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「面倒でどうしても体が動かない」をなんとかする心理学技、スモールステップ

やらねばならん仕事を前にして途方に暮れる、ということは誰しもあるものです。いい加減今日こそは作業を進めなきゃいけないのに、そういう時にやるゲームは本当に面白いから困ってしまう。あるいは、洗い物や荷物の整理など、日常生活での作業がどうしても面倒でやりたくないので、限界まで先延ばしをする。それで結局、昨日の食事の皿がまだ台所に残っているなんてことが起こるわけです。
いけないと分かっているのについつい逃げてしまう。それが人情というものだといえば確かにその通りなのですが、しかし健康的に社会生活をやろうとするなら、そうも言っていられないというのが実情というものでしょう。

机の上に書類の山があって、目を向けるのもいやだ。ましてやそれを整理するなどとても無理だと感じているとしたら、その仕事をするのにはたして何分間くらいなら楽に耐えられるか考えてください。たとえば1時間に決めたとします。さあ、3時間が経過しましたが、まだその仕事に取りかかっていません
(星和書店『成人ADHDの認知行動療法』p.116)

あるあるすぎて困る。

さて、こういう時に我々がなにをするかというと、大抵は「脅す」か「けなす」かのどちらかでしょう(その役目を誰かに頼むことすらあります)。「できなければクズ」「こんなこともできなければこの先ろくなことにならない」「今やらなければおやつ抜きだ」、とまあこんな調子です。本当に切羽詰まった時はそれで一応体は動くとは思いますし、それで今までなんとかしてきたという人も多いでしょうが、しかしこれでは長続きしないのは当然ですし、自発性など育ちようがありません。

小さく区切る

こういう時、心理学の現場ではどのようにしているのでしょうか。さきほどの引用でも登場した『成人ADHDの認知行動療法』では、物事を小さく小さく区切るスモールステップという手法が紹介されています。

1. 小さなことから始める。本当に大切なのは、何でも、どれほど小さなことでもよいので、何かをすることです。修理の作業に必要な道具を集めるだけ、レポートを書くのに必要なファイル出してくるだけでいいのです。
2. 簡単なことから始める。最も簡単なところ、楽しむことさえできるようなところから始めます。
3. 小さく分解する
(星和書店『成人ADHDの認知行動療法』p.152)

自分を無理矢理励ましたり、騙したり、脅したりすることは一切やりません。ただ作業を「小さく・細かくする」だけです。たとえるなら、食べ物を口に運ぶ前にナイフで小さく切るようなものだと言えるでしょう。

巷では「やる気は『やり始めると生まれる』」というようなことがよく言われています。それは確かにその通りなのですが、しかし、その「最初の一歩」がとても大きなものだというのが問題なのです。
ならば、その最初の一歩を、自分で踏み出せるぞと思えるところまで小さくすればよい。それが「スモールステップ」というわけです。

スモールステップは「ベイビーステップ」とも言われます。つまり、人から見れば赤ちゃんみたいな情けない段階で区切ってもいいのです。自分の感覚として「できそうだな」と思えるところまで小さくしてください。上の引用では「道具を出すだけ」という例が出ていますが、たとえば「パソコンの前に行くだけ」とかでも大丈夫です。実際、この記事を書くにあたって私はそこからスタートしました。

「丘に登る」ことは、ADHDをもつ人にとって特に困難なことが多いようです。(中略)しかし丘の上に到着してしまいさえすれば、とても上手にスキーで降りられることがあります。ですから、大事なのは始めるスキルなのです。
(星和書店『成人ADHDの認知行動療法』p.152)

これらはADHDの事例ではありますが、健常者にとっても有用なはずです。前述したように、スモールステップはおだてたり脅したりする必要がありません。なにかご褒美を用意する必要もありませんし、ありもしない理想の情景を捻り出す必要もありません。要するに、自分に嘘をつく必要がないのです。なので、仕事に正直に向き合うことができる。これは大きなメリットであるといえます。

ご褒美ではダメなのか?

ところで、人になにかさせようとするなら、何か報酬を用意するのが普通です。ならば、自分の作業の場合でもご褒美を用意すればよいのではないか? 実際、『成人ADHDの認知行動療法』では「自分なりの報酬を用意する」ことを推奨しています。

しかし、私としては、自分を報酬で釣るというのはあまりオススメできません。なぜなら、自分へのご褒美というのは、選ぶのも受け取るのも、与えるタイミングも自分次第になってしまうからです。

たとえば、抑うつ傾向にある人は、「自分へのご褒美」というものをうまく考えることができません。自分はとにかくダメでどうしようもないので、ご褒美を受け取る資格など無いと考えるのが普通なのです。というか、そもそも「自分に嬉しいことが起こる」のを想像するのが実感に乏しいのです。そういう人に「ご褒美を用意してね」というのは、あまり現実的ではありません。

また、そもそも何かに耐えるのが苦手な人にとっては、後にご褒美が控えているということ自体が我慢ならないということが起こり得ます。そうなると、ご褒美のために用意しておいたお菓子をもう食べてしまう、という事態に陥ってしまう。こうなるとご褒美の意味がありませんし、ただ自己嫌悪が高まって終了するだけになってしまう。

また、しょっちゅうご褒美を用意するということは、いつか「ご褒美目当て」になってしまうことにも繋がります。以前までは自発的なやる気があったのに、報酬が途切れた途端にやる気を失うという「アンダーマイニング効果」という現象がありますが、そのような状態になってしまうのは本意ではないはずです。

というわけで、自分の作業にご褒美を用意するというのは、あまり良い策とはいえないのではないかと考えます。

今回の参考文献


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