMURAI BLUE」は誇り高く、フェアに、そして、負けることをよしとせず勝利への強い思いを持って戦います。そこには、世界にも知られた、戦いの場に挑む日本人にオリジナルで高度なメンタリティが存在します。       
日本代表チームのチームカラーである「BLUE」。それは、「SAMURAI」の遺伝子の込められた「BLUE」であり、これこそが世界に伍して戦う日本代表チームのオリジナリティです。日本代表チームは、「SAMURAI BLUE」として、同じメンタリティを共有するファン・サポーターという仲間たちとともに、戦い、世界を驚かせます。

ちょっと何言ってるか分からないが、日本代表のチームカラーである青にちなんで、愛称が「SAMURAI BLUE」とつけられたことは分かる。

ところで、どうしてサッカー日本代表のユニフォームは青になったのだろうか?

下にリンクを貼った記事によると、2021年にJFAは、「1930年、日本代表チームは、初めて全国からの選抜メンバーで編成され、その時に、『国土を取り巻く海』をコンセプトにユニフォームのカラーを青に制定しました。」と発表したが、1930年代の文書をいくら読んでもそんなことはどこにも書かれていないのだそうだ。

では、1930年に初めて全日本選抜が結成された時に、なぜ青が選ばれたのかというと、関東大学リーグで6連覇を達成しようとしていた日本最強の東京帝国大学(東京大学の前身)のユニフォームが青であり、1930年の極東選手権大会に参加した日本代表15人のうち9人が東京帝大の選手もしくはOBだったからという説が有力らしい。

その後、一時的に白や赤のユニフォームが採用されることもあったが、現在に至るまで青いユニフォームの伝統は受け継がれている。

下のJFAのサイトで歴代の代表ユニフォームが写真付きで紹介されているが、これらのユニフォームは、オリンピック初出場となった1936年のベルリン大会で着用されたものを含め、(今年2月から休館となっている)日本サッカーミュージアムに実物が展示されていたらしい。

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バスケットボール日本代表の愛称も、チームカラーにちなんでつけられた。

2016年4月、JBAはバスケットボール日本代表のニックネームをそれまでの「ハヤブサジャパン」から、「AKATSUKI FIVE(アカツキファイブ)」に変更すると発表した。

◇ニックネームの由来
バスケットボール日本代表のチームカラー「黒×赤」を日出ずる国・日本の日の出、すなわち「暁(あかつき)の空の色」になぞらえ、そこにコートで戦う5人の選手=「FIVE」を組み合わせて命名したものです。暁は日の丸にも通じる日本を象徴するモチーフであり、同時にいままさに新時代への夜明けを迎え、世界に挑戦する日本代表に「日の出の勢い」をもたらすという思いも込められています。
世界を照らす日本になる。
ファンの皆様には暁のカラー「黒×赤」で会場のスタンドを埋め尽くし、「暁のユニフォーム」を着て戦う日本代表選手の背中を後押ししていただきたいと願っています。

2016年はBリーグが発足した年だ。当時、(国内リーグの分裂が原因で課された)FIBAによる国際試合出場停止処分が解除されたばかりの日本代表は、まさに暗闇の時期をくぐり抜け、夜明けを迎えようとしていた。「AKATSUKI FIVE」という名前は再出発を切ろうとしている日本代表を象徴するものであり、この新ニックネームとともに「日本バスケットボールのシンボル」として日本代表のエンブレムが新たに作られ、JBAのロゴも一新された。

「AKATSUKI FIVE」という愛称について、JBAの川淵三郎会長(当時)は、
「日出づる国・日本の夜明けを象徴する暁という名前です。これから大きな夢に向かって、大きな発展に向かって、大きな変化に向かって、日本バスケットボール界が大きく変わっていくことの象徴でもあります。この『黒×赤』の色を子どもたちや多くのバスケ選手、あるいはファンの方々がこのユニフォームを着たいと感じてもらえるようにしっかり努力していきたいです」
と語っている。

「AKATSUKI FIVE」 CONCEPT MOVIE

https://youtu.be/xYsTBbODhyg?si=qaQyn5m2cUPTfX6w

黒と赤のユニフォーム
このユニフォームには、金メダルがきっと似合う。
このユニフォームに力をください。

昨年、「AKATSUKI FIVE」というニックネームは「AKATSUKI JAPAN」へと改められ、それは様々なカテゴリーの日本代表の総称となった。(「AKATSUKI JAPAN」と言った場合、5人制も3人制も、男子代表も女子代表も、各世代別代表も全てのチームを含む。)

また、愛称の変更と同時に新ユニフォームサプライヤーとして、ジョーダン ブランドとのパートナーシップ締結も発表された。
それは、「競技力のポテンシャルがあることだけでなく、日本のバスケットボール界が競技を通じて新しい文化を作り、世の中を元気づける可能性を秘めているということ」が評価されての結果であると、JBAは解説している。

バスケットボール日本代表のユニフォームといえば、黒のイメージが強い。
いつから日本代表のユニフォームは黒になったのだろうか?

過去の写真を見ると、1960年のローマ五輪や、男子日本代表のオリンピックでの最多勝利となる4勝をあげ、過去最高位タイの10位に入った1964年の東京五輪では、すでに黒のユニフォームを着用していたようだ。(そして70年代になると、袖や裾や背番号に赤のラインが入るようになる。)

2013年に3人制バスケットボールの日本代表が初めて結成されたときにも、黒ベースに赤が入るユニフォームは受け継がれた。

2016年の再出発を機に、日本代表のユニフォームは黒よりも赤の印象が強まっていき、ここ2年に限ってはユニフォームに黒は一切使用されていないが、今はチームカラーの赤と黒があしらわれた日本代表のエンブレム、「暁のエンブレム」(©️JBA)が右肩に縫い付けられている。

赤と黒が「暁の空の色」であることから、「常に日本に夜明けをもたらす先駆者であり、日本社会に日の出の勢いをもたらす存在でありたい」という願いを込めて、バスケットボール日本代表は「AKATSUKI JAPAN」と呼ばれるようになった。

どうして赤と黒が日本代表のチームカラーになったのかは知らない。
だが、きっかけは何だっていい。
意味なんか後付けで十分だ。

今年、ワールドカップやアジアカップを戦った「AKATSUKI JAPAN」の選手たちは、子供の頃、赤と黒のユニフォームを着たバスケット選手たちを見て、彼ら彼女らのようになりたいと願ったはずだし、いまW杯やオリンピックを見ている子供たちは、いつか自分もあのユニフォームを着てバスケがしたいと望んでいることだろう。

あの赤と黒は日本中のバスケット選手が目指す目標であり、子供たちの憧れであり、そのユニフォームの価値は、これまでにそれをまとってきた先人たちによって築き上げられ、今もまた多くの選手たちによって守られているのだということ。重要なのはそのことだ。
だから、NBA選手が「パープル&ゴールド」を着ることは特別だと感じるように、日本のバスケット選手にとって、「暁のユニフォーム」を身にまとうことは特別だ。これまでも、そしてこれからも。

それは、谷口正朋、岡山恭崇、北原憲彦、山崎昭史、佐古賢一、折茂武彦、田臥勇太らが着ていたユニフォームであり、脇田代喜美、生井けい子、萩原美樹子、濱口典子、永田睦子、矢野良子、大神雄子らが袖を通してきたユニフォームだ。そこには歴史と伝統が持つ力が宿っている。

そのユニフォームには力がある。

だから「暁のユニフォーム」を着た選手たちは、先月のワールドカップや2年前のオリンピックのように、時に信じられない力を発揮することができる。

そして将来、あのW杯やオリンピックを見た子供たちが成長して、同じユニフォームを着てプレーする時、今度は渡邊雄太や比江島慎や河村勇輝、髙田真希や町田瑠唯や林咲希のプレーの記憶が、彼らに力を与えるだろう。それが歴史と伝統が持つ力だ。

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W杯のフィンランド戦、日本代表が最大18点差を逆転した試合の後で、トム・ホーバスHCは、「こういうゲームは経験がない」と語った。
それはそうだろう。普通、そんなことは漫画の中でしか起こらない。

冒頭に『スラムダンク』の湘北高校はシカゴ・ブルズがモデルとされていると書いたけれど、それはほぼ間違いないだろうと思う。
だから湘北の色は赤と黒になった。
それが日本代表のチームカラーと同じであることは偶然でしかないし、日本代表チームと湘北高校の間には何の関係もない。

だけど、あのフィンランド戦を見ると、思わずこう考えてしまう。
もしかしたら、赤と黒のユニフォームをまとった桜木や流川や、三井や宮城たちも「AKATSUKI JAPAN」の選手たちに力を与えていたのかもしれない……。

いや、さすがにそれは考えすぎかな……?

でも、ありえない話ではない。

1992年に刊行された『スラムダンク』第9巻に、作者の井上雄彦はこう書いている。

次は日本チームの五輪出場が見たい。
「スラムダンクを読んでバスケを始めた。」という子供たちが、大きくなってやってくれたら………………オレは泣くぞ。

31年前に井上が夢見たように、今年のW杯でパリ五輪出場を決めた選手たちは、子供の頃に桜木や流川や三井たちのプレーを見て、彼らに憧れて育ったんじゃないかと思わずにはいられない。そうじゃないと、あのフィンランド戦は説明がつかない……。

だって、普通ありえないだろ。

第3クォーター残り2分で18点差つけられてるのに、なんで誰ひとりあきらめてないんだよ?


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