「厠」2024年6月29日(土)

・眠りが浅い日だった。5時くらいに目が覚めて、横たわっているだけのような眠れているような曖昧な感覚を彷徨して、8時半ごろから活動開始。

・天神の11時オープンの古着屋が全品半額のセールをするとの情報をキャッチしたので、鉛色の雲で覆われている空の色を投影したみたいにグレイに続いていく道をシェアサイクルで駆けた。到着して、しばらく見て、なにも買わなかった。だいたいこういうときってなにも買いませんね。

・データ移行という最後の大仕事を無事に完遂したiPhoneSE(第2世代)くんを売ろうと思ってゲオに持ち込んだら、「基盤が見えている製品は買い取りできなくて…」と断られてしまった。金にするならメルカリに出すしかないっぽい。めんどくさ…。


・基盤が見えている状態で2年くらい使えていたありがたみもすぐに忘れて、用が済んだら損得勘定だけになってしまうことへの恐怖、日記を書いていないと思い出さなかったかもしれない。こうやって忘れられていく冷徹さが無数にあるということ。ものをものとして扱うように、ひとをもののように扱うこともできる。


・ほかの天神の古着屋を見て回り、いい感じのTシャツを1枚購入した。鉛色の雲が蓋をする空を投影したようなグレイのTシャツ。来週の東京に着ていきます。東京はTシャツを投影したような空じゃなかったらいいな。

・いまにも降り出しそうな空模様ではあるものの、土俵際で耐えているようで雨は降らなかったので、散歩モードに切り替えて薬院のほうに向かった。

・餃子李に行った。夜はめちゃくちゃ並ぶけど、曇天模様の真っ昼間のひとり客はすぐに入ることができた。

・餃子、めちゃめちゃおいしかったな。まずデカい。デカいってうれしい。テーブルにはタレとラー油しか置かれていないスタイルで気持ちよかった。食べ方の選択肢が多いとそれだけで疲れるから。一択にしてほしい。

・隣のカウンター席に男女2人組が通されて、男のほうが「餃子はねー、酢こしょうがおいしんだよ」と教えると、女は「しってるー」と答えていてちょっとおもしろかった。2人の関係性をまったく知らないわたしからすると、その2人の会話はなんか全体的に少しずつ波長がズレている気がしたんだけど、終始ロートーンながらも2人はたのしそうに食事をしていてよかった。当事者にとって心地よい空気感は、誰にとっても呼吸がしやすいとは限らない。

・13時からビールと紹興酒をやらせてもらったので、満悦感と少しの頭痛を携えて店を出た。お気に入りの靴下屋に行った。


・さらに見慣れない街を歩くと、コインパーキングの一角みたいなところでスコーンを売っているのを発見。売っている人より先にそこにいた客と目が合い、そのまま磁石みたいに引き寄せられた。その客に、どれがおすすめです?とアルコールが入っていないと発揮できない社交性を披露しつつ、勧めてもらったバタースコーンと、チーズケーキを買った。品物を渡されるときに、スタッフから「そろそろ雨が降るみたいですよ」と忠告されたので、急いで帰ります!などと言いながら店を後にして、薬院駅に向かう。

・少し雨は降ってきたものの、なんかまだ家に帰る気分じゃなかったので、バスに乗ってマリノアシティまで行った。適当に決めたけど、1時間くらいかかった。

・このひとの動画をずっと見てた。手の混み方が明らかに異質。ボクシングについてはど素人だけど、この動画を見ただけでかなり詳しくなれたような気がしてくる。


・アウトレットに着いて、店を見て回って、なにも買わずにバスに乗って帰った。雨が強くなっていた。

・家の近くには停まらないので、天神の近くで降ろされてからは小さい折り畳み傘をさして濡れながら帰った。


・『アンメット』の1話を見ました。医療ドラマって基本敬語だし、ほとんどの相手に「〇〇先生」って言うの、いいですね。敬語で喋るひとがたくさんいるドラマ好き。古畑とか、坂元裕二脚本のドラマとかね。敬語ってなんであんなにいいんだろうな。たぶん、よそよそしさと親しさのグラデーションのなかを行き来する言葉だからだと思う。その幅が普通の言葉よりもとても広くて、濃淡もある。

・言葉は徳政令にも小切手にもなるから、わたしは言葉をあまり信用できない性質なのですが、そのぶん創作のなかにある言葉はかなり信用しているほうだと思う。創作のなかにある言葉は、もともとが嘘のフィールドだから、こちらが信じたいものを信じたいように受け取れるからかも。現実は本当のフィールドの時も嘘のフィールドのときもある上で個々の言葉を判断しないといけないからめちゃくちゃ疲れる。だから一様に信用しないほうが楽だけど、本当のフィールドだって分かりきっている場で言葉のやりとりをするのはめちゃくちゃたのしくてうれしい。


・最近ひとと電話することがちょくちょくあって、トイレに行くときは毎回「トイレする」とか「トイレしてくる」って言っている。幼児言葉みたいなのをどうしても会話の中にねじ込みたくて。こういう、みっともないって分かってても信念でやっちゃうのってなんなんだろう。会話してる相手への甘えなのかも。

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