トリスタン文書 【3-2.5】 ヒーローはどこにいる? 〜ケイトリン・クラークとホークアイ〜
イ・ゾルデの断想 〜Lady Isolde's Reverie〜
ゾルデ(心の声) この人たち、さっきから弓の名手の話をしてるけど、大事な人を忘れてるんじゃない? 羿は紀元前2000年の人物だとか偉そうに語ってるけど、ローマ神話にだってキューピッドっていう弓矢の名手がいるし、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』にはラーマという名手(ロムスカ・”ムスカ”・パロ・ウル・ラピュタが言う「インドラの矢」の使い手)がいるでしょ?
それにロビン・フッドもいいけど、アベンジャーズのホークアイことクリントン・“クリント”・バートンも忘れてもらっちゃ困るわね。
偉大な射手について話していながら、マーベル公式の解説に「世界で最も偉大な射手」と書かれてる彼に言及しないってどういうことなの?
古くから弓の名手は英雄や伝説として多くの物語の中で語られてきたから、他にもあげればきりがないわけだけど、ホークアイはその中でもちょっと別格よね。彼は”超能力”を持たない唯一のアベンジャーズだけど、高精度な弓の技術だけを武器にして、ハルクだのソーだのといった超人たちと肩を並べて戦ってるんだから。
タンタンたちの話の腰を折ったら悪いから言わないけど、NBAやWNBAでとんでもないサイズや身体能力を持った相手と戦う日本人選手を歴史上あるいは伝説上のヒーローにたとえるとしたら、紀昌よりもホークアイことクリント・バートンのほうがふさわしいのかも……。
とはいえ、たぶんそれはまだ先の話。今だったら、「地上最強の射手。史上最強のスナイパーとも言われる神級の弓の使い手。ホークアイ(鷹の目)の異名を」持つバートンと並べて語るべきバスケットボール選手は、やっぱりステフィン・カリーってことになるでしょうね。
アメリカではいつの時代にもヒーローが生まれてる。バートンが倒れても、彼の弓矢を受け継いだ二代目ホークアイことキャサリン・エリザベス・”ケイト”・ビショップがいる。
初代ホークアイ同様に超常的な力を持たない”普通の”民間人だったケイト・ビショップにとって、バートンは幼い頃からのアイドルだった。成長し、優れた射手となったビショップは、大きなプレッシャーのかかる場面でも発揮できるスキルと冷静さを買われて、ヤング・アベンジャーズの一員に抜擢された。
そしてバートンの後継者になったケイト・ビショップと並べて語るべき選手、カリーの後継者と目される選手は今、アイオワ大学ホークアイズ女子バスケットボール部にいる。わかるでしょ?
アメリカのスポーツライター、ビル・シモンズが「次のカリーが女性になるとは思いもしなかった」と語る選手、ケイトリン・クラークのことよ。
史上最高のホークアイ
2021年のU19W杯で女子アメリカ代表が金メダルを獲得したときにMVPを受賞した選手としてクラークの名前を覚えている人もいるでしょう。
アイオワ州生まれのケイトリン・クラークは地元のアイオワ大学に進学すると、大学3シーズン目の去年から今年にかけて、まさに伝説的なシーズンを過ごした。アメリカのバスケットボールには歴史があるから、クラークの名前は今シーズン何度も「歴史」という言葉とともに語られることになった。たとえば、キャリア75試合目での2,000得点達成は、2000年以降、エレーナ・デレ・ダンと並ぶNCAAディビジョン1女子の最速タイの記録だったし、まだ3年生ながらキャリア通算でのトリプルダブル10回はビッグテン(主に中西部の大学で構成されているカンファレンス)の通算トリプルダブルの記録を塗り替え、さらに彼女はビッグテン・トーナメントの決勝で史上初めてトリプルダブルを記録した。
また、1シーズンに900得点以上、300アシスト以上を同時に記録したディビジョン1史上初の選手にもなり、サブリナ・イオネスクを唯一の会員とする、2k / 1k / 1k クラブ(通算2,000得点、1,000アシスト、1,000リバウンド)の記録も十分射程圏内にある(現時点で 2,717得点、795アシスト、702リバウンド)。今シーズン、信じられないような記録を次々打ち立てていった彼女は、ホークアイズファンの間で「史上最高のホークアイ」と呼ばれるようになった。
けれど、重要なのは記録じゃない。
アイオワ大のアリーナの客席で、あるファンの少女が掲げていたボードには「ケイトリン・クラークは彼女のストーリーを作っている」と書かれていた。そこには「History」ではなく、「HER-Story」と書かれていたの。どういう意味かわかる? おそらく、私たちが彼女を覚えているとしたら、それは彼女が作った記録によってではなく、彼女のトレードマークである「ロゴスリー」(コート中央に描かれたチームロゴに足が掛かった状態で打つ3ポイントシュート)によって記憶することになるでしょう。
それは、彼女がステフィン・カリーと比較され、「次のカリー」と呼ばれる理由でもある。
カリーがバスケットボールにもたらした革命は、シュートレンジをスリーポイントラインが引かれたリムから半径23フィートの距離よりさらに遠くへと延長したことだけど、クラークは同じことを女子バスケの世界でやっている。それは記録には現れない彼女が作っている物語よ。
もちろん、カリーがいなければその物語は生まれなかった。カリーが起こしたシュートレンジを大幅に広げる革命がなければ、彼女が試合でロゴスリーを打とうとすることはなかっただろうから。
カリーは言う。
「ロゴスリーは相手の心をくじく。それは実際のところ防ぎようがないからね」
そしてクラークの試合を見たカリーは驚きとともにこう言ってる。
「ハーフコートを越えたら、そこはもう彼女のシュートレンジだ」
実際、彼女のマークについた相手はこう思ったでしょうね。
「クラーク半端ないって!」
バックコートからドリブルでボールを運んでいって、フロントコートに入った途端にシュート打ってプラス3点というのがチートすぎるっていうか、「私が知ってるバスケットボールと違う」感がすごいわけだけど、クラークはずば抜けたシュート力だけでなく、優れたコートビジョンとパスセンスも合わせ持ち、大学トップレベルのプレーメーカーでもあるのだから手が付けられない。
大学2年目のシーズンでは、彼女はNCAAディビジョン1で最多得点と最多アシストを同時に記録した史上初めての選手にもなった。
今年3月にNCAAトーナメントが始まってからも、彼女の歴史を塗り替える快進撃は止まらなかった。一つのトーナメントにおける最多得点(191)、最多アシスト(60)、最多3ポイント成功数(27)、初の40得点以上でのトリプルダブル(41 / 10 / 12)、初の2試合連続40得点以上(41 - 41)、など数々の記録を更新してホークアイズを30年ぶりのファイナルフォー、そしてチーム史上初の決勝へと導いた。今シーズンのNCAAトーナメントは歴史に残るトーナメントに、彼女のためのトーナメントになった。
でもそれはアメリカが歴史を大事にする国だから、物語を大事にする国だから可能だったんだろうなって……。
世代を超えて受け継がれるもの 〜マラビッチ、カリー、クラーク〜
クラークが比較されている選手はカリーだけじゃない。彼女は1970年代にNBAで活躍した伝説の名選手、”ピストル・ピート”の異名を持つ、ピーター・プレス・”ピート”・マラビッチとも比較されている。
今後二度と破られないだろうと言われているNCAAディビジョン1の歴代最多得点記録(通算3,667得点、1試合平均44.2得点)を持つピート・マラビッチは、まだ3ポイントラインがない時代に、現在の3ポイントラインよりも遠い位置からシュートを打っていたほどの名シューターであり、かつ史上最高のボールハンドラーの一人とも言われている。
彼はバスケットボールの先駆者だった。
アメリカでは、「カイリー・アービングの派手なドリブルから、ステフィン・カリーのロングレンジ3ポイントまで、今日のバスケの試合で見られるものはすべて、ピストル・ピートにまでさかのぼることができる」と言われている。
”ホークアイ”の異名を持つクリント・バートンの弓矢を受け継いだケイト・ビショップは、彼女自身、周りから”ホークアイ”と呼ばれるようになった。
”ピストル・ピート”の異名を持つピート・マラビッチとプレースタイルや得点能力を比較されるケイトリン・クラークは、いま一部のファンからこう呼ばれている。”ポニーテール・ピート”。
アメリカにはバスケットボールの豊かな歴史があり、クラークには彼女が紡いできた物語がある。
彼女の物語は今年3月に一つの頂点を迎えようとしていた。
大学バスケの全米チャンピオンを決めるNCAAトーナメントは通称 ”3月の熱狂” と呼ばれているけれど、クラーク旋風が巻き起こった今年の熱狂ぶりは例年以上にすさまじいものだった。普段大学の女子バスケなんて見ない人まで、話題のクラークのプレーを一目見ようとホークアイズの試合時間になるとテレビをつけた。アメリカ中のバスケファンがクラークのプレーに夢中になり、この3月の3週間に限っては、男子バスケよりも女子バスケのほうが注目を集めるという異例の事態が起きた。大学の女子バスケの試合が、今シーズン放送されたどのNBAの試合よりも高い視聴率を記録した。そんなことある? それが彼女がやった一番ありえないことだと思う。
この国では、そんなことは起こりえないでしょうね……。えっ? 日本にはクラークみたいなすごい選手は現れないって? ちょっと待ってよ。だから記録は関係ないんだって! 何百勝したとか何千点取ったとかいう数字も関係ないんだって! あのメフィストと呼ばれてる人を見てごらんなさいよ。いつも笑顔でプレーしてるからってだけの理由で(それだけの理由ではない)、木村亜美選手に夢中なわけでしょう? それでいいんだって! ホントに! その人のストーリーを作ればいいんだって!!
日本にも1970年代に今の3ポイントラインよりも遠くからシュートを打っていたチームがあったというし、同じく70年代にオリンピックや世界選手権で得点王やMVPに輝いた名選手がいたっていうじゃない? でも、この国では70年代の選手が打っていた超ロングレンジのシュートと現代の選手が打つディープスリーとの間にはなんの関係もないし、いま大学やWリーグで活躍している選手を70年代の GOAT と比較する人なんていないでしょ? 日本では1970年代の選手のプレー映像を見ることはできないんだから、当然のことだけど……。
「ディープスリー」と言えば三好南穂さんの代名詞だったみたいだけど、彼女のプレースタイルが時代をさかのぼって過去の名選手と比較されることもない。三好さんがシュートの距離を徐々に伸ばしていった理由は、70年代に日本のバスケットボール史上最も偉大な監督が当時の常識を覆す超ロングシュートを採り入れた理由とほぼ同じだったのにね……。
未来に目を向けてみれば、この先もディープスリーを打つ選手はいくらでも現れるでしょうけれど、三好さんに憧れて(3ポイントラインの1mも2mも後ろから次々にシュートを沈める「異次元のシュートレンジ」を持っていた彼女のようになりたいと思って)、ディープスリーの練習をする選手が今後この国に現れると思う? 三好さんは21-22年に伝説的なシーズンを過ごした。とてつもない記録を残した。でも大事なのは記録じゃない……。でしょ?
せめて彼女のハイライト集のひとつも公開されていたら、もしかしたら可能性はあるのかもしれないけれど……。いや、タンタンの前では無理してポジティブなキャラを演じてるけど、私も根はネガティブな人間なのよ……実はね……。
向こうの人たちは記憶を風化させないために記念碑や博物館を作る。アメリカにはバスケの聖地スプリングフィールドに、ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂っていうバスケの博物館みたいな場所がある。そこでは過去の名選手たちのユニフォームやシューズ、写真や映像が展示されている。まあ、今ではわざわざスプリングフィールドまで足を運ばなくても、YouTubeでマラビッチのプレーをいくらでも見ることができるわけだけど、その場所にマラビッチが着たユニフォームやシューズ(アディダス・スーパースター)が残されていて、そこを訪れた人々が彼のことを思い出すということが、彼らにとっては重要なんでしょう。そうでなければ、わざわざあんな大きな建物や記念碑や銅像を彼らは作ったりしないでしょ?
マラビッチは40歳の若さで亡くなってしまったけれど、死後30年以上がたった今でも彼のお墓を毎年200人から300人のファンが訪れると言われている。彼は、今でも忘れられていない。
現代のNBAでマラビッチと最も多く比較されている選手は、もちろんステフィン・カリーで、彼は大学時代からその得点能力をマラビッチにたとえられてきた(もし彼がNBAドラフトにアーリーエントリーせずに大学に残るならば、マラビッチの歴代最多得点記録 3,667 得点を抜くのではないかと言われていた)。
そんなカリーは、おそらく自分がマラビッチの後継者だという意識を強く持っている。
「マラビッチの大学時代の記録やなんかを全て知っている」と言うカリーはマラビッチについてこう語ってる。
「彼は次世代のためにそのプレースタイルを築き、バスケットボールの試合に命を吹き込んだ」
そしてマラビッチからカリーへ受け継がれたプレースタイルはいま、クラークへと受け継がれている……。
子供のころホークアイに憧れたケイト・ビショップは次のホークアイになった。
カリーを見て育ち、今でもカリーをアイドル視していると話すケイトリン・クラークは次のカリーになろうとしている。
あの国には次のクラークも、次の次のホークアイも必ず現れる。
決して忘れない者たち
ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂は現在完全にデジタル化され、そこに行けば、殿堂入りした全ての選手とコーチの詳細な業績や彼らの映像を見ることができる。そこは7歳から70代までのバスケファンが楽しめる(現在の一番人気はコービー・ブライアントの展示らしい)、アメリカのバスケファンが一生に一度は訪れたいと願う夢の観光スポットになってる。
(思うに、バスケットボールの殿堂が人気観光地になってる理由として大きいのは、そこにバッシュが保存されていることなんじゃないかな。バスケというスポーツが世界的人気を獲得していく上でバッシュが果たした役割がとても大きかったように。名選手たちが履いていたバッシュは、誰だって実物を見てみたいと思うでしょ?)
日本にも、そういう場所があればいいのにね。
この国にだって、バスケットボールの歴史があった。かつて、日本代表チームの偉業が「日本バスケット界の金字塔」と呼ばれ、多くの日本人に夢を与えた時代があった。半世紀ほど前に行われた当時の試合がどんな展開だったのか、そこで「日本バスケットボール史上最高の選手」と呼ばれる彼女がどんなプレーをしていたのか、彼女たちにはどんな物語があったのか? その詳細を知ることは、今の私たちには不可能だけど、でも、当時の記録はまだどこかに残ってるはず……。
って、誰かが言っていた気がするけど……。
メフィスト氏が言っていたあのセリフは誰のセリフだっけ?
おそらく、当時の試合の記録や写真は、まだ消え去ってはいないはず。それはこの国のどこか、保管庫の片隅にしまい込まれたファイルの中で、誰の目にも触れることなく密かに眠っているはず……。
あるいは、2年前の7月から8月にまたがる2週間、日本中を熱狂させ、普段バスケなんて見ない人たちまでテレビに釘付けにさせたバスケットボール女子日本代表の選手たち、多くの子供たちが憧れたスターが、オリンピックの決勝進出という偉業をなし遂げたときに着ていたユニフォームやシューズも(一時期だけオリンピック特別展などで展示された後、その後の消息はわからないけれど)、探せばきっとまだ、どこかに残っているはず。
そういう日本バスケの歴史を築いてきた先人たちが残した記録や記念品が常設で展示されて、ファンがいつでも見ることができたなら、私たちは彼女たちの偉業を忘れないだろうし、もちろん、それが直接日本のバスケットの強化につながるわけじゃないけど、バスケットボールの殿堂を訪れたアメリカの子供たちが憧れのヒーローの展示に夢中になるみたいに、日本にもバスケファンを夢中にさせる(鉄道ファンの聖地・鉄道博物館みたいな)観光施設があり、そこでの展示を通して子供たちにバスケットの人気が広がっていったなら、いつかこの国にもクラークみたいな選手が現れる可能性だって、ないとは言えないじゃない?
バスケットボールの殿堂は、殿堂入りした選手やコーチのためにあるんじゃない。それは子供たちのため、次の世代が先人たちの遺産を使えるようにするためにある。
遺産は誰にだって、どこにだってある。それを受け継ぐかどうかは選択の問題よね?
カリーがマラビッチの遺産を受け継ぎ、クラークがそれをまた受け継ごうとしているように、私たちもあの偉業をなし遂げた人たちの遺産を受け継いでいくことができたら。
いつかこの国にも……。
余談だけど、東京医療保健大学女子バスケ部には彼女たち独自の殿堂があるってメフィスト氏が言ってたわよね。2021年まで同バスケ部の監督を務め、東京オリンピック2020で銀メダルを獲得したバスケットボール女子日本代表のアシスタントコーチでもあった恩塚亨コーチは、今ではTHCUの監督を退任して女子日本代表のヘッドコーチに専念しているわけだけど、彼はおそらく、何か東京五輪の記念の品をTHCUに残していったんじゃないかしら。
今後同バスケ部からオリンピックを目指すような選手が現れてほしいと恩塚コーチが願い、彼女たちにオリンピック出場という夢を見てほしいと願ったとしたら、彼は東京五輪にまつわる何かを(それは彼が五輪で着たジャージかもしれないし、シューズかもしれない)THCUの選手たちがいつでも見られるような形で残していったに違いない。チーム内に独自の殿堂を作ってしまう彼ならば、きっとそうするんじゃないかしら……。
クラークは、ジョン・ウッデン・アウォード(大学バスケットボールの伝説的なコーチであるウッデンにちなんで名付けられ、全米で最も優れた大学のバスケットボール選手に贈られる)と、ネイスミス・カレッジ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーと、ウェイド・トロフィーと、ナンシー・リーバーマン・アウォードと、ドーン・ステイリー・アウォードを受賞してる。(今年度、史上初となる3年連続でクラークがドーン・ステイリー・アウォードに選ばれた時、サウスカロライナ大学ヘッドコーチのドーン・ステイリー、選手として3度のオリンピック金メダルを獲得し、東京2020でHCとしても女子アメリカ代表を金メダルに導いた彼女は「ケイトリンは間違いなく3度の受賞に値する。彼女はまったく文字通りバスケットボールのプレーの仕方を変えている」と語った)
ウッデン、ネイスミス、ウェイド、リーバーマン、ステイリー……。アメリカのカレッジバスケの選手は誰もが彼らの名前を知ってる。そして彼らの名前の隣に自分の名前が並ぶことはとても名誉なことだと思ってる。
メフィスト氏は、過去の名選手や名コーチの名前が今では忘れられていると嘆いていたけれど、全員が殿堂入りしていて、なおかつ名誉ある賞に名前を刻んだ彼らは、この先バスケットボールというスポーツがなくならないかぎり、人々から忘れられることはないでしょう。
ちなみに、また余談になるけど一応つけ加えておくと、カリーがNBAに革命を起こし、クラークが女子バスケット界に現在進行形で革命を起こしているように、日本のバスケットボールに革命を起こしたチームを私たちは知ってるはず……。ロゴの上からスリーを打つだけが革命じゃない。トリプルダブルが一度もできなくたって、何千点も何百アシストも記録しなくたって、革命は起こせる。私たちは日本のバスケット界に大きな変革をもたらした人たちを知ってる。
私はその人たちのことを忘れない……。
ついでに、もうひとつつけ加えておくと、日本の大学にだって、クラークと同じ2002年生まれで、ポジションもプレースタイルもかぶり、クラークと同じくらい支配的な選手、信じられないプレーを連発して、大学バスケ界でいま文字通り無双している選手がいるでしょ? でも、彼女のとんでもないスタッツが過去の偉大な記録と比較されることはないから、彼女が歴史を塗り替えることはないし、彼女の記録が歴史に残ることもない。
それにクラークのように過去の名選手と比較して語られることもないし、彼女の物語がバスケファンの間で共有されることもないかもしれない。
クラークやアメリカの選手たちを見ていて思うのは、私たちにだって歴史があったはずなのに、それが使えないのはもったいないなってこと。
(ここでは、先人が残したスタッツや記録、業績、映像、言葉、思考、その他もろもろを含めて、一言で「歴史」と言ってしまうけれど)もし、私たちが自在に参照できる歴史を持っていたら、いま日本の大学で無双している彼女はもっとすごいプレーをしたり、もっとすごい成績を残せたかもしれない(過去の記録を参照し、それに挑むことが許されたならば、彼女はクラークのように史上最高記録を更新することもできたかもしれない)と考えると残念には思うけれど、それが私たちの置かれている条件なんだから、嘆いてもしょうがない。だし、大事なのは記録じゃない。記録に残らなくても、記憶には残る。
私は彼女のことも決して忘れない。
ヒーローはどこにいる?
2023年4月、テキサス州ダラス
その日、アメリカン・エアラインズ・センターに詰めかけた観客の数は、19,482人。それはNCAA女子バスケットボール史上最多の観客動員記録になった。
そのアリーナにはダーク・ノビツキーとパウ・ガソルがいた。キャンディス・パーカーやエイジャ・ウィルソンもいた。そしてもちろん、ケイトリン・クラークも。
ホークアイズの歴史において、これまで一度も到達できなかったナショナル・チャンピオンシップ、NCAAトーナメント決勝という夢の舞台にその日、彼女は立った。
全米の注目を集めたこの大舞台でも、クラークは、極めて”冷静”だった。レブロン・”キング”・ジェームズが ”She's so COLD!” と評するように、いつも通りに。
彼女は持っているスキルをいかんなく発揮して、NCAAトーナメント決勝における3ポイント成功数の最多記録(8)を更新し、ゲームハイの30得点を記録した。
最終的なホークアイズの順位については触れない。それは重要なことじゃないから。それは本当にどうだっていい。私にとってはね。
試合後の会見で、クラークは記者からこんな質問を受けた。
「この3週間にあなたが女子バスケのためにしたことについて話してもらえますか? 大勢の人たちが、今日の試合を見ました。おそらくあなた一人の力で、たくさんの子供たちにバスケットをしたいと思わせたことでしょう。その影響力は来年、そしてもしそれ以降も(あなたが大学に)残るとするならば、どれほど大きなものになるでしょうか?」
質問に答えている途中、一瞬、感極まった様子で喉を詰まらせたクラークは、涙声でこう続けた。
この日、ABCとESPNで中継された試合をテレビで観戦した人の数は、およそ 1,000万人と言われてる。すごいでしょ? アイオワ州だけじゃない。彼女の言葉を全米の少女たちが聞いた。彼女たちは、憧れのヒーローが言った言葉を忘れないでしょう。
「夢を見るだけでいいんです」
クラークも、かつては大舞台でバスケットボールをプレーすることを夢見る「ただの女の子」だった……。
アメリカではいつの時代にもヒーローが生まれてる。そしていつの時代にも彼らの物語を語る人たちがいる。
もちろんそれは”私たちの”物語ではない。
だけど……私たちの国にもヒーローはいるんじゃない?
私たちのヒーローは、けがをしても試合に出ることをあきらめず、仲間のために3ポイントを決める人かもしれない。
私たちのヒーローは、勝っていようが負けていようが、いつも笑顔でチームを引っ張る人かもしれない。
私たちのヒーローは、かつては高さもスピードもない、特別身体能力に優れているわけでもない”普通の”選手だったかもしれない。
私たちのヒーローは、いまたくさんの子供たちに夢を与える人かもしれない。
クラークに彼女の物語があるように、私たちのヒーローにも物語がある。
ヒーローは大記録を残した選手とは限らないし、そもそも選手だけとも限らない。キャンディス・パーカーが、パット・サミットの追悼ビデオで、”You're a hero.” と言っていたのを覚えてるでしょ?
誰にでも自分のヒーローがいる。ケイトリン・クラーク、エイジャ・ウィルソン、コーチ・サミット、コーチ・ステイリー……。あなたのヒーローは?
あなたのヒーローはどこにいる?
……と、弓の名手・ホークアイからの連想で、ついケイトリン・クラークについて考えこんでしまったけれど、そうこうしてるうちに、どうやらメフィスト先生が新しい物語を語り始めるみたいね。長い前置きを終えて(だいたいあの人の話はいつも長いのよね)、いよいよ ”アメリカのバスケットボール史上もっともプレッシャーのかかったフリースロー” について話そうとしてるみたい……。じゃあ、私も物思いに耽るのはやめにして、あの人の話す物語に耳を傾けることにしましょう。
彼らの物語と私たちの物語。日米のリディームチームの物語に。
(【3-3】へ続く)
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