「在」2023年9月16日(土)

・気になる落語の導入「許せない空の一つや二つ誰しも持っている、とはよく言ったものですが〜」

「ラカントならどれだけ食べても大丈夫、とはよく言ったものですが〜」

「コーラは瓶で飲んだ方がおいしい、とはよく言ったものですが〜」

「もし11粒になったらDARSは商品名を変更すべき、とはよく言ったものですが〜」

「ドラクエⅢは並んでも買えなかった、とはよく言ったものですが〜」

「カンチェンジュンガに登りたい、とはよく言ったものですが〜」

「完全感覚Dreamerがボクの名さ、とはよく言ったものですが〜」

・みなさんも考えてみては?


・ということで日記を書きます。おふざけを最初に入れとかないと日記が書けない日ってあるから。

・9月末で期限が切れてしまうお風呂の回数券が一枚残っていたので、今日も岩盤浴に行った。岩盤浴大好き。手放しでなにかを好きと言えることはあんまりないけど、岩盤浴は大好き。まさかここまではまるとは。

・今日は『スキップとローファー』と、『正反対な君と僕』を読んだ。メインのキャラはぜんぜん違うけど、どことなく共通点のあるような二作品。

・ラブコメにあまり触れてこなかったけど、かなり好きなジャンルかもしれない。敬遠していた自覚はなかったけど、読んでこなかったジャンルではある。

・『スキップとローファー』も『正反対な君と僕』も、そこにある姿を受け入れてくれる好ましさ、みたいなものが描かれていて、やっぱりそういう世界は美しくていい。その人がありたいような姿であり続けることを認める、認めると書いてしまうとかなり上から目線になってしまうけど、それをそのままの形で好ましく思う/思われるということは、現代における最上級の愛情表現なのかもしれない。ありのままの姿とか、君は君のままでいいんだぜ〜的な価値観の一歩先をいくというか。"ありのままの姿"みたいな言葉に息苦しさを覚えるわたしのような人たちも、ありたい姿であることとか、そう振る舞えるように努力することはきっとできる。"ありのままの姿"という言葉にも、うっすらとした他者の期待みたいなものを感じてしまうというか。本当のあなた、よりも、今ここにいるあなたのことを好ましく思えるような感覚って俗っぽく言ってしまうと今風だなと思う。あらゆる情報が濁流のように漂着して拾われないゴミが頭に溜まっていくような違和感の中で、それに一旦蓋をして着飾ることに慣れて、民意を得ている正解みたいなものの輪郭をなぞるような不気味さを自分自身にも感じながら毎日をやり過ごしている中で、ありたいようにある、というのはけっこう難しい。それを肯定してくれる世界を創作に求めている人が多いんだとしたら、もっと日常を楽しく過ごせるような期待を現実に持って帰ってこれる気がする。

・『正反対な君と僕』の、平というキャラがとても好きだった。他人に干渉する、という尊大さに向き合っているというか。どんな作品でも、諦念混じりのどちらかと言うと後ろ向きなキャラクターが好きかもしれない。もう最近は、主人公がいちばん好き!という読み方はめっきりしなくなってしまったな。デンジくらいかも。あとレゴシ。八虎も好きだな。けっこうそういう読み方してたわ。


・明日は久しぶりに劇場にお笑いを見に行きます。初の囲碁将棋楽しみすぎる!

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