「太字を知らない」2023年12月10日(日)

・昨日のイヤな相槌のやつ、今気づいたけどニューヨークのコントから着想を得ているな。

・ニューヨークのネタは一方向だけへの悪意に留まらないとこが好きです。「そういうやつ」よりもなにかもっと大きなものを対象にしているような。


・今週のダイアンの『TOKYO STYLE』、最高にバカバカしくて最高だった。一つの話題どころか一つのワードだけで30分間ずっと聴いていられるの、すごすぎる。基本的に同じ質問に対して同じような回答をしているだけなんだけど、話を引き伸ばしてる感もそんなにないんだよな。これでずっといったらおもしろいでしょ?みたいないやらしさもないし。どんだけ仲良いんだよ、とはずっと思っています。


・THE Wを1日遅れて見ています。Bブロック、紅しょうがのパワープレイ的な講評ばっかりすぎておもしろいな。実際そうだと思うからそれが不満だったわけじゃないんだけど。同じようなことを言ってたから気になって。

・ゆりやんのネタ、かなり好きだったな。全体を通して好きだったのはハイツの「弁護士、服好きちゃうやろ」です。



・『いちばんすきな花』第9話、今まででいちばんすきな回だったな。見終わったあとすぐに2回目を再生しながらこの日記を書いています。2回目を見ると、最初のシーンで本屋で待ち合わせをしていた美鳥とゆくえの会話で「なに食べたい?」が既に出てきていて驚いた。「ファミレス」と答えるゆくえに、「ファミレスが食べたいんだ〜」とちょっと意地悪で子どもっぽさのあることを言う美鳥、なんかよかったな。

・美鳥とゆくえ、かなり多くのシーンで横並びなのがめちゃくちゃ印象的だ。他の3人は将棋盤や教卓を挟んで対面していることが多い気がしたから。美鳥とゆくえは塾、帰り道、赤田を待つファミレス、空港などの場面で今も昔も横に並んでいる。

・このドラマにおいて位置関係は慎重に吟味されていると思っている。対面だけじゃなくて、たとえば前の回では塾に来た穂積とゆくえは斜めに座りながら話していた。別に大したことではないとも思うんだけど、そこにそれぞれの関係性の一部が垣間見える気はする。

・「好き」にも「嫌い」にも無理に理由を付けなくていい、と話す美鳥めちゃくちゃよかったな。第9話を見ると、『ゆっぴーiwaseのじゃじゃじゃじゃーん』を聴きたくなる。まあ昨日チャリ漕いでる間も聴いてたんだけど。

・過去編の美鳥を演じている人(出口夏希)の顔が今の夜々にどことなく似ていて、過去編のゆくえを演じている人(片岡凛)は今の美鳥にどことなく似ていると思ったけど、みんな思いましたか?わたしだけ?

・8話と9話をほとんど丸々使って過去と現在が結びついていくような展開だったけど、美鳥と4人それぞれの距離感みたいなものはほとんど変わらないままで、美鳥を入れて5人組になるような、視聴者に阿諛追従するような流れにならない安心感みたいなものがあってとてもよかった。視聴者のためのドラマじゃなくて、ちゃんとキャラクターが生きている感じがするというか。

・美鳥にとって2人組が好ましいのは、たぶん2人の間に他者が介在しない独自の歴史があるからだ。現代思想2021年9月号『特集<恋愛>の現在』において、『クワロマンティック宣言(中村香住)』という論文(?)が載っていて、折に触れて何度も読んでいるんだけど、わたしが美鳥と4人それぞれについて感じる親密さはこの論文で書かれている「共有された歴史」が大部分を形作っていると思う。その歴史は、作られていく渦中にいないと後から参照することしかできない。後になってしまえば、実感を伴わない単なる事実だ。教科書に太字で書かれた重要事項と大差ない。

・美鳥にとっては大差なくても、春木・ゆくえ・夜々・紅葉の4人はその事実を音として、映像として、匂いとして、喜びとして、寂しさとして、その他なにかしらの感覚として呼び起こすことができる。

・その断絶というか、決して交われることのなさによって、自分がねじれの位置にいることを突きつけられる。形としては同じ図形に組み込まれていても、そこに届くことのない距離を感じてしまう。それは誰かに非があるわけじゃないし、つらいとかさみしいとかそういう大振りな感情でもなくて、単にそうである、というだけだ。でも、だからこそ、そこにいられないという感覚を真正面から描く民放連続ドラマ、あまりにもすごい。4人が出会ってからの歴史に美鳥はいなくても、それぞれの歴史に美鳥が刻まれていて、美鳥自身もそのことがうれしいと話していて、もうミスチルの『HERO』じゃん…と思った。

・ゆくえ、いつでも最適な言動を取っているように見えて本当にすごい。5人の空間にやや気まずさを感じている美鳥も敏感に目で追いかけていたし、空港でお別れする時も「帰ってきてね」とちゃんと伝えられる。ゆくえに友達が少ない理由とか、過去についてって9話目にしてほとんど描かれていないけど、あと2話ないし3話でやるのかな。そのくらい気が回ってしまう人だから、人間関係を広げてしまうと大変すぎてある程度抑制しているのはあるかも。9話でも、「先生になるのは大変そうだから塾の講師にしとく」とか言ってたのを美鳥から又聞きした夜々に悪態つかれてたし。


・『クワロマンティック宣言』の結びの段落の文章がとても好きなので、以下に引用します。引用とは思えないほど長いけど。500字くらいある。でも、『いちばんすきな花』が描こうとしていることにとても親和性があると思う。

ここにきて、私にとっての「重要な他者」は、「一緒に歩く」という実践を何らかの形でしたいと自分が思う相手のことかもしれない、と思う。相手によって「一緒に歩く」の内実も「一緒に」が指す距離感もさまざまであるし、その実践には常に困難がつきまとっていてその調整を日々行う必要があるが。おそらく、私の周りの人たちは、そして実は私自身も、「誰かと一緒に歩く」という実践に元来そんなに向いていないのだと思う。それでも不器用に、色々な仕方で、一緒に歩くということ。私は、それができたらいいなあとどこかで思っているが、私の「重要な他者」たちは一人の世界に閉じこもって人生を生き延びるほうが向いていると思っている人が多いからなあと思って、常に距離感を見計らい、悩む。結局のところ、私にとってのクワロマンティック実践は、信仰や祈りに近い。その人がなるべくいつも心身ともに安寧で穏やかな生活を送れていますようにと、遠くから毎日祈り続けるような感じだ。その祈りが届いているのかはわからない。そもそも届いていなくてもいいと思って祈っているところはある。しかし、少なくとも、私の「重要な他者」たちは、私が毎日祈り続けていることを知ってくれている(これは断言したい)。そのことによって、私がその人たちのことを想うのと同じ形や重さではなくとも、その人たちにとっても私は何らかの意味で「特別」な存在であり得ている、と思う(これは断言はできない)。

『現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち』


・『いちばんすきな花』を見てから感想を書くまでに人の感想が頭に入ってしまうと、絶対にそれを軸にしてしまうので、『無限まやかし』を聞かないようにしているのがついに解禁される日曜の昼、うれしい。日記に感想を書いている人のも、話題が出ていたら一旦閉じて、視聴し終えた日曜日に読むようにしている。あと単純にせっかくだからネタバレしないように制御しているのもあります。

・今回気になったポイント。ゆくえの通っていた塾で、講師のバイトをしている美鳥が上司みたいな人に呼び出されて「夜遅くに生徒と個人的に会っていたそうですね。節度ある行動をしてください!」みたいなことを廊下で言われていたけど、事務所に戻ってから注意しろよとは思った。年頃の生徒の見えるとこ聞こえるとこでそんなセンセーショナルなことを言わなくてもいいだろ。まあ美鳥が職場で嫌われていたとすれば、あえてそれをされていた可能性もなくはないけど。



・最近お腹いっぱいになるまで食べ過ぎなので、明日からはまた摂生します。誓います。

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