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その夢は誰のものか? 〜バスケットボール女子日本代表へのエール〜

森田菜奈枝が抱いた恩塚亨の第一印象は「変な人」だった。
恩塚は東京医療保健大学女子バスケットボール部のヘッドコーチで、バスケットの強豪、桜花学園高校に選手のリクルートに来ていた。そして当時高校3年生で、U17日本代表にも選ばれたことがある森田にこう言ったのだ。
「俺と一緒に日本一になろう」

東京医療保健大の女子バスケ部は創部から7年とまだ新しいチームで、初年度の部員はたった5名のみという前途多難な船出ながら、関東大学4部リーグからスタートして徐々に力をつけ、ついにその年、1部リーグへの昇格を決めたばかりだった。
関東2部からやっと関東1部に上がったばかりなのにいきなり日本一になろうなんて変な人だなあと思いながらも、森田は恩塚のもとでバスケットをしようと決め東京医療保健大へ入学する。2014年のことだ。

森田が大学3年になった2016年、東京医療保健大は初のインカレ決勝進出を果たす。決勝で敗れ惜しくも準優勝に終わるも、次こそは日本一と意気込むチームで、4年生になった森田はキャプテンに選ばれる。
大学ラストイヤー、インカレ優勝を目指しキャプテンとしてチームを引っ張っていた森田。
しかし、9月のリーグ戦の試合中、森田を悲劇が襲う。
左膝の前十字じん帯断裂。
今季中の復帰は絶望という大けがだった……。

「もう、ユニフォームを着れないのかな……」
ネガティブな思いばかりが森田の頭に次々と浮かぶ。
「体育館に行きたくない。行けば、自分がコートに立てない現実をつきつけられてしまう……」
そんな森田を救ったのは恩塚のある言葉だった。

恩塚にけがの診断結果を報告に行ったとき、森田は言った。
「一緒に日本一になろうと言っていたのに、なれなくてすみません……」
4年前、高校生だった森田に恩塚が言った言葉を彼女は覚えていた。
当時は1部リーグに上がったばかりのチームが日本一になるなんて夢物語に思えた。しかし、あれから4年、チームは驚くほど強くなり、あと一歩で夢に手が届くところまできていた。それなのに……。
と、そこで恩塚が思いがけない言葉を口にする。
「何言ってるんだ。日本一になるのはお前だけの夢じゃないだろ? 一緒に夢を叶えようとしている仲間がいるじゃないか」
仲間……。その言葉に森田はハッとする。

実は森田がけがをしたその日、恩塚はチームメイトたちとある約束をしていた。
「インカレの決勝、残り1分で10点差がついていたら、森田を試合に出す」
チームは「キャプテンをもう一度コートに立たせたい」という思いで一つになった。決勝に進み、ただ勝つだけじゃない。10点差以上つけて勝つ!
キャプテンのために。チームメイトのために。仲間のために!

そして、森田も体育館に戻ってきた。
けがをしてから初めて足を踏み入れた体育館。そこで彼女が見たのは、
インカレ決勝残り1分で10点差をつける。そして森田をコートに立たせる。
その目標に向かって、これまで以上にハードな練習に打ち込む仲間たちの姿だった……。
「あきらめちゃダメだ!」
森田はシュート練習を再開した。激しい動きは無理なので、マネージャーがリバウンドをサポートしてくれた。
全体練習には参加できないが、仲間のために自分ができることを探し、プレーがうまくいかない選手や落ち込んでいる選手がいたら積極的に声をかけた。自分が暗い顔をしていてもチームのためにならない。自分の笑顔がチームのプラスになるはずと常に笑顔を絶やさず、試合ではベンチからチームを盛り上げ続けた。

チーム一丸となった東京医療保健大の快進撃は止まらない。2年連続のインカレ決勝進出を決め、迎えた決勝前夜。ある学生スタッフが恩塚のもとにやってきた。
「選手の士気を上げるモチベーションビデオを作ってみたのですが、みんなに見せてもいいですか?」
一瞬驚いた恩塚の表情が笑顔に変わる。彼女もまた「仲間のために自分ができること」を探していた一人だった。
そのビデオでも「残り1分で10点差をつけて、キャプテンをコートに立たせよう」というメッセージが映し出され、チームは最高に士気を高めて、翌日の決勝に臨んだ。

そしてインカレ決勝。残り1分。その時がやってきた。
スコアは91対70で東京医療保健大がリード。
森田はついに決勝のコートに立つ。

森田は決意していた。
「試合に出たら、絶対にシュートを決める」
けがをしたときは、もうこのユニフォームを着ることはないと思っていた。そんな自分を仲間たちはもう一度コートに立たせてくれた。
膝をかばいながらシュート練習する自分に付き合い、リバウンドを拾ってくれた。
「絶対にシュートを決める」
それが仲間への一番の恩返しだから……。

残り52秒、コーナーで待つ森田へとパスが渡る。
森田はためらうことなく、3ポイントシュートを放った。
その瞬間、ベンチにいた選手全員が立ち上がる。その視線の先で……。
彼女のシュートは、きれいにリングの真ん中を射抜いた。

歓声をあげ跳び上がるメンバーがいれば、ひざまずき泣き崩れるチームメイトもいた。森田のシュート練習を手伝ったマネージャーも、モチベーションビデオを作った学生スタッフも誰もが号泣していた。みんな同じ夢を追いかけてきた仲間たちだ。
森田は一瞬だけ下を向き、目頭を押さえているように見えた。しかし次の瞬間、前を向いた森田の顔は笑っていた。チームのためにどんなときも笑顔でい続けた彼女のいつもと変わらぬ笑顔だった……。
とはいえ試合終了直前、タイムアウトでベンチに戻ってきたときには、さすがの森田も涙目になっていた。そんな森田に恩塚が声をかける。
「泣くのはまだ早い」
この時ばかりは、恩塚の言葉にも説得力がなかっただろう。なぜなら彼の目にもまた、涙が光っていたから……。

「俺と一緒に日本一になろう」
恩塚が森田に語った夢は4年後、東京医療保健大の選手スタッフ全員の夢になった。彼らには同じ夢を共有する仲間たちがいた。
そして東京医療保健大のインカレ初優勝から5年がたった今、バスケットボール女子日本代表のヘッドコーチとなった恩塚はワールドカップが開催されるシドニーへと旅立つ前にテレビカメラに向かってこう言った。
「世界一になって帰ってきます」

あの時と変わらない。彼は今も変わらず「変な人」だ。
日本代表はFIBAランキング8位。ワールドカップ3連覇中のアメリカ代表はオリンピックでも7連覇中と無敵の強さを誇る。かつての東京医療保健大にとって日本一が見果てぬ夢に見えたように、今の日本代表に世界一への壁はあまりにも高くそびえ立っている。
だが、夢をあきらめかけた森田に恩塚が言った言葉をもう一度思い出そう。
「日本一になるのはお前だけの夢じゃないだろ?」

バスケットボール女子日本代表が掲げる世界一の夢は誰のものか?
それは恩塚HCだけのものじゃない。12名の選手たちだけのものでもない。
その夢を共有する仲間は日本中にいる……。日本一丸。
「あきらめちゃダメだ!」



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