「ぬいぐるみにしか話せないこと」2023年4月29日の日記

・昭和の日ということで、14時半まで寝させていただきました。うれし〜。寝るのが一番。もう罪悪感とか別に無くなってきた。

・と言いますのも、昨日はひょんなことから朝の6時くらいに家に着くことになってしまったからでございます。エブエブを見終わったあとに家の近所にある居酒屋でちょろっと飲みながら昨日のぶんの日記を書いていたら0時くらいになってしまい、ほなそろそろ…と思っていたらわたしの右側に座っていたサラリーマン風の男性2名が立ち上がり会計をし始めたので、じゃあこの人たちが終わったら…と生ぬるいことを考えていたらその2人がダラダラと立ったまま会話を始め、5分待ち、やっと帰ったな…と思ったらその男性2人にずっと絡まれていた女性から話しかけられ、その流れで話していたら閉店時間になり、その女性はかなりの常連だったらしく、居酒屋のスタッフたちとわたしも交えてちゃんぽんを食べに行くぞ!という話になり、でも締め作業が思ったより時間がかかったらしく3時になってしまったために行きたかった店も閉店時間を迎え、どこにも行けなくなってしまったので閉店後の居酒屋でスタッフ3名と総勢5人で飲みながら話していたらそうなっていたんですよ。

・そんなことある?最近、そんなことある?がよく起こるな。その種類は左手第二関節綴じ綴じ事件からひょろっと入った居酒屋で朝まで飲みまで多岐に渡るけど。

・みんな気さくだったので、疎外感を味わうこともなくずっと楽しく話せてよかった。「どんなに楽しい予定でも、休日に予定が入ると休日ではなくなる」という話でひとしきり盛り上がった。そんな話ばっかしてんな。5人中4人がそっち派だったのがすごい。みんな「なかなか相手には言えないよね〜」とか、「前日に一緒に遊ぶ予定のやつから"ごめん明日行けなくなったわ…"と連絡が来たら、よっしゃ〜〜!!と思っちゃう」とか、そういう話をしていた。

・一見、社会不適合っぽい話ではあるけど、この感覚を共有しているのに、みんな相手にそうとは知られずに遊びの予定を組んで、実際に遊んでいるとしたら、それは完全なる社会適合者と言えそうだ。

・予定は組んでいるときが一番楽しくて、それ以降はテンションは下降の一途を辿る、という話も一致していておもしろかった。予定に縛られるという感覚がみんなあるんだと思う。

・でも、相手のことが嫌いとかじゃないんだよな。誰が相手でも発動しうる感覚だから。嫌な予定が嫌なのは当たり前として、楽しい予定でもぐぬぬ…となるのが我々の持つ不思議さだ。予定がある、ということ自体が重力となって全身にのしかかってくる。

・初対面の人にこういう話するのってほんとはよくないよな。一触即発というか。日記に書くような感覚で話題を選んでるけど、最初はもっと当たり障りのないというか、誰にとっても無害な話をするべきだ。でも、その引き出しを使わないうちに開かなくなってしまった。もっとそういう練習をした方がいいのかも。

・朝になるにつれて、雨が降ってるのにちゃんと空が白んでいくのがわかって、よかった。地下鉄駅の椅子に座って始発を待つ、という体験をいま住んでいる地でできたのもなんか嬉しかった。



・今日も映画を観てきました。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。原作は大前粟生。『おもろい以外いらんねん』しか読んだことないけど、かなりおもしろかった記憶がある。

・この映画はずっと観たかった。たしか大島さんとか塩犬さんが話題にあげていて、大島さんはYouTubeで激推ししていて気になっていた。

・以下ネタバレあるかもしれません。



・めちゃくちゃおもしろかったし、ラストもかなり好きな感じで終わった。愛情という言葉を使うとき、それが異性に対してであれば恋愛感情、同性に対してであれば友愛感情というパターンで自動的に認識されがちだ。それに異を唱えると余計にめんどくさい説明を強いられることになるからもうそういうことにしとく、という態度もあるけど、それを選んだ時に摩耗していく部分もある。

・そんな感じで、人に言うとダルいことを話せる相手がぬいぐるみであり、同じ思いを持つ人たちが集まるぬいぐるみサークルもそういう場所になっていくのがよかった。すっごく仲が良いわけではなさそうなんだけど、その重要な部分で繋がりがあるからこそ付かず離れずの関係性のまま心地よくいられるというか。

・主人公の七森はずっと恋愛感情がピンときていないんだけど、世の中を跋扈する恋愛メインの会話みたいなものに毒されて、同じ学年のサークルメンバーと交際を始める。ここの多幸感の薄さすごかった。外圧みたいなものによって、恋愛を"やってみる"という倒錯だ。

・七森は、自分がどういう人間なのかを知るための実験としてそういう選択を取るんだけど、それはいわゆる普通の恋愛においてもほとんど同じはずだ。そこに抱く罪悪感は特別なものではないとは思う。

・罪悪感、というのは大きなテーマだったような気がするな。作中では、「加害を受けたときに被害者になる自分」への罪悪感みたいなものにまで触れられていた。

・加害を見過ごす、という加害の話もあった。七森の同級生の麦戸という人物が、電車内で痴漢を見たが、怖くなって声を上げることをしてあげられなかった瞬間に「痴漢を最低だと思っていた自分」と切り離されてた自分に成り下がってしまった、という主旨のだったんだけど、こんなに誠実でやさしい語りはあんまり見たことない気がする。

・人間づきあいにおいてほぼ確実に発生してしまう加害/被害にまでいちいち感情を揺らがせているとキリがない。歳を重ねるにつれてそういう割り切りが上手くなるけど、そうして鈍くなった感性は、他者に対して悪気なく加害を与えてしまう温床にもなりうる。

・映画の最後の方の、七森と麦戸が向かい合って暗い部屋で話すシーンがとてもよかった。『水は海に向かって流れる』の、直達と榊の海のシーンを彷彿とさせるような。

・ぬいぐるみにしか話せなかった、話さなかった内容を、好奇心としてではなく真剣に聞きたいと言ってくれる他者は、もちろんそう簡単に見つかるわけではないんだけど、七森にとっての麦戸も麦戸にとっての七森も同じ思いをもって互いに向かい合っていて、それは愛という言葉に内包される感情であっても、単純化されるべきではなくて、まだ名前は付いていないし付けるべきでもない感情だ。

・コミックLOのキャッチコピーに「恋じゃない!好きなだけ!!」というのがあってめちゃくちゃ好きなんだけど、このコピーは端的にこういう感覚を示していてくれていたのかもしれない、と思う。ちなみにコミックLOを知らない方は検索とかしないほうがいいかもしれません…。

・あと、個人的に細田佳央太めっちゃ好きだな。『子供はわかってあげない』のもじくん役もやっていたけど、ぴったりすぎる。演技のことはまったくわからないけど、かっこいいのにどこにでもいそうな感じがしてすごい。


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